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橋本治『黄金夜界』(中央公論新社)

橋本治が亡くなってもう10ヶ月にもなる。まだ、自分が橋本治がいない世界に生きているということに慣れない。

わたしは決して橋本治の熱心な読者ではなかった。『桃尻娘』が文庫本になった時に初めて読み、衝撃を受けたのはもう38年の前のことである。それ以来ずっと橋本治は同時代文化のスーパーヒーローであり続けたのだが、最初からスーパーヒーロー過ぎて、空気のようで、手に取って読む必要すら感じない存在だった。Wikipediaで彼の著作をざーっと眺めると、知っているタイトルばかりなのに、読んではいない作品ばかり。新刊が出れば、誰かがそれについて新聞などで言及する。それを読むと、彼の言いたいことをなんとなく伝えられた気になって、それで満足してしまう。そういう意味で、わたしはこれからまだ彼の著作を新刊を読むように読む機会を沢山持っているとも言える。たぶん、彼の頭の良さに、著書に向かう前に気圧されてしまっていた38年間だったのだろう。

同時代を生きながら、彼は『枕草子』を現代語訳し、続けて『源氏物語』『平家物語』なども翻訳してきた。その文体の輝きは、『桃尻娘』が世に出た時から変わらない。色々な切り口から彼は自分のことばを語り続けてきた(一方で編み物とかもしていたね、とWikipediaを読んで懐かしく思い出した)。

いなくなってしまった彼が最後に残していったのが『黄金夜界』、読売新聞で連載し、完結後単行本化された(単行本になったのは彼の死後)。尾崎紅葉の『金色夜叉』を現代社会に置き換えた小説だが、『金色夜叉』も新聞小説として大評判になり、続編が次々と書かれ、結果的に、作者の死で未完に終わってしまっているが、『黄金夜界』は引き延ばさず、小説の始まりから4年目の一区切りのところで、ある意味無残に断ち切られて終わっている。最後のページを読んで、え、これでいいの、とわたしは言葉を失った。新聞連載が終わってから彼の死まで半年あったので、これは彼の断筆ではないと思うのだが、でも、これが白鳥の歌なのか。

登場人物の名前は『金色夜叉』からそのままとられ、主人公間貫一は、結婚の約束をしていた鴫沢美也(金色夜叉では「宮」)に去られ、金銭的な基盤も失い、ほぼゼロから生き延びるための戦いを始める(熱海の海岸で、美也を足蹴にするかわりに、持っていたスマホを海に投げる。スマホを持たない状態からのサバイバルはある意味手に汗握るスリリングさであった)。貫一に「大人になりたかったの」と言い訳して、富豪富山唯継と結婚する美也。貫一と美也はバブル後に没落する家の人々で、富山はIT長者。運命は交錯し、貫一は住むところもスマホもなく、日雇い労働者から人生を築きなおしていく。彼の生来の頭の良さと勘、そして彼の誠実さがつないだ人の縁により、少しずつ這い上がっていく過程のディテールには、実際そういう体験をしたことのない読者にもリアリティを感じさせ、彼を応援したいような気持にさせられる。

同時に、結婚により人生の新たなステージに上がった美也の、結局は他人本位であったつけとしての不幸を読み、読者は溜飲を下げるかというとそれもまたなんだか違う。わたしたちは美也にどうなってほしいのだろう。貫一と復縁して欲しいのか? 貫一はそうありたいと思って這い上がっているのか? 無心に見える貫一の行程は実際に求めているものなどないように見える。貫一は美也と再会したいとは思っていなかったように読める。そしてその方が彼は幸せだったのか? いや、彼はそもそも幸福を求めてすらいないようだった。

深い奈落を見て、小説は終わる。これが橋本治が最後に書きたかった光景だったのか? もう語ることの出来ない彼に尋ねることすら、もう出来ない。

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