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北条裕子『美しい顔』(「群像」2018年6月号)

第61回群像新人文学賞を受賞した北条裕子「美しい顔」は、東日本大震災で被災した女子高校生のモノローグとして、幼い弟の手を引いて、津波から逃げおおせたが、避難所で母と落ち合えると信じていたのに、いつまでたっても現れない、その絶望感に蓋をして、取材に来たマスコミの前で違う自分を演じることで何かから逃げようとしている姿を描く。

母の死を認めたくない気持ち、弟に伝えたくない気持ち、取材者の前で母との再会を信じ、母との思い出話を繰り返す、美しい少女。その美しい顔は本当に美しいのか。その欺瞞をはごうとする、母とも親しかった近所の奥さんが、主人公に現実に目を向けるようにさとす。最初はその指摘に反感を持ち、更に演技を続けようとする主人公は、奥さんとのぶつかり合いによって、死を受け入れるとはどういうことなのかを、少しずつ考えられるようになっていく。

被災地で、実際に人々が見たもの。それは、テレビカメラでは到底移すことの出来ない無残なものだった。こう書いているわたしには、たぶん理解出来ていない。実際に体験した人たちすら、実際に体験する直前まで、自分たちがそのようなものを見るとは思っていなかったものばかりだったろう。作者は、東京在住で、実際に被災地を訪れることなく、テレビの画面を見ていた時に感じた違和感をもとに、この小説を書いたということである。その際にいろいろなルポルタージュ等を読み、そこから得たものを小説の骨組みの中に取り入れたとのことだが、その行為に行き過ぎがあったということで、発表後(というか、芥川賞の候補になって、注目度が上がった際に)、ちょっとした社会問題になった。選評を読むと、新人賞の選考委員たちはほぼ絶賛である(青山七恵/高橋源一郎/多和田葉子/辻原登/野崎歓)が、見られることへの嫌悪感を、逆に相手が求める像を作り上げて提供することで見たがっている者への軽蔑に転化する、という部分以外の、震災体験のリアルを大半、他者の著作に依拠していたらしい、ということで、本来、参考文献として明示しておくべきだった著作の作者及び版権者から大きなクレームを受け、この作品は単行本化に1年かかり、その間に作者は引用に近いと指摘された部分については改稿し、巻末に参考文献を明示したとのことである。

幾つか論評を読み、それぞれの論者が違和感を持ったところ、絶賛したところなどを思うと、確かに、この状況でこのようなことを思うかなとか、書き方がステレオタイプ的過ぎるだろうとか、そういう部分もあった。わたし的には冒頭の、写真を撮りに来ている若者の視線に対する敵意とか違和感を描いた部分にはっとさせられ、そのコンテキストで作品全体を読み続けたのだが、本来語られるべきだったのは、その状態からの脱却であり、そこの書き方が弱いと言えば確かに弱い。でも、破綻なく最後まで物語を運べる力についてはそれなりに評価されるべきではないかとも思う。

単行本となった『美しい顔』を読むのは誰だろう、そして、作者は次に何を語れるのか。

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