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『ルクレツィアの肖像』(毎日読書メモ(547))

マギー・オファーレル『ルクレツィアの肖像』(小竹由美子訳、新潮クレストブックス)を読んだ。1年くらい前から読もうと楽しみにしていた本。各ページからあふれる情報を堪能しつつ、生きることの苦しさにうっとなる、そんな読書。

最初に「歴史的背景」が書いてある。

一五六〇年、十五歳のルクレツィア・ディ・コジモ・ディ・メディチは、フェラーラ公アルフォンソ二世デステとの結婚生活を始めるべくフィレンツェをあとにした。
一年もたたないうちに、彼女は死ぬこととなる。
死因は公式には「発疹チフス」とされたが、夫に殺されたとの噂があった。

p.7

あとがきまで含め447ページある、厚い本の最初で、主人公ルクレツィアが僅か16歳で亡くなる、という結末が書かれてしまっている。これは、何故16歳で死ななくてはならなかったのか、というミステリーなのか?

最後に作者のあとがきを読んだところ、小説の細部は、史実とちょっと違う形に改変されているとのことである。とはいえ、大筋は同じで、トスカーナ大公としてフィレンツェに君臨するコジモ・ディ・メディチと愛妻エレオノーラとの間に第五子(三女)として生まれたルクレツィアは、政略結婚の駒として、子ども部屋で厳しい教育を受け、急病で亡くなった姉マリアが結婚する予定だったフェラーラ大公アルフォンソと、年の離れた結婚をする。フィレンツェからフェラーラに嫁ぎ、僅か1年もたたないうちに死去。

印象的なのは、親の敷いたレールに従順に従う兄姉弟たちと違う、ルクレツィアの破天荒な性格。自分の主張をくみとってくれない両親に対する不満や悲しみを抱きつつも、身分のつり合いはとれた上で恋愛結婚のような形で結ばれ仲睦まじい両親の姿を見てきたので、結婚とはこういうもの、というイメージが出来ていた中で、一人遠方へ嫁ぐルクレツィアの深い孤独と、これじゃない感。両親に与えられた教育環境にも馴染めない部分はあったが、律するものがなくなり、それとは違った束縛が真綿のように彼女の首を絞めていく。
父コジモが、屋敷パラッツォの地下に異国の野獣たちを動物園のように飼っている。ねだって兄弟で動物を見に行き、新しく連れてこられた巨大な雌虎に魅入られ、檻に手を入れ、虎の身体に触れる。言葉のない共感。
育てにくい子、と家族皆に思われていたルクレツィアに愛情を注ぐ、エレオノーラの乳母だった、ナポリ出身のソフィア。ソフィアがルクレツィアの乳母を采配し、ルクレツィアがフィレンツェに嫁ぐときに付いていく小間使いエミリアもソフィアが手配した少女だった。
物語が、夫に殺される恐怖におびえるルクレツィアの「現在」と、生まれ落ちてからのルクレツィアの足跡という「過去」を交互に語り、少しずつ過去が現在に近づいていく中、ルクレツィアの絵画の才能とか、ソフィアの喋るナポリ方言をいつの間にか解していることとか、些細そうな、でも繰り返し語られるディテールすべてが、このミステリーの伏線となっていたことに驚く。
婚約の祝いとして、大きなルビーのペンダントと一緒に、胸白貂むなじろてんの小さな絵を贈ってきたアルフォンソの真意は? 
豪奢な婚礼支度、フィレンツェで行われた豪華な結婚式、姉マリアが着るはずだった青の婚礼衣装を着ることに抵抗したけれど、結局それをまとって結婚式に出ることとなるルクレツィア。
小さな画材に緻密な絵をびっしり描いて、それを周囲の人に見つからないように上から絵具で塗りつぶし、それをこっそり人に託す。自分の主張をひっそりと外部に伝えようとする気持ち。
アルフォンソの家族の、宗教の絡んだ複雑なお家騒動。アルフォンソのたまさかな愛情表現。ルクレツィアが外向きのことに示す興味をいちいち粉砕する夫。自分の存在意義について、自分だけでない、この時代の女性たちの立場の弱さ、何も主張できない苦しみ。生活が豪奢でも、自由もなければ自我の発露もできない。フィレンツェに帰りたい、と実家に手紙を書いても、軽くいなされて終わる悲しみ。

もうぎゅうぎゅうに、ルクレツィアの生きにくさがページの中に詰め込まれている。この生きにくさはたぶん16世紀だからではない。今日でも、同じような息苦しさ、生きにくさの中であえいでいる人のなんと多いことか。
結婚の祝いに、アルフォンソが当代きっての画家に描かせたルクレツィアの肖像。しかし絵が納品されるより前から、すっかり病み衰え、見る影もなくなったルクレツィアは、夫に殺される恐怖、それが自分の勘違いであってほしいという願いの入り混じった感情の中、夫と共に郊外の狩りの拠点となる要塞に向かい、そこで「終わり」を迎える。

畳みかける絶望だけでは辛すぎるが、物語は自由な風の吹く、明るい空気の中で終わる。犠牲の上に立つ、小さな救い。解放。
そしてフェラーラ大公国の断絶(ざまぁ、って言っちゃいたくなる)。

オファーレルの本は、2年半前に、同じ新潮クレスト・ブックスから刊行されている『ハムネット』(小竹由美子訳)を読んで以来だが、史実を元に、確定した伝承の残っていない実在の人物を、物語世界の中で自在に動かし、語らせる手腕の巧みさに改めて感服。
フェミニズムというのともちょっと違うが、自分の生きたいように生きるための道を模索する、というところに、ルクレツィアと、『ハムネット』の主人公アグネスの共通点を見た。



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