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チェーホフ『ワーニャ伯父さん/三人姉妹』(毎日読書メモ(316))

映画「ドライブ・マイ・カー」を見るには、チェーホフ『ワーニャ伯父さん』を読んでおいた方がいい、という噂を聞いたので、アントン・チェーホフ『ワーニャ伯父さん/三人姉妹』(浦雅春訳、光文社古典新訳文庫)を読んだ。
大体10年に1回位、チェーホフのブームが来る。前のブームの時はアンリ・トロワイヤ『チェーホフ伝』(村上香住子訳、中公文庫)を読みかけ、途中でくじけてどこかにやってしまった。図書館から『サハリン島』(確か松下裕訳のちくま文庫版「チェーホフ全集」)を借りてきて、読んだ。行動する作家だったんだ、と驚いた。

ドストエフスキーとかトルストイからロシア文学に入ると、チェーホフの短さはそれだけでちょっとほっとする。特に、光文社古典新訳文庫は平易な翻訳になっていて読みやすい。

「ワーニャ伯父さん」も、「三人姉妹」も、ここは自分の居場所じゃない、と思い、惑う人の物語だった。自分の不自由さを感じて苦しんでいる人たち。それに対し、境遇にとくに不満を持っていなさそうな、鈍感力の強いキャラを置き(「ワーニャ伯父さん」ではセレブリャコフ、「三人姉妹」ではアンドレイ)、意識的に登場機会を少な目にして、本人の発言があまり聞こえないようにしているが、実際には彼らにも葛藤はある、ということを、最後の最後で提示する。
登場人物たちは、なんとなく結婚し、結婚した後で、その結婚への不満が湧き出て、他の人を好きになったりしている。あまりにも誰もがそんな状態で、じゃあ、結婚って一体なんなんだろう、という不思議な状況。
何かを直視しないようにしている?
何かから逃げている、という感じとも違うのだが、ここではないどこかに行きたい人々。
広大な大地の元、暮らしているのにこの閉塞感はなんだろう。
そんな息苦しさが、読んでいる人の持つ不安とか閉塞感と呼応する。

戯曲だからまぁ状況描写もセリフのなかで行うということもあって、登場人物たちは饒舌。特に「三人姉妹」では姉妹たちだけでなく、訪れる旅団の士官たちも含め、みんな弾丸のように喋っている。そして、あんまり人の話は聞いていない。かと思えば、唐突に、二百年後、三百年後の世界を想像して考察したり。不思議な間合いで、物語は進む。「ワーニャ伯父さん」は短期間の物語だが、同じ四幕でも、「三人姉妹」は一幕ごとに長い時間が空く。そして絶望感が深くなっていく。とりたてて規制されているという訳ではないのに、そこに留まり続け、屈託だらけの人々。モスクワに帰りたい、が口癖のようになっている三人姉妹も、モスクワに帰れると思っていない、空想の中で抽象的なモスクワがふくらんでいる。

ここではないどこかへ。
チェーホフを読みながら、抽象的な憧れを思う。

こんな漠然とした感想をかかえて、「ドライブ・マイ・カー」見に行くんだろうか...。

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