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歌手でもダンサーでも俳優でもない存在

急に増えたラグビーファンを見て、連想する連中がいる。
SMAPの解散や安室の引退にともない、やたらめったらと賛辞を繰り返したり惜しむ声をあげる連中だ。
おまえらファンでもなんでもないだろう、と。
SMAPの解散を惜しむ風潮に乗っかって、自分に酔っぱらっているだけである。安室引退もしかり。
両者の新人時代から全盛期まで、ネットもない、テレビが娯楽の王者だった頃ずっと見てきたわたしは知っている。SMAPも安室もそこまでの存在じゃない。一部に熱烈なファンがいるのは理解できるが、そこまで時代を作ってもいないし時代に抱かれたという感じもない。レバ刺しが食べられなくなって急に美味い美味いと言い出す奴らと同じである。
この間の紅白で、たけしの浅草キッドを聴いてツービートすら知らないような奴らが訳知り顔で絶賛していたのも同様だ。

そもそもジャニーズの連中というのは歌手でもなければダンサーでもないし、ましてや俳優でもない。
顔の良さを担保に獲得した大量のファンが、確実に一定の売上げを作ってくれるから重宝される存在であり、歌がうまいわけでもダンスが上手いわけでも、ましてや演技が上手いわけでもない。(もちろんあれだけ人数がいれば上手い人もいるでしょうが)
「世界に一つだけの花」だって彼らが作った曲ではないし、彼らの曲ではない。平成時代を代表する楽曲のように扱われたことにわたしは苛立っていた。SMAPに時代を代表する価値などないと思っているからだ。

木村拓哉は90年代、日本で一番顔のいい男として”確実に”一世を風靡した。それは認める。しかし歌も演技もダンスも日本一ではないだろう。もちろんだがスマスマなどのコントを見て笑いのセンスがあると思う奴もいないだろう。ジャニーズという看板で、男前だという担保を得て、やっとタレントとして存在できる者たちだ。

わたしは一昔前、草なぎ剛が大嫌いだった。
ジャニーズタレントとしての大前提である「顔が良い」という要素が欠けていたように見えたからだ。少年時代はいざ知らず、青年期に彼より顔のいい男などそこら中歩いていた。かといって面白いわけでもなく、一芸に秀でたなにかを持っているようには見えない。(少なくとも当時のわたしには)
かような男が男前タレントの看板で成功するのは許せなかった。

が、しかし。
何気なく見ていた「任侠ヘルパー」、これのヤクザ役がドはまりしていた。あんなにナヨナヨした男が、ヤクザに見えるのである。
それから少しだけ、草なぎ剛のことが好きになった。できればヤクザ役でたけし映画にでも出て欲しいと思っていた。
その後、彼はSMAPのメンバーでなくなりジャニーズ事務所のタレントでもなくなった。みなの記憶があるうちは「元々ジャニーズにいた」という看板も有効であろうがそれもそのうちなくなる。
ましてや彼は(彼らは)それほど顔の整ったメンバーではない。ジャニーズの看板がもたらす恩恵から脱却して、それぞれの新しい価値を見いださなければ、世間からビートきよしのような目で見られてしまうのではないか。

しっかりと"一芸"を持っている草なぎ剛を、わたしは心配している。

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