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イエテ◯ソラへ (11) ☆ 言葉 ☆

 ホースを引きずる音といっしょに、つえの音がして、おじいさんの横顔があらわれた。ゆっくりと戸口に向かう間に、わたしの強い視線を感じたのか、ふっとこちらを向いた。
 そのひょうしに、バランスがくずれたのか、ぐらっとゆれて、姿が消えた。また転んでしまったのだ。
 わたしは伸び上がって、小さく声をかけた。なかなか立ち上がってこない。何度もなんども呼びかけた。
 へいから離れていて、つかまる所もなく、おじいさんは起き上がるのに、悪戦苦闘しているらしい。あえぐ声が聞こえる。
 かけ寄ることができれば、すぐにも手助けできるのに。わたしは目の前に助けのいる人に気づきながら、届かないじれったさで、じりじりしていた。

 やっとつえの先が見え、ふるえる手が、つえを上へ上へとたどり、それにつれて頭の先がわずかに見えてきた時、わたしはもうひと息、もうひと息と、いっしょになって息をつめていた。
 おじいさんはどうにかこうにか立ち上がると、体をゆらしながら、へいの所まで寄ってきた。
 3メートルあまりの間をへだてて、わたしの目とおじいさんの目が合った。

 しばらくして、おじいさんが例の言葉を叫んだ。
「おあえ、う・う・え・い・あ?」
 わたしは大きく首をふった。それから、大サービスで、ぴょんぴょん跳び上がってみせた。
 おじいさんは一瞬、表情をくずしかけたが、たちまち顔の半分が、きびしい顔になった。片手で下を指さしながら、頭をぎこちなくゆすって、ダメダメという身ぶりを、さかんにする。
 そうか! ゆうれいでなければ、身投げ志願者だと思ってたんだ。わたしは前よりはげしく首をふって、にっこり笑ってみせた。

 ようやくおじいさんは、顔の半分でにいっと笑い、何度もうなずいた。その笑顔はゆがんでいたが、笑っているのはたしかだった。
「おおえ、あ・に・い・え・う」
 おじいさんの目と手が、こちらの屋上に向けられていて、なんとかわかった。〈そこで、なにしてる?〉
 わたしは一瞬、答えにつまった。ほんとのことなんて、言えないもの·。
「あ・そ・ん・で・る・の!」
 思いきり楽しそうな声を出した。

 おじいさんは、そうか、そうかと言うようにうなずいて、こんどこそ安心したように、歯を見せて笑った。
 この人、見も知らないわたしのことを、こんなにも気にしてくれてる! 自分の方が、よっぽど不自由な身なのに · · ·。

★ (麻美) ★
 ユカ、いったい、どうなってんの? ユカったら!
 なんと、夕方の6時に、ユカのママがあたしを呼び出したんだよ。何を言われるのか、見当もつかなくてさ。
 角のシャガールへ連れて行かれて、ケーキセットをごちそうされて、なんの話かと思ったら、ユカが行方不明だって言うじゃない!
 ママの弟さんから電話があって、ユカがほんとに家出したんだ、ってはっきりしたんだって。

 でも、弟さんにもまだ、ちゃんと言ってはいないんだって。あたしが一番の打ち明け相手だなんて、天地ひっくり返るオドロキ! だよ。
 昨日のうちに、食べ物がひどくへってるんで、ちょっと変だと思って、あたしさぐりをいれてみたら、ユカのおぼれかけ事件がわかったでしょ。
 それできょうの昼間、仕事を休める状態じゃなかったけど、先生を訪ねて、お礼をいったり、ユカのようすを聞いたりして、でもユカがいないことは、言えなかったんだって。
 おとなしいユカが、家出するなんて思えなくて、塾の帰りに、弟さんちにいる武春さんとこに、遊びに行ったんだって、ママは思ってたらしいんだ。食べ物をおみやげにして · · ·。

 あたしに、心当たりはありませんか、って言われても、答えられるわけないじゃん。「3月からずっと、つきあってませんから」
 ずばり言ったら、ママはだまってた。顔はちょっと赤くなってたけど、つごうの悪いことは聞き流して、言いたいことだけはしゃべるんだよ。
「お金の入ってる封筒を、持ち出してるから、どこかに泊まろうと思えば、泊まれるはずなの」だって。

 あたしも負けずに、言いたいことを、言ってやることにしたんだ。
「でも、中学生がひとりで泊まったら、ぜったいあやしまれます」
「じゃあ、都心の、朝までにぎやかなあたりへ、行ったのかしら。いやだわ、そんなの。ああ心配 · · ·」
「どうかな、それって。ユカはとっても疲れてるみたいだから、そういうところは、行かないと思います」
 これ、すごい皮肉のつもりなのに、ママには通じなかった。
 けっきょく、何も解決しなくて、連絡があったら、すぐに知らせてください、と言われて別れたんだ。

 ママはやっぱり心配でたまらないから、警察にそうさく願いを出すって。それから、仕事にもう一度行ってくるって言ってた。
 ママは職場でたいへんなことがあって、その後始末がまだ終わらないのに、次の仕事も入ってて、こんなことはしてられないのにって、怒り半分、心配半分でいらいらしてて、いつものおすましママとは、ちがってた。

 家に帰ってから、ひょっとして、あのなぞのメールは、ユカのヒントなのかもって、思いついたんだ。ママにはなんにもしゃべらなかったけど。
 だから考えに考えてみてるけど、わかんないよ!
 クミと朝子にもあのメールを見せて、あれこれひねくってみたけど、ぜーんぜんわかんなかった。3人寄ってもおバカはおバカみたい。
 行方不明のこと、あの子たちにも知らせて、相談してみる。ユカ、わかってんだろうねっ、このさわぎは、みんなユカが起こしたせいなんだから!

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