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8章-(3) 旅のあとで (最終回)

● イギリスではどこでも、質問すると実にていねいに、親切に対応してくれて、感激だった。地下鉄の乗り換えでは、無事乗り換え終るまで見届けてくれた。アランデルの近くでは、ヨークシャー・プデイングが「どんなものか尋ねると、作り方を教えてくれた上に、パン屋に連れて行き、似たような物がないかどうか問い合わせてくれた。

● 問題のチップ(枕銭)は、必ずしも出さなくていいらしい。数泊するときに、宿を出るとき出すようにした。ポーランド旅行の時に、スペイン人の  30歳女性とポーランド人50代の女性が、外国へ出た場合、よほどの手間をかけた時のみチップを出す、と話してくれた。2人に言わせると、日本人は最も気前の良い人種だそうな。

● 食事については「フィッシュ・アンド・チップス」は、一度ためしたら   もうたくさん!あんなに油だらけの一品だけでは食べきれない。日本の食事は、調理法と食材が変化に富んでいて、食の伝統はすばらしいものがある、と改めて誇りに思った。

●「パイ」「サンドイッチ」「インド料理」「イタリア料理」を食べる機会が多く、いずれもおいしいものばかりだった。純粋の、まずーいと評判のイギリス料理は一度だけだった。もっと他にもあって、食べ損ねたのかもしれない。

◆◆◆何より残念だったのは、パブに行き損ねたこと!パブに行くときの 作法まで書き抜いて、心づもりしていたのに、時間がなくて・・。

その作法とは『イギリス田園風景』銀河出版 C・マックーイ著より:

1)昔ながらのうす汚れた簡素な、暖炉に火の入ったパブへ行くこと。

2)まっすぐカウンターへ行き、ローカルビールを注文すること。

3)小銭をポケットから今日の予算分全部を出すこと。財布から出しては だめ。大枚出してはだめ。チップなど不要。しわくちゃの札を伸ばしつつ、別れを惜しみつつおもむろに・・。

4)釣り銭はポケットでじゃらじゃら言わせること。          

ウウフフ、このジョークが愉快で、楽しみにしてたんだけどなあ!

● 旅をするときスーツケースは、皆大小さまざまだったが、帰りの土産 
対策を考えると、やはり大きいのがいいのだ。私は土産の予定はほとんど なかったので、小さなカバンとリュックでスマートに旅するつもりだった。
ところが、あちこちで買いこんだ英文パンフレットや本が意外にかさばって重く、華奢な折りたたみバッグに詰めこんで、洗濯用ロープで縛って運ぶ、というみっともない姿になってしまった。船便で送るつもりでいたのだが、ほとんどが田舎地帯の旅で、めったに郵便局がない。あっても詰める箱が ない。手続きをする時間もない。その上、2ヶ月もかかる船便での配達を 待ってはいられない、というわけだった。

● 収穫だったのは、花や木の名前がわかったこと。自然の風景を目で確かめ、心に焼き付けることができたこと。大好きな作品のあちこちに出て来る場面を跡づけることができたこと。皆で協力し合って食事をしたり、心地 よい風に吹かれながら、声を合わせて歌ったり、より深く友の人となりを 知ることがきでたこと。

私自身は疲れ気味だったこともあって、わがままをしてしまったけれど、 他の皆さんの協調性や我慢強さ、元気さ熱心さ、それに好奇心の強さには、感心し尊敬してしまった。これはきっと、長年「おはなし」に関わっているせいでは、と思わずにはいられなかった。

● おはなしを覚えて語るには、何より努力、粘り、継続性が必要だし、おはなしの内容への理解力も要求される。どれほど準備したつもりでも、人前で頭がまっしろになったり、失敗して気落ちしたりは免れない。それを長年 くり返してきた人達は、心が鍛えられていて、たいていのことは大らかに 受け入れ、笑い飛ばし、他の人への配慮や心配りが自然にできるようになるのではないか。

● その点、最も日の浅い、まだ子どもたちの前で話した体験もない私は、   修養が足りない、すぐにとんがってしまう、と自分の姿が見える気がした。語ること自体がもともと好きではなく、考えながら書く方が好きなのだから、いずれ会を脱けることになるだろう、と思いつつ、もう少し自分育て  のためにも、残っていよう、とも考えたことだった。

● この記録はごく個人的な忘備禄のつもりで、帰国後すぐに書き上げてあった。今回の旅の仲間で『ダウンズを越えて』のタイトルで、旅の記録を作ることになった時、それぞれの方に寄稿文を割り振ったり、自由に書いてもらったりした。その記録本の方が分かり易く、より面白かったかもしれない。

私の記録の中の「英文パンフ」からの情報などは、かいつまんでほんの少し『ダウンズを越えて』に載せたりもしたが、載せなかった部分は、勉強会だけでは得られなかった、私が興味を抱いた部分であり、かなり片寄っていて肝心の物語との関係については、ばらつきが多すぎるし、他のグループの方々がどう過ごされていたのかなどは、見逃してしまっていて、足りない  ことだらけだ。

● 10日ほどの旅では、イギリスのほんの一部、砂の一粒くらいしか知り得ていないのだろう。その証拠に、資料を整理していると。英国国家遺産(English Heritage)400余のうち、名所28箇所を地図に描きこんである図を 見つけた。今回そのうちのどれ1つ見学していないのだ。物語の背景を見るだけでも、まだ無限にあるというのに、その他にもイギリスには見るべき物が山ほど、待っている、と思ったら、前途が明るくなった気がした。もう  2度と行けないなどとは言わないことにする。今回が旅の病のかかりぞめ なのだ。この次こそ、頭の中も荷物もカバンも、ちゃんと整理しておくことにしよう、Sさんを見習って。そして、願わくばなるべく年取らないように気をつけよう。

1998年 10月20日  

(この時は、旅の後の興奮状態で、こんな決心をしたのに、以後、イギリスへ出かけたことは一度もなくて、残念! 翌年の1999年9月に、夫の
友人の勤務する、スウエーデンのヴェクショー大学へ招待され、同伴して 出かけたのが、最後の海外旅行となった)

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