聖夜に虎を追いかけて at ソウル(2019.12.25-27)

画像1 韓国に行く、という選択肢が生まれたのは、中島敦が小中学生時代(日本の植民地時代)に京城(現ソウル)に住んでいたことがあったからだった。中島敦はその記憶をもとに小説を数篇書いている。「巡査の居る風景」「虎狩」といった作品をもう一度読み返して、韓国への旅に備える。中島敦が見た風景を辿りに。
画像2 高度10000メートルから見る富士山。最近、「古事記」に富士山の記述がないのはなぜかという本が出たという話を聞いて、それはたしかにと思った。そんなことを思いながら、機内では「ジョン・ウィック3」を見ていた。
画像3 2時間のフライト。徐々に韓国の街並みが見えてくる。
画像4 入国手続きを済まして、金浦空港の駅まで長い地下通路を歩く。ときおり寒い空気に触れる。韓国の冬は厳しい。ソウルメトロに乗って明洞(ミョンドン)に向かう。ソウルの鉄道はすべて地下に入っている。それがまた不思議な感覚を抱かせる。
画像5 クリスマスの明洞では人が溢れていた。大通りでは露店がたくさん出ており、凍てつくような寒さのなかで、もくもくと湯気がたちのぼる。その熱気に人々は吸い寄せられていく。「明洞」もそうだが「洞」という字がよく地名についているのはなぜか考えていた。調べると「市」のようなものらしいが、「HORA」だとするならばなんだかおもしろいと思った。それから、ハングルがあるのになぜ漢字があてられているのかも。
画像6 明洞は日本で言えば渋谷のような街だった。あまり異国に来た実感がないといえばない。が、日本人を見つけるとこう声がかかる。「カンペキナニセモノアルヨ」。ブランド物のコピー商品がいたるところでならんでいる。女性のファッションショップも多い。日本円にして1000円程度で買える服たち。アクリル100%の大量生産品。「完璧な偽物」という言葉が妙に響く。
画像7 この街は眠らない。21時を過ぎてもなおファッションショップも店を閉める気配はなく、通りも人で溢れて続けている。韓国の日の入り日の出は日本とは異なる。日の入り時刻は遅く、日の出も遅い。いつまでも明るく、いつまでも暗い。
画像8 明洞聖堂には光の花が咲き乱れていた。クリスマスだからなのか、いつもこうなのかはわからない。聖堂のなかには聖誕を祝い人々が静かに、多勢、座っていた。
画像9 一夜明けて、朝、お粥を食べて「恵化」という駅で降りて昌慶宮(チャンギョングン)に向かって歩いていく。通りにダンボールが重なった台車がいくつもある。ダンボールを集めるとお金になるようだ。
画像10 早朝の昌慶宮には人がほとんどいなかった。ここは、中島敦の「虎狩」という作品にも出てくる場所だ。かつて日本軍がここの宮殿などをいくつか壊し、動物園や植物園を作ったと言われている。その動物園で、主人公が「虎」を見つめている描写が出てくる。いまは動物園などはない。
画像11 建物は韓国の王朝らしい色使いがされていて美しい。中島敦もこのあたりは見に来たのだろうか。見に来たのだとすれば、同じものを見ていると思うと思いが重なっていくものがある。
画像12 しばらく歩くと池がある。池の向こうにちょっとした島がある。池の向こうには鴨のような水鳥がたくさん浮かんでいて、犬のような鳴き声で鳴いていた。鴨にしては鶏冠のようなものがついていて、別の動物のようだった。
画像13 弘大(ホンデ)という日本で言えば原宿のような街にも行ってきた。タッカンマリを食べた。表通りにはキャラクターショップのようなものがならび、裏に入るとまさに裏原宿のように小さなショップが立ち並ぶ。それにしても韓国のキャラクタービジネスの旺盛さも目を見張るものがある。
画像14 歩きつづけて疲労がすごかったので、カフェを見つけて入る。韓国にはたくさんのオシャレカフェがある。入ったところは二階にあり、オシャレな部屋のようなところだった。物静かなイケメンの店員さんが一人できりもりしていた。ココアを注文したが、このうえなく美味しかった。
画像15 再び明洞に赴く。やはりここの物量の多さには驚く。夕飯に参鶏湯(サムゲタン)を食べた。
画像16 三日目の朝、仁寺洞(インサドン)の街を歩いて景福宮(キョンボックン)に向かう。車通りが多く、運転は荒い。高級車ばかりなのは、見栄なのだそうだ。安物で走っていると煽られるのだとか。バス専用の道路もあり、渋滞で遅延することもないのだとか。この日は寒さが厳しい。
画像17 道を歩いているとこうした壁画に出会う。
画像18 景福宮が見えてきたところで、ふと目に飛び込んできた凄まじい像。なぜ腹を出した男の子の股に何人も頭をつっこんでいるのか。そして腹を出している男の子の表情はどういうものなのか。さらには、いちばん後ろの男の子はなぜ尻を出そうとしているのか。すべてが謎であった。が、あとでSNSで聞いたところ「馬乗り」という遊びだそうだ。尻を出そうとしているのではなく、脱げそうなのをおさえているのだそうだ。
画像19 景福宮前の道路。広大。
画像20 景福宮。かなり広い。チマチョゴリを着た観光客がいたるところで写真を撮っていた。後ろに見える北漢山(だろうか?)がいい表情をしている。
画像21 国立民俗博物館に入り、韓国人の生活の風景を辿る。こうした「虎」が多く出てくるが、韓国では虎は山の神として知られている。神話では「熊」と「虎」が人間になりたがり、修行をしていたが、「熊」のほうは人間の女になれたが、「虎」は修行に耐えきれずに人間になれなかったという話が韓国にはある。中島敦の「虎」の原風景にはこうした韓国の「虎」があるような気がしている。
画像22 仁寺洞の街を歩く。ここは、書や茶などの骨董品が立ち並ぶ。僕にはここがいちばんおもしろかった。「虎」の掛け軸を買った。
画像23
画像24 仁寺洞から北村へ。ここはいわゆる日本でいう「山の手」だ。丘の上に富裕層の「両班(ヤンバン)」たちが住んでいた場所。瓦屋根のいい家がいまもたくさん残っている。しかし坂が急で行き帰りは大変だったろう。
画像25 再び仁寺洞に戻ってくる。仁寺洞にはいろいろな面がある。開拓されてオシャレな店がたちならぶ路地と、いわゆる下町のようなところで、少し卑猥な場所もある。開けたところでおじさんたちが異常な数集まっている場所があった。この寒いなかでゲームをしている。
画像26 仁寺洞のオシャレ路地裏を歩く。スイーツがたくさんある。韓国女子しかいないところでティラミスを食べる。美味しい。
画像27 新宿のゴールデン街のオシャレショップ版だと思うとイメージがしやすい。本当にオシャレカフェやバーなどがたちならぶ。女性たちが夢中になって韓国韓国言うのもわかる気がする。
画像28 同じ路地を歩いていても、こうした酒と肉の匂いのする路地もある。
画像29 美大生たちが似顔絵を描く商売をしている。暇な時間もずっと何かの絵を描いて練習している。気温は0℃に近いなか、なぜ手が動くのだろうか。
画像30 旅に出ると自分の外部に触れる。見たこともないもの、触れたことのないもの、考えたこともないものが、目の前にあらわれる。そうした断片断片が「目」を更新していく。そこに、中島敦が見た景色を想像してみたり、神話の世界を重ねるとまた、別のグラデーションを見せる。そうして練り上げたものを、僕はまた詩の言葉に鍛え上げていく。

Web Magazine「鮎歌 Ayuka」は紙媒体でも制作する予定です。コストもかかりますので、ぜひご支援・ご協力くださると幸いです。ここでのご支援は全額制作費用にあてさせていただきます。