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来週の女より強いめで抱きしめて

なんという歌詞を書くのでしょうつんくさんって人は。
公認で口づけて、ってなんなんですか…公認で口づけてって……もう…わたしも公認で口づけられたい…

まあなんだ、年の瀬も年の瀬で、
近所に友達もいなければ家族もいないし、
いても出歩くのとか愛想を振りまくのとか嫌だから家にいたいし、
花火大会に参加もしたい気持ちもあるけど社交性は休暇中だし、
ほっとくとエンデはポテチとチョコレートしか食べないからってお味噌汁を作ってくれて(最高か)背中とんとんしてくれて(最高か)髪をなでてくれて(最高か)紅茶を淹れてくれて(最高か)好きなものを覚えておいてくれる(最高か)人も日本に帰っちゃったし、
まあ一人もそれはそれで気楽なんだけどそろそろ寂しさが勝るお年頃(27歳)なのである。

つまり、孤独と自由に挟まれ身動きがとれなくなっている。
昨日は美術館に行ったんですけどね。

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写真の歪みは心の歪み。

美術館や博物館などの館の、思想の渦巻いた空気が苦手だった。
ただそれは、わたしが何も知らず何も理解せず観ているから押しつぶされそうになるだけで、少しずつでも何かを知れば、渦巻いた空気も紐解いてゆけるということを最近知った。
まだぜんぜん知識なんてないけど、奥華子流に言えばお財布も知識も経験も7つ上のあなたには絶対的にかなわないけど、何ごとも知ってゆけばいいんだなということは知れた。

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だいたいそんな感じの一年だった気がします。
適当にまとめようとしたけどぜんぜん無理だわ。ぜんぜんそんなことないわ。

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ただなんか、モネがけっこう好きで、ルノアールもそこそこ好きで、印象派はだいたい好きだなって思うけどゴッホはそんなでもなくて、マネは人のいる絵はキツくて、ゴーギャンはやっぱり有名なだけあるなあってくらいで、フェリックス・ヴァロットンに妙に惹かれて、レンブラントは流石で、シュールレアリスムはそんなに得意じゃないけどパパエンデのはストンとお腹におさまって、ボナールからもなぜか目が離せなくて、統合失調症みのある絵はしんどくて、でも鉛筆画なら好きで、っていうことはなんとなくわかってきた。

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そして、絵だけを観るんじゃなくてその時代に想いを馳せるみたいなのの意味がやっと少し理解できた。
仏教美術みたいな授業、もうちょっとちゃんと受ければよかった。と、大学を卒業して数年経った人みたいなことを思う。大学を卒業して数年が経ったから。

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基本的に、宗教色の強すぎるものやわかりやすいメッセージ性を孕むものは絵に限らず苦手で、なんなら人物や生き物の一切登場しないものに安心し惹かれる傾向にあるかもしれない。
振り返ると少し前の日記にも「言葉のいらないものと、言葉しかいらないもの。私はただの美しい風景が好きだ。人間の入り込む余地なんてないもの。生き物の出てこない小説が書きたい」とあった。
そんな小説、成り立つのだろうか。

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モネの重たい本を買おうとしてやめた。
20€だし買っても良かったのだけれど、どうせ家に帰ったら読まなくてただのインテリアと化すだろうと買わなかった。重いし。

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それでもやっぱり欲しくて、なんだかうずうずしている。

バレエを観たりオペラを聴いたりしても思うのは、ちょっと苦手だと思っていたものが最大級のパフォーマンスを発揮したときの美しさたるや、ということ。
ポートレートはそんなに好きじゃないと思っていても時たまものすごく衝撃を受けるし、女性のバレリーナはみんな80〜120点くらいで最高だなってうっとりしてるところに男性が160点くらいのインパクトを与えてきたりもする。

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全体のバランスのとれたものがとても好きだなということにも気がついた。
単になんとなく綺麗なのではなく、均整のとれたフォルムにわたしはうっとりするようだ。
2020年は自分も整えていこうと思う。

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やはり芸術はよい。
しかし、物を作りたくなってしまう。
料理も裁縫も楽しいから好きだけど、中途半端に役に立ってしまうからよくない。
わたしはもっと生きるのに必要のないものを作りたい。
くるみ割り人形など。

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去年も今年もいろんなことがあって、まあ生きているのだしずっといろんなことがあって当たり前で、これからもいろいろあるのだろうけど、それでもまあまあしんどいことがいっぱいあったドイツ。今もあるドイツ。

今年の前半くらいまでは、嫌なことがいっぱいあって、楽しいことも少しはあったけど、ドイツに来てよかったかな?と言われたらそうでもない気がしてた。
ルクセンブルクにも行ったしオーロラも観たし小説も書き上げたのに、なんだか釈然としなかった。

オペアをやめてから、スイスに行って、リヒテンシュタインにも行って、たくさん優しくされて、久しぶりに息が吸えて、新しく仕事をして、ビザに頭を抱えて、ベルギーに行って、小説を書いて、評論も書いた。
まあまあつらかったから帰国しようかなとも本気で検討した。心残りが多すぎて帰れなかった。

わたしはなんにも変わらないなって呆然とした。
変わることなんて期待してなかったはずなのに、やっぱりどこかで期待してた。
それも、自分にじゃなくて、外国が勝手にわたしをいい感じに変えてくれるんじゃないかなって。

夏以降は、語学学校に通って、働いて、優しい人に囲まれて、働いて、文句を言って、ビザに頭を抱えて、電車に乗って、ビザに頭を抱えて、何度もベルギーに行って、ビザに頭を抱えて、またスイスに行って、バスに揺られて、将来が揺らいで揺らいで、たくさん笑ってたくさん泣いた。

今でも、朝起きたら勝手にかっこいいわたしになっててほしいし、それが無理ならギリ若いうちに資産家つかまえて養ってもらうべきか?なんて不安になる。
経済的に頼るべきは好きでもなんでもない人だし。
好きな人には迷惑かけたくないし。
もう無理!ってなって甘んじるのであれば、一生好きになれなさそうな顔と性格の人じゃないと嫌だ。申し訳なくなりたくないから。
お金を稼ぐ能力がある人は素直にすごいと思うけど、屈折した心が黙ってくれない。
ごちゃごちゃ考えて、多分わたしはそういうの向いてないだろうなってうっすら気づき、それでも真面目に生きることから目を背けようとする。

ほんとうになにも変わらない。なんにも。

それでも、わたしはもうやりたくないことなんてしないぞと決めた(はずな)ので、何にも惑わされずどんな時代にも流されず(大器晩成/アンジュルム)、フランクルやエンデ、フロムなどの言葉を胸になんとか生きるのだ。


変わらない一年前の日記はこちら

たぶんあと一年くらいで本帰国するだろうな、という展望があって、とはいえその先ずっと日本で暮らすかと問われたらちょっとまだわからない。
ただまあどこだって住めば都でどこだって地獄で、どこにでも優しい人はいて最低な人もいるのだから、愛のある場所に愛をもってふらっと住みつけばよいのかなとだけ思う。
徒歩圏内に図書館があればどこでもいいや。
一人旅はもう当分おやすみかな、という気もしているし、とうとうわたしも落ち着いてしまうのかもしれない。
「子どもつくって結婚すればいいんだよ」という外野を無視し続けてよかった〜!


みんなの2019年はどうでしたか。

人を愛せましたか、自分を愛せましたか、ジムはさぼらず通えましたか、積読の消化はできましたか、会いたい人に会いに行きましたか、シンクの掃除は定期的にしましたか、日記は続きましたか、行方不明になった靴下の片方は見つかりましたか、スマホの画面保護シートは綺麗に貼れましたか、靴擦れしませんでしたか、冷蔵庫の扉に醤油やワサビの小袋を溜め込みませんでしたか、コレステロール値は改善されましたか、シャンプーの底をぬるぬるさせませんでしたか、何回かは靴を磨きましたか、シャーペンの芯が詰まってもイライラしませんでしたか、ゴミ出しが間に合わなくても自分を許せましたか。

最近自分の文章が好きすぎます。
だから何人かに有料noteをプレゼントしようかなって思います。
スキをくれた人の中から抽選で3人くらいにランダムで贈ろうかな。
読みたいnoteあったら言ってね。あげるかはわかんないけど!

みなさん今年もいっぱいありがとう。
あったかくして美味しいもの食べて、できるだけ楽しく年越ししてね。
余裕があったら2020年はどんな感じか教えてね。
それによって行くか行かないか決めるので。

良いお年を!

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