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ペットロスにならないかもしれないし、なるかもしれない。

今年のお正月に、13年以上飼ったワンコを看取った。

最初は他の家族にも世話させようとして、「家族みんなの犬」として扱っていたけど、結局は毎日餌を与え、散歩に行く私になつくし、病気になってからは到底他の人に世話を任せる気にもなれず、まるで私が産んだんじゃないかと思う存在に。

最期はワンコも耳が遠くなったり、白内障が進んだりして、私の姿を24時間探すようになり、私もワンコの調子を24時間気にして過ごした。

私の眠りが浅くなればワンコも起きて私を見るし、ワンコが起き上がる気配に私もすぐ目を覚ましていたので、病気がちになった最期の5年余りは、毎晩何度も起きていた。

散歩も歩かせてはいけないと言われてからは、抱いて散歩コースを回り、トイレをするポイントだけ降ろしていた。

私にとって、老犬になってからのうちのワンコは、「そっと大事に世話をする、永遠の赤ちゃん」だった。昼間過ごすリビングにはワンコの寝る場所が5か所もあって、人間はワンコの行きたい方向を邪魔しないように暮らした。家族が私とワンコの間に入ると、ワンコが私を見失うので、家族をどけた

そうやって、ベタベタに甘やかして暮らしていたので、ワンコが亡くなったら私が精神のバランスを崩すんじゃないかと、子供たちや獣医さんは思っていたらしいけど、最初の数日は確かに泣いていたけど、一週間も過ぎると、遺品を見ても泣かなくなって、案外平気で、自分でも不思議。

一時的に、不正出血が出たり、心臓の調子がおかしくなって、疲れが激しかったけど、ワンコの事を思い出す場所に行っても、人に話をしても、予想していたほどには泣けてたまらないとかは無い。

ワンコが生きていた頃の私の可愛がり方から、知り合いが想像する私の悲しみと、私自身の態度の差に申し訳ないくらい。

亡くなる前の三時間位の苦しみは、思い出すと胸が苦しくなるけど、何度思い返しても、あれ以上に苦しみを減らす方法は無かったと思うと、なんとか最善を尽くせたんじゃないかと思う。

まだ無くなって二週間もたっていないから、これから本当に寂しくなってくるのかもしれないけど、

私が(今のところ)ペットロスになっていない理由は、

・亡くなった原因に納得しているし、最期の二週間の症状から、寿命だと感じていたから。

・もっと、こうしてやればよかったとか、世話や看病に後悔する事が思い出せず、毎日あれ以上の可愛がり方は無かったように思うから。

・亡くなる三時間前まで、まあまあ普通通りに家で一緒に生活できたし、出来るだけ苦痛は取り除けたと思うから。

・私と一緒に居さえすれば幸せ、という態度のワンコだったので、私の予定は最大限ワンコの体調に合わせて過ごしたから。

・本当は一分も苦しませたくなくて、安楽死させてやりたかったので、その気持ちを獣医さん、家族には伝えることが出来た事。

・結果的にはタイミングが合わなくて安楽死させられなかったけど、家族全員で看取って、火葬に出すことが出来て、家族の気持ちも納得できる形で亡くなったこと。

などかなあ、と思います。

亡くなったのは何故なのか、分からなかったり、気が付くのが遅かったとか、もっと治療できたかもしれないとか、そうゆう気持ちがあったら、すごく辛かったでしょう。

今は、とにかく、ワンコの苦しみがもう終わったこと、これ以上辛い目には合わない事が良かったです。この冬は寒さにも弱くなっていたので、朝冷え込んだりすると、この本格的に寒さにあてなくて良かった、次の夏の猛暑に合わなくて済むから良かった、と思います。

若くて健康だった頃のままに生活できるなら、永遠に一緒に居たかったですけど。犬の一生は案外短くて、元気いっぱいに過ごせる年数は数年間なんですね。。。

今の知識と経験を最初から持って飼ってあげたかったけど、これは子育てと同じで、無理なことなんで、その日その日に最善を尽くしたと思うことに。

本当のロスはこれから来るのかもしれませんが、、、ただ泣けばいいなら、ワンコの苦しみをどうにかして減らそうと悩むよりも、ずっと楽なので、ただ泣こうと思います。

#愛犬 #ペットロス #ワンコ #エッセイ

疲れる毎日を誰かの文章で癒されたい。そして、私も誰かを癒したいです。いつかできたらいいな。