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茹でる、触れる。


ぐっすり寝て目覚めた。

なのに起きてすぐ、些細なことに苛立ち、また不機嫌モードに入っていこうとする自分を、必死で引き留めようとする。

たぶんこれは月のホルモンバランスのせいだな、と最近になって気付いたけど、ここ数日気持ちの面で不調続き。



なんとか平静を保とうとして、最近毎日開いている本がある。
これを眺めていると、すこし、整うような気持ちになる。
料理の本なのだけど、食べるための本、日々生活するための本、という言い方のほうがしっくりくる。


それを昨日も見て、そうだ、明日は予定のない貴重な朝だから大豆を茹でよう、そう思って、昨日の夜に水に浸しておいたんだった。


朝ごはんのフレンチトーストを食べたあと、大豆を茹で始める。
あくをすくい、すくい、少しずつ、心が落ち着いてきた。


茹でているあいだに、すでにゲームに夢中の兄弟に、からむ。

ねそべった次男をなでまわし、赤ちゃんのころ、こうやってマッサージしたよねぇ、と話す。
もちろん、目線は画面だけど、笑ってる。

長男も撫でてみる。
正直、彼はもう男の子、というより男だし、なかなかあえて抱き締めたり、撫で回したりすることは、最近では、ない。

でも、いい筋肉してるねぇ、と言いながら触ると、まんざらでもなさそう。
ちなみに彼は、小さなときから、ちょっと触るだけでくすぐったい、と身をよじらせて笑い転げる人だったのだけど、それは今も変わらず。

おなかあたりは、触れるだけで笑い転げる。
私は今でもなんだか、それがうれしい。


朝から何やってるんだか、という感じだけれど、やっぱり触れる、って大事なことだなぁと時々しみじみ思ったりするのです。

そうしているうちに、少しずつ、気持ちもやわらかくなってくるのを感じる。


そう、大豆は茹であがってすぐに、塩をぱらりとふって、いただきます。

それが、本当に美味しくて。
味見程度のつもりが、彼らに何度もおかわりをねだられる。

結局、午後のおやつにも、晩ごはんにも、食べていた。笑
本当は何かにアレンジしようと思って、いっぱい茹でたんだけど。ま、いっか。




夕方日が傾いて少し暑さがやわらいでから、次男と自転車で出かける。

日中、車で走っていたとき。
向こうに見える黄色い畑、ひまわりだよね、でもなんか高さがないよね、ほんとにひまわりかな、なんて言いながら通りすぎたところ、確かめにいくことにしたのだ。

道はよくわからないけど、とにかくその方向を目指して、はじめて通る民家のあいだの細い道を抜けて、二人で走った。



到着すると、やっぱりひまわりだった。
でも、遠くから感じたとおり、腰くらいの高さの低いひまわり畑。

そこには、ご自由におとりください、の看板が。

なんだかすかすかしてるな、と思ったのは、ところどころ切り取られているからだったのか。
小さいの一本、もらっていく?となったものの、そこはやはりひまわり、茎は丈夫で手ではちぎれそうになかったので、あきらめた。




わが家は、夏休みも夫が休みをあまりとれず、サッカーの予定もあり、特にどこにいく予定もない。

他の家庭をうらやましく思う気持ち、子どもたちに申し訳ない気持ち、それを含んだいろんな複雑な気持ちに、心をもって行かれそうになることも多い。

だからこそ、日々の小さなことを、小さな発見と楽しみを、大切にしていきたいな、なんて思っている。
(そんな余裕のないときも、多いけど。)


今日も読んでいただき、ありがとうございます。



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