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嘘をついたら、少しだけすっきりした。

昨年から、近所の整骨院に通っている。在宅ワークで痛めた首や肩の治療のためだ。だいたい週2~3回のペースで、もう50回以上になる。すっかり常連だ。しかし、その日はいつもと違う時間に予約したせいか、勝手が違った。

待合室にいる人の顔ぶれがまず違ったし、担当するスタッフも違った。そして一番違っていたのは、施術の順番だ。

その日は「温熱」からのスタートだった。

温熱というのは文字通り体を温める施術で、うつぶせで寝た患者の背中に電気マットを乗せて、5分かそこら施術箇所の筋肉を温めて血行を良くする。いつもは鍼(はり)が先で、お灸といっしょに温熱をするのだけど、その日は温熱からのスタートだった。

温熱からスタートするということは、つまり、手が空いていないということだ。マッサージや鍼灸の施術は専門のスタッフでなければできないが、電気マットをかけるだけなら受付のスタッフでも対応できる。だから、専門のスタッフの手が空いていないときは、とりあえず空いたベッドに患者を案内して電気マットを乗せておく。これまでにも何度かそういうことがあった。そして温熱からスタートした日は、決まって時間がかかるのだ。

だからその日も、温熱からスタートした時点で、これはちょっと時間がかかりそうだぞ、と覚悟していた。そのうえで、いつもなら灸といっしょにやるところを別々にやったら、それだけ時間の無駄だよなぁ。釈然としないなぁ。なんて考えながら、うつぶせの体勢で施術が終わるのをじっと待った。

しかし、一向に鍼灸の担当者が来ない。時間がかかると言っても、いつもであればマットを乗せて5分か10分すれば、次の施術の担当者が来るのだ。その日は、電気マットを置いてから20分近く経ったところで、ようやくスタッフが様子を見に来た。電気マットを外しながら、すぐに別の人間が来るので待機しているように、と言われた。

そこからさらに待つ。待てど暮らせど担当者が来ない。ベッドに案内されてから、すでに30分ほど経過している。いったい何事だろう。

ちなみに施術室は個室ではない。10台ほどのベッドが、病室とか学校の保健室とかにあるようなレールカーテンで仕切られている。そんな状態だから、周囲の音は筒抜けだ。大半はスタッフと客の世間話なのだけれど、たまにスタッフ同士の会話も混ざる。内容のすべてはわからないが、声色から誰かがミスをしたことくらいは伝わる。内容が分からなくとも、誰かの怒りやイライラに触れるのはあまり気持ちのいいものではない。またあるときは、誰かの発した冗談をきっかけに、その辺一帯で笑い声が爆発する。聞きながら、自分が輪に入っていない笑いはときに苦痛ですらあるのだな、とぼんやり思う。

騒音にさらされながら手持ち無沙汰(スマホなどもいじれない)で過ごす30分は苦痛だったけれど、それに輪をかけて気になっていたのは、せっかく温めた体の部位が冷えてしまったのではないか、ということだった。なんのための温熱という手順なのだろう。そもそもいつもは施術の最後にやっているくらいだから、冷えるかどうかは問題ではないのかもしれない。それでも、せっかく筋肉を温めたなら、冷えて固まらないうちに施術してほしいなと思った。

あれこれ考えている間も、担当者はやっぱり来ない。マットが取り除かれてからしばらく経っている。仕方がないので、カーテンから顔をのぞかせて近くのスタッフに声をかけてみた。すると、私が声を発するや否や「すぐいきまーす!」と勢いよく返ってきた。

やや食い気味の、あまりに早すぎる返事に、ひょっとして忙しかったのではなく伝達ミスか何かだったのだろうか?、と勘繰った。黙って待っていないで、さっさと声をかければそれで済んだ話なのかもしれない。もしそうだとすれば、黙ってベッドに寝ていた自分のなんと滑稽なことだろう。その姿を客観的に想像して、なんともやるせない気持ちになった。

いたたまれなくなった私は、間もなくやってきたスタッフに、「11時には帰りたいので、それまでに施術していただくのが難しそうでしたら今日は失礼します」という話をした。その時点で10時半を過ぎていたから、今すぐ施術に入ればぎりぎり間に合うかどうか、というタイミングだ。

本当は用事なんてなかった。ただ、とにかくこの場から離れたい一心でついた嘘だった。しかし嘘ではあるが、私が提示した時間はいつもであれば何の問題もなく間に合う時間だったから、筋の通った要望でもあったはずだ。

「何かご用事ですか?」

「……はい」

厳密にいえば、私が嘘をついたのはそのときだ。「用事なんてないけどこの場にもういたくないのです」と伝えることができず、仕方なく用事があると嘘をついた。しかしそれがよくなかった。

スタッフに「何時までなら大丈夫ですか?」と重ねて聞かれ、「11時には帰りたいので……」と改めて返した。さっき同じことを言ったのに、とスタッフを非難する気持ちが芽生えると同時に、もう少し早い時間を提示しておけばよかった、と後悔した。案の定、スタッフから「せめて鍼だけでも――」と食い下がられた私は、それを断る理由を失った。

「今すぐ帰らなければ間に合わない!」というタイミングで声をかけるのもおかしいな、と思い、少し余裕を持った時間を伝えたのが裏目に出た。しぶしぶ鍼治療を受けながら、慣れない嘘はつくものではないなと反省した。

そのあとも、その整骨院には何回か通った。しかし一度嘘をついたせいか、面と向かって話をすることすらはばかられて、どうも気持ちよく施術を受けられない。行けば行くほど後味の悪さがぶり返すので、ついに通わなくなった。回数券がまだ残っていたのに。

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たったひとつのしょうもない嘘で、通う気が失せてしまった。下手な嘘は、自分の選択肢を狭めることがある、と身をもって学んだ。だから、なるべく嘘をつく必要のない生活を心がけたい――と、一度は思った。

しかし、よくよく考えるとどうも違う気がする。

実のところ、その整骨院に通うのは前々からめんどうに感じていたので、ようやく踏ん切りをつけられてすっきりしている自分がいることも確かなのだ。

例の後味の悪さだって、「嘘をついたことに対する罪悪感」みたいなものだとばかり思っていたけれど、よくよく振り返ってみれば「気の合わない相手と顔を合わせることに対する気まずさ」を感じていただけなのかもしれない。嘘をつく前まではなるべく気にしないようにしていたのが、嘘をついたのをきっかけに表面化したのかもしれない。

ようするに、嘘をついたことで自分に正直になれたってことなんじゃないだろうか。なんて考えるのは、ちょっと無理があるだろうか。

執筆:市川円
編集:アカ ヨシロウ

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