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幸せは時間をかけて積み上げるもの

妻が「幸せは過程にあると思うんだけど、どうしても幸せは手に入れるものだと思ってしまう。ディズニーとかも『こうしてシンデレラは王子様と幸せに暮らしました。おしまい』的な感じで終わるし」と言うので、今日は「過程にある幸せに目を向ける方法」について考えてみたいと思います。

幸せの形について考える

「幸せ」について考えようと思ったときに真っ先に思い浮かんだのが、THE BACK HORNというバンドの『シリウス』という曲でした。

待ち焦がれる幸せも
家路を急ぐ幸せも
もう一度抱きしめて
もう二度と離さずに

引用:シリウス - THE BACK HORN - 歌ネット

私は普段、あまり歌詞に注目して音楽を聞かないのですが、この歌詞はやけに耳に残っていて、聞くたびにじんわりとした不思議な感動が胸に広がるのです。

待ち焦がれる幸せと、家路を急ぐ幸せ。この2つの幸せは、けっして「2つ」ではなくて、人と人の組み合わせの数だけある、無限の幸せの形ではないでしょうか。

たとえばそれは、こんな形かもしれません。

待ち焦がれる幸せの形

大切な人を、じっと家で待つ。

記念日だからとあの人の好物を取り揃えて、すっかり準備が終わって1人テーブルに着く。

早く食べてもらいたくて仕方がない。

あれもこれもと思いつくままに作ったら、ちょっとだけ作りすぎてしまった。けれど、きっとおいしいおいしいと食べてくれるに違いない。

ぜんぶ食べてから、「ちょっと多かったね」なんて言いながら、駅前で買ってきたデザートもきっと食べてしまうんだ。

あの人は記念日なんてすっかり忘れているかもしれないけれど、それだって構わない。

ああ、早く帰ってこないだろうか。

家路を急ぐ幸せの形

大切な人のもとへ、急いで帰る。

いつもより早く仕事が終わって、2本も早い電車に乗れた。

あえて連絡しないで帰ってびっくりさせてやろうか。うん、それもいい。

あとはそう、特に理由はないけれど、お土産でも買っていこうか。早く帰ってお土産もあったら、もっとびっくりするに違いない。

お土産は何がいいだろう。そういえば最近プリンを食べてないな。あの人が大好きなちょっと高いプリンを駅前で買っていこうか。

何の理由もなく買っていったら「節約しなさい」って怒られるだろうか。まあ、それはそれで仕方ないか。私も食べたいし。

ああ、早く駅に着かないかな。

幸せな2人が出会うから幸せ。幸せでない2人が出会うなら幸せではない

この2人にとって、はたして出会うことだけが幸せでしょうか?

もちろん出会った瞬間は幸せかもしれませんが、出会うまでの焦がれる瞬間も幸せを感じているように思えます。

反対に、出会うまでの瞬間に幸せを感じていない2人だったなら、彼らは出会ったとしても幸せにはなれないのではないでしょうか。

つまり幸せとは、幸せでない状態から急に幸せになるものではなく、少しずつ積み上げていくものなのではないかと思うのです。

そして積み上げた幸せは、何かの拍子に減ることもありますし、減ってしまってから「あのときは幸せだった」と気づくこともしばしばあります。今この瞬間も幸せは増えたり減ったりしていて、しかし私たちは幸せの変動をなかなか知覚することができません。

だからこそ過程にある幸せに目を向けることが大切なのですが、過程にある幸せに目を向けるためにはやっぱり幸せは手に入れるものだと考えたほうがよい、というのが私の結論です。

幸せは手に入れるものと考えたほうが分かりやすい

実はこれを書くにあたってWEBの情報をちょこちょこと調べたのですが、「幸せは結果でなく過程にある!」って言い切ってるサイトが少なくありませんでした。

でもこの考え方だと分かりづらいうえに、そもそもちょっとズレている気がするのです。

ほしいものを手に入れて得られる幸せはあまり長続きしない、みたいなニュアンスらしいのですが、それって「手に入れることそのもの」を目標にしているから長続きしないだけで、「それを使ってどんなことをするか?」に目を向けていれば、そのものを手に入れることが将来の幸せに直結してますよね。

色鉛筆を買って絵の練習したいんじゃー!って人にとって、色鉛筆を手に入れることは立派な幸せの入り口と言えるでしょう。

だからやっぱり幸せは手に入れるものだと考えていいと思います。

ただし幸せを積み上げるには時間が必要である

ただ勘違いしてはいけないのは、色鉛筆は幸せのきっかけであって、そこから幸せを積み上げていくためには時間が必要である、という点です。そう、幸せの総量を増やすためには時間が必要なんですよ。

さっきのケースの2人も、相手のことを思いながら過ごす時間が長ければ長いほど、幸せは膨らんでいくはずです。

たぶんこれが「幸せは過程にある」って言われる最たる理由だと思うのですが、幸せは微分ではなく積分で考えるべきで、幸せ「らしきもの」を手に入れた段階ではどんな幸せも大したことないので、そこから時間をかけて積み上げていく必要があります。

それを「過程」と呼んでもいいのですが、個人的には幸せの瞬間をひとつずつ手に入れていくと考えたほうが、より日常的な幸せに目が向けられるのではないかと思いました。

まとめ

今回は幸せの形の例として、帰りを待つ人と、待つ人のもとへ帰る人について取り上げましたが、これは対象を人でなく物に置き換えれば、たぶんあらゆるシーンに適応できると思います。

たとえば好きな映画とか、新作のゲームとか、続きを待ちわびていたマンガとか。

それらを手に入れる過程を幸せに感じられるのは、それまでに積み上げた幸せがあるからに他ならないでしょう。

幸せは時間をかけて積み上げるものなので、くれぐれも宝くじを当てて一発逆転!みたいな幸せは期待しないほうがよさそうです。

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