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酒で記憶も財布も友達も失った私が一番失いたくなかったモノ

記憶を失くしたことも、知らぬ間に友達と距離ができていたことも辛かったけれど、酒がきっかけで仕事を辞めてしまったことが一番悔しかった。

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10年前の成人の日。地元の成人式の会場となる公民館へ向かうと、懐かしい顔ぶれがそこらじゅうにあふれていた。

その日の私は、明らかに浮き足立っていた。高校へ入学してから地元の友達と疎遠になっていたせいか、就職して不慣れな仕事を始めたばかりだったせいか、初めての一人暮らしを始めたばかりだったせいか、とにかく人恋しかったようだ。

テンションの上がった私は、成人式のあとで開かれた飲み会で、あっさりと飲みすぎた。酒乱の自覚はあったから気をつけていたつもりだったのに、その日は体調が良くなかったのか、精神状態がおかしかったのか、本当にあっという間に記憶を失くした。

そこからのことはすべて、その場に居合わせた同級生から後日伝え聞いた内容だ。それだってたいがいオブラートに包まれているので、実際のところはどうか分からない。分からないけれど、オブラートに包んだ状態でもだいぶ悲惨だったので、まあ大差ない。

正気を失った私は、端的に言えばとにかくうざ絡みしていたようだ。具体的には、たとえばピンク色の服(スカートだったかコートだったかも定かでない)を着ていた女の子に、「ハムじゃーーーん!」とか言ってゲラゲラ笑ってたらしい。教えてくれたその人は電話の向こう側で笑っていたけれど、言うまでもなく私の顔は青ざめていた。想像すると本当にぞっとする。

うざ絡みし続けた私は二次会が終わったあたりでタクシーに乗せられ、一人暮らしの家まで強制送還された。問題はここからで、タクシーは私の自宅までたどり着かなかったのだ。

私が記憶を取り戻したのは最寄りの漁港だった。


……改めて文章にしてもよくわからない。

目が覚めた直後は寒さで疑問を抱く余裕もなく、「やらかした」とか「どうしよう」とか、そんなことは一切考えられなかった。ただただ寒く、体のあちこちが痛いことしか認識できない。

1月の港だ。海から吹く風は死ぬほど冷たい。大げさでなく、よく死ななかったなと思う。後で気が付いたことだが、このとき私は見慣れないウインドブレーカーを羽織っていた。そういえばうっすらとした記憶の中に、暗闇の中で「だいじょうぶ?」と声をかけてくれた人がいたような気がする。早朝に出勤してきた港で働く誰かだったのかもしれない。

さて、少しずつ冷静になってきた頭で真っ先に考えたことは「仕事へ行かなきゃ」だった。

当時の私はフレンチレストランで修行中の身で、その店は予約客限定で夜のみ営業するから、朝は早くなかった。それでも14時ぐらいには行かないと、手際の悪い私では仕込みやオープン準備が間に合わない。

辺りを見渡すと、港の管理小屋に据え付けられた時計が目に入った。10時。まっすぐ家に帰って準備をすれば間に合いそうだ。しかしその港は自宅から7~8キロの距離がある。普段ならいざ知らず、この寒さだ。歩くのはちょっと厳しい。タクシーでも呼ぼう。レストランのお客さんが帰られるときにいつも呼んでいる会社の名刺が財布に入っていたはず――。

そこでようやく、手荷物が一切ないことに気がついた。財布がないどころではない。通勤用に使っていたトートバッグが丸ごとなくなっている。せめてもの救いは、スマホがポケットに入っていたことだ。これでなんとかなる、と期待したのも束の間、電池切れだった。そう甘くない。

スマホが使えないことが分かった段階で、自宅まで歩いて帰る決心を固めた。歩けば1〜2時間はかかるだろうが、なんとか帰れないことはない。厳密にいうと「覚悟を固めた」というより、「訳もわからず踏み出した」という感じだった。よくよく考えれば、港を通る車に声をかけてみたり、管理小屋や付近の飲食店に入って暖を取らせてもらったり、タクシーを呼んでもらったり、なにかしらできた気もするが、そこまでの頭は回らなかった。

そもそもそのときの精神状態は「つらい」というよりも、仕事に間に合わせなければという「焦り」や、寒さから来る「危機感」が大半を占めていて、1秒でも早くその場から動きたかったし、誰かに事情を説明する余裕もなかったのである。

一歩、二歩、歩き出すと足に違和感が生じた。お気に入りだったドクターマーチンのショートブーツから足を抜き出すと、靴下を履いていない。さらに、ブーツを履いていたにもかかわらず、なぜか右足の親指の爪が割れていた。あいかわらず訳が分からない。何かに盛大につまづいたのだとしても、ブーツの方に傷がないのはおかしい。一度靴を脱いだのかもしれない。なぜ? 考えるだけ無駄だ。とにかく歩く。

港から家へと続くその道は、大きめの河川に沿って整備された遊歩道で、昼夜を問わずそれなりに人通りがある。人とすれ違うたびに恥ずかしかった。いや、恥ずかしいかどうかは正直なところよく分からなかった。そもそも今の自分がどんな格好をしているのかがよくわからない。何より今がどういう状況かよくわからない。

ただ、朝帰りしたとき特有の、「こんな酒臭い人間がこんな時間にぶらぶら歩いて、平和な景観を損ねてすみません」といった、卑屈な申し訳なさをずっと抱いていた。

それでもこの時点では、不思議と絶望感はまだなかった。「家に帰る」「仕事へ行く」と目標がわかりやすく、他のことを考える必要がなかったからかもしれない。

ひたすら歩いて市街に入る。このころになると、ずいぶん頭も冴えてきた。動いて体が温まり、軽く汗をかいて酒が抜けたのかもしれない。「自分はいったい何をやってるんだろう」なんて、くだらない疑問が頭に浮かぶ程度の余裕が出てきた。少なくとも今悩むことではない。

家までもうほんのわずか、というところで「ひょっとして鍵もなくしたか?」と焦ってポケットをまさぐると、すぐに見つかった。ひと安心だ。

まったく、ギリギリで最悪の事態を回避している。ちなみに港で目を覚ました場所は車道だったので、車に引かれなかったことも幸運といえば幸運だ(ひょっとすると足の爪は車に引かれて割れたのかもしれないが)。

見慣れた路地に入って、安アパートの2階に上がり、鍵を開けて勢いよく我が家に飛び込む。部屋の中を見渡すと、荒れた様子は特にない。

荷物がなかった理由について、「ひょっとして一度家に帰って置いてきたのかもしれない」なんて淡い期待を抱いていたのだけれど、そんなことはなかった。ないものはない。

とにかく風呂に入ろう。汗と汚れでどろどろだ。

シャワーを浴びると、温かいお湯が冷たい身体に染み渡る前に、左目の周辺がじくじくと痛んだ。慌てて鏡をのぞき込むと、左目の目尻のあたりになかなか深い傷が刻まれていた。転んでついた傷というより、誰かに殴られた傷に見える。その場で深く考えるのはやめた。何はともあれ、よく失明しなかった。不幸中の幸いだ。

しかし痛い。目が痛い。足の指が痛い。目立った外傷がない肩や背中や腕や足も痛い。さすがに泣けてきた。温かいシャワーで、凍っていた感情が溶けたのかもしれない。


シャワーを済ませて一服していると、仕事へ行く時間になった。出勤の準備をしなきゃ、と考えた直後に、バッグがないことを思い出す。

大した荷物もないけれど、コックコートはどうやって持っていこう。歩いて10分の職場だし、ビニール袋でもあればいいか。スーパーでもらったビニール袋にコックコートを詰め込んで家を出た。

レストランに着くと、まだ裏口が開いていない。一番乗りだった。よかった間に合った。自分の他にはシェフが1人とソムリエが1人しかいない小さなレストランなので、自分が一番になることは珍しくない。むしろ立場からすればそれが当然で、そうでなきゃこまるのだ。

着替えて、オーブンに火を入れて、掃除機をかけて、昨晩の洗い物やなんやかやをかたして、そうこうしているとシェフがやってきて、私の顔の傷に驚いた。事情を説明すると、シェフは笑っていた。よかった。これくらいで済むのか。大変なことになったけれど、友達にどれだけ迷惑をかけたのかもぜんぜん分からないけれど、仕事がこれまで通り回るならある程度精神を保っていられる。

そう考えた矢先、一番なくしてはいけないものをなくしたことに気がついた。

シェフから教わったすべてを書き込んだ手帳、つまりレシピブックだ。いつでもメモできるように、仕事用のバッグに入れて肌身離さず持ち歩いていたことが災いした。

え、どうしよう。あれがないと仕事にならない。ようやく任せてもらえるようになった食後のプチフール(一口大のケーキ)も、レシピがなければ満足に作れやしない。うろ覚えで作れるほどの経験も応用力も自信もない。

何より、シェフにそのことを正直にいうのがはばかられた。しかし言わずに適当なレシピで作るわけにも行かない。迷った末に正直に話し、代わりにシェフのレシピ帳を見せてもらえることになった。思いのほか怒られなかった。

数日後、レストランが休みの日に厨房に潜り込み、シェフのレシピ帳から自分が教わったことを書き出せるだけ書き出した。私の手帳の半分近くを埋めていた情報が、シェフのレシピ帳では数ページに収まっていた。レシピはすべてフランス語で書かれていて、解読に時間がかかる。なんとか読めるものは日本語に変換して、読めないものはフランス語のまま書き写して後で調べることにした。レストランに就職してすぐ、フランス語くらい勉強しろと言われていたけれど、勤め始めてから半年の間にそんな余裕はなかった。

結局ほとんど1日がかりで書き写したけれど、その手帳はやっぱり私の仕事を凝縮したものではなく、あくまでもシェフのレシピ帳のコピーでしかなくなった。これなら初めからコンビニでコピーした方がよかったかもしれない。


そのころから、仕事に全く身が入らなくなった。もともと料理学校できちんと学んだわけでもなかったから、やれることも限られていて、いつまでもうまくならない包丁さばきにイライラしていた。

それから数週間経ったある日、締めの作業中にこっそり隠れてタバコを吸っていたのがばれてめちゃくちゃ怒られた。言い訳をする気も起きなくて、そのまま二度と出勤することはなかった。

自分の根性のなさに嫌気が差した私は、その後半年近く無職のまま引きこもり続けた。

私にとって、あの日なくした手帳は働いた日々そのもので、それがなくなった瞬間に「何もしていないことになった」ように感じられたのだ。あの無力感は二度と味わいたくない。

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以上が、「酒で大失敗した私が一番失いたくなかったモノは、シェフの教えを書き込んだレシピブックだった」という話だ。

しかしこの話のオチは、「飲みすぎに気を付けよう」ではない。むしろ、「人間万事塞翁が馬」、つまり人生における幸不幸は予測しがたいということを伝えたかった。

あの日、料理人の道を諦めた私は、巡り巡って文章でお金を稼ぐようになり、こんな文章を書く機会にも恵まれた。文章で家族を支えている今となっては、あのとき酒を飲みすぎて良かったとすら思える。

だからといって、もちろん酒の飲みすぎを推奨するわけではない。

ただ、一見すると失敗に思える出来事も、しばらく経って振り返るとずいぶん見え方が変わる。失敗は成功の母、なんて言うつもりもないが、失敗したことを悩みすぎるのもよくない。

私のように引きこもって自己回復できる程度ならまだいいが、まじめな人はうつ病になりかねない。くれぐれも気を付けてほしい。



文:市川円

編集:らいむ

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