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編集できないライターへ。「悪いこと」に目を向ける癖を付けよう

特にWebで活躍したければ、いまどき二流三流のフリーライターでも最低限の編集スキルを求められます。「最低限の編集スキル」とは、要約すると「自分の記事を(少しでもいいから)客観的に見ること」と言っていいでしょう。

いざ仕事をもらったけれど、担当編集からの赤入れが一向に減らないというライターさん。あるいは何回原稿を提出しても校了にならないというライターさん。自分の記事をちょっとだけ編集してみませんか?

編集できる人はだいたい性格が悪い

編集者なんて仕事をやってると、ともすれば日常的に粗探しをしがちです。

社内外問わず、メール・Slack・Chatworkなどの業務連絡に目を通しては「日本語間違ってる」「結論から言えよ」「この人、立場弁えられてないな~」とか。記事を読んでは「このライターさんほんといつまで経っても言葉のセンスよくならないな」「以前伝えたFBの意味も理解してないんだろうな」とか。

さらにプライベートな連絡でも「なんでこいついっつも要点まとめないんだろ。もろもろ分からなきゃ返事のしようがないだろ」とか。「相談聞いて欲しかったらせめて興味をそそる工夫をしろ」とか考えたりもします。

街を歩いていて、電車に乗っていて、買い物をしていて、あらゆるシーンで「他人の気の利かなさ」に憤りを覚えています。今回挙げたものなんて序の口です。無意識に考えていることまでアウトプットし始めたら、おそらく友達いなくなります。すでにちょっと減った気もします。

しかし編集という作業にはこの「憤る感覚」、あるいは「他人にケチをつける感覚」こそが重要で、ライターさんにとってはこれを「自分の作品に対して向けられるか否か」が、そのまま編集できるかできないかに繋がります。

編集とは「研ぐ」行為

結論から言うと、「良いもの」を「さらに良いもの」にするために必要なのは、「もっとも尖った部分をさらに伸ばすこと」ではなく、「尖っていない部分を削り、尖った部分をより目立たせること」です。厳密に言うと前者も大切ではありますが、特に作家よりなライターほど後者を軽視しがちではないかな、と肌で感じます。

いいものをごてごてと付け足すよりも、邪魔なものを潔く削ぎ落としていったほうが、本来見せたいものが輝くケースは多いです。

これを私は「編集とは研ぐ行為だ」と表現するようにしています。先日行ったライトニングトーク中に私がふと口にしたもので、同僚のデザイナーが「僕らの仕事と同じですね!」といたく気に入ってくれたので調子に乗って使っています。でも実際うまい言い回しだと思います(熱い自画自賛)

本当に必要なもの以外は「容赦なく」削れ

具体的にどうやって「原稿を研いでいくのか」というと、やることは非常にシンプルです。ひたすらいらないものを削ります。どれぐらい削るかというと、「本当に必要なもの以外」は全部削るつもりで削ります。本当に必要なものというのは、その原稿を読む人によって必要な情報のことです。

編集経験のある方なら分かると思いますが、どんなに全部削るつもりで削ったとしても、はじめのうちは絶対に削りきれません。あるいは逆に、削り方が悪くて本来見せたかった「尖った部分」まで失ってしまうこともあるでしょう。

でも原稿のいいところは、何度でも研ぎなおせるところです。元料理人の立場からすれば、何度でも研ぎなおせる包丁なんて夢のようなアイテムです。刃がなくなったら継ぎ足せば良いし、研ぎが荒ければもう一度研げばいい。そして研ぎ方を間違えたなら、ひとつ前のバージョンにファイルを戻してしまえばいい。(原稿は必ずバージョン管理することをおすすめします)

自分の原稿に対する編集作業は基本的に失敗が許されるものですから、恐れずに容赦なく、がんがんやってみてください。

難しければ数日~数週間置くといい

どうしても難しいという方は、数日から数週間、間をおいてから原稿に目を通すと、他人が書いたものに見えて編集しやすかったりします。

すでにやったけどダメだったという人は、数年置いてください。ヘミングウェイは自分の原稿を2~3年金庫に保管して読み直していた、なんて逸話もあるくらいです。

まとめ

最後のヘミングウェイの話はうろ覚えで書きました。ぜんぜん違ってたらごめんなさい。でも似たような話があったことは確かで、つまりどんなに大御所の作家でも、自分の作品を冷静に読むのには難儀していたということです。

もしうまくできなくてもあまり難しく考えず、ひとつでも編集者に指摘されるポイントが減ったらいいな、くらいの感覚でやってみてください。そもそもこれを完璧にやれる人がいたら、編集者の仕事なくなっちゃいますし。

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