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読書メモ:しろいろの街の、その骨の体温の(村田沙耶香)

こういう文章を読む度に、人間ってなんで生まれてくるんだろうと思う。
それは、登場人物にかなり感情移入してしまい、こんな感情に支配されていた時期を思い出すからだと思う。

2ヶ月ぶりくらいに小説を読みました(前回は恩田陸さんの「夜のピクニック」)。
学生時代がメインの小説を選びがちなのは、この時期に未練が残っているからかもしれないし、多感なこの時期に感情を揺さぶられた経験を呼び起こしたいからかもしれません。

村田沙耶香さんの「しろいろの街の、その骨の体温の」は、そんな私にぶっ刺さりまくりで、久々に学生時代の感覚を思い出しました。

まず、このタイトルを最初見た時には、あんまみかけない感じのタイトルだな、バランス悪いかな?と感じました。
まぁタイトルの意味は読んでいくうちにわかるだろうと思い、実際、序盤の方でわかるのですが、人間の感受性というか、比喩表現の豊かさって私自信が持ち合わせているものよりはるかに深いんだなと感嘆しました。
これだけで、久々に小説を手に取って良かったと思いましたし、小説も定期的に読んでいきたいなと思いました。

物語の主軸となっていると思う、「他人の価値観と自分の価値観」について学校や社会という枠組みで描かれています。
大人になった今でも、他人の価値観を気にして生きづらさを感じてしまうことはありますが、学生時代はより特殊な環境下(人間関係の流動性が極端に少ない、心身の変化が大きい等)で、そういった生きづらさを感じやすい環境だったと思い出しました。

主人公と学生時代の自分の考え方や立ち位置は、割と共通項が多く、物語を読み進める中や、自分の過去を思い起こす中で、どう考えればよい(よかった)のかなと思いながら読み進んでいました。こういった学生の生きづらさに対して、自分が先生や親の立場だったらどういう声掛けをしているだろうな...

また、自分のように感情移入できない読者は、この物語をどのように捉えているのかも気になりました。もしかしたら、多かれ少なかれほとんどの読者にとっては刺さる部分がある物語ではあったかもしれません。

今現在学生の方はもちろん、学生と関わる機会が多い方が読んでみるのも面白いと思います。

余談ですが、作中の描写で、習字の墨をする時間が大切だという描写がありますが、あれってどういう目的で言っているですかね。子供の頃から気になっていたことを思い出しました笑

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