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今問われる、学校の在り方。

コロナによる感染拡大により、現在日本中の学校の休校が相次ぐ中、オンライン授業や、学校側が課題を用意するなどとした対策をとっている学校がある。

筆者の学校は田舎にあるため後者になるのだが、それなりの課題が出されている。

そういった学校に通わずとも自主的に学習のできる方法が、今回の感染症拡大によって確立されてきている。

そんななかで、一つの疑問が浮かぶ。
これからの時代、学校はどう変化していきべきか。学校は果たして必要なのかという点だ。

これに関して、教員や両親。また現在高校生の筆者の主観を踏まえ、まとめることとする。

学校に通う大きな理由

まず、学校に通う大きな理由・利点は何か、それは主に次の3つと考える。

1 人間性の構築
 してはいけないことや喜ばしい行いを理解させ、同級生との協調性などをはぐくむ。
2 学力の向上
 今後の進学などの進路決定の際、より上の階層に入るために最も必要な能力の一つ。
3 コミュニケーション能力の向上
 社会に出た後の友人関係や、会社の面接などで必要とされる能力。

他にも、達成感や、継続力などといった力も養われる。

また、社会に出るうえでの最低限の常識やマナー、高校受験などの時には、履歴書の書き方なども学ぶことができ、恥ずかしくないレベルで社会に出ることできるので、それも学校としての大きな役割といえる。

学校のカリキュラムについて

学校で組まれているカリキュラムは、国語 数学 理科 社会 英語の5教科に、体育や美術などの副教科が4用意されている。

しかしその9の教科を、九年間は義務で学ばなければならない。筆者はそこに対して少し疑問を抱いている。

「沢山の仕事があふれている現代において、その9科目をそこまで長く学ぶ必要はあるのか?」という点だ。
もちろん、数学や国語、英語においても、とても大切な知識になるとは思う。しかし、9の科目に9年間というのは、あまりにも狭すぎるのでは? と感じてしまう。

他に学ぶべき能力というのは、どういうものなのか。
実際に教育者に尋ね、返ってきた返答をまとめてみた。

1 金銭教育
 企業 為替 投資 資産運用 税金 簿記などを学ぶ。他の先進国ではそういった教育は一般化されており、お金の勉強をしない日本は先進国から見ても珍しいケースとなっている。
2 テクノロジー教育
 今年から、小学校の必修科目にプログラミングが追加されるのだが、他国に比べるとやはりその体制は劣っているように見える。
オーストラリア 幼稚園の時点でプログラミング教育に触れる。
アメリカ            子供に向けたプログラミング教育を無料で行う。
インド                ICT先進国でもあり、とても学習能力が高く、成果が表れている。
3 アート教育
感じる 共感する 表現する能力であり、それらを習得することで、相手の意図を読みとり自分の考えなどを具現化することができる。
4 ディベートリテラシ
人の意見を受けて、自分の意見を言う力。3とは違い、こちらは言葉に関する能力。
5 カスタマイズ教育
スペックを持った人との接し方や、どういった仕事を与えるかといったカスタマイズを学ぶ。

等々があると思われる。

こう見るとたくさんあるように思われるが、それでも一つ一つとても大切な能力である。

こういったものをカリキュラムに加えていくには、狭く深くというよりも、広く浅くというものが大切になってくるのではないだろうか。
九年間という長い時間。工夫によっては、広く深くということも全くあり得ない話ではない。

また、現在習っている9科目に関係する職に就く人間は、過半数の割合すらいないことが想定されるため、そもそも「深く学ぶ」というのは、何かと不必要な気もする。

それよりも、最初は広くを浅く教え、その興味を持ったことに対して、それぞれが深く知ることができるような体制を敷くことが求められると考えられる。しかし、自分で書いておきながらこれは理想論であり、現実的にみるととても難しい面がある。

学校という場の必要性

学校の必要性の一つとして、学校があることによって学習の機会を平等化することができるということが、第一に挙げられる。

様々な親子の形がある中で、学校そのものを廃止してしまうとなると、学習をすることに貧富の差などが生まれてしまい、その結果、とても高い能力を持った子供たちが、夢をかなえることができずに人生を終えてしまうかもしれない。

それぞれの能力に応じて、自分の生きる環境を変化させることができる機会という平等は、実は学校が保っていたものなのかもしれない。

また、少しふざけた話をしてしまうと、学校があることによって、僕ら根暗男子からすれば、女子と必然的に関わることができるという面もある。

いわば青春と呼ばれるものだが、長い人生の中で一番輝き、楽しい生活を送れる場でもあるのかもしれない。

さらに、共働きや、家の家事で子供にまで手が回らないといった両親が多い中、学校は安心して子供を通わせることのできる場であり、そういった目線でも、学校自体をなくすことに対しても、賛成できるものではない。

明るい不登校という選択肢を!

今は、自分の好きなことをとことん突き詰めて、さらにそれをお金に換えることのできる時代。
不登校という選択肢も、あながち否定できるものではないのではと思う。
「これがしたい」「こうなればもっといいのに」そういった発想は、若い方が浮かびやすいと思われるとともに、両親に養われていることも相まって、かえって行動を起こしやすい場合もある。

そういった場合には学校に行かず、自分のやりたいことに没頭するという思考が「明るい不登校」という選択肢もあるのではないかと考える。

子どもの想像力豊かな状態から、型にはめるような教育をし、それを失ってしまうような子は増やしたくないと強く思う。

可能性の広がる高校

時代の変化のおかげもあり、様々な形態の高校が増えてきた。最後に、それを紹介するとする。

N高等学校
N高の大きな特徴としては、ネットと通信制高校の制度を取り入れているところにある。
高校卒業のために学習にかかる拘束時間を最小にとどめることができ、自分のやりたいことや、目標に対して多くの時間を割くことができる。
また、その目標をサポートする体制も整っており、より効率的に夢への第一歩を始めることができる。

ゼロ高等学校
こちらの高校はあの堀江貴文が主宰となり作った高校でる。様々なことにチャレンジができ、実際の仕事と同じ環境で三年間学べるという強みがある。
また行動力も養われ、人によれば泥臭く自分のやりたいことを突き詰めていくというストイックさも身につけることもできるだろう。

結果

筆者の考えたことを書きだしまとめた結果、学校は必要という結論に至った。しかし、カリキュラムには一部変更も求められるとともに、様々な未来を想定した教育というものを現実化させていく必要がある。

子どもたちにものを教える学校は、謂わば子育てにも関与しているともいえる。これから日本の未来を背負っていく子供たちのために、是非奮闘してほしい。

筆者は、この記事を書きながらあることを思い出し、それにふけていた。
それは、小学校三年生の時に学芸会で披露した劇である。

その内容というのが、とある不思議な球を拾い、未来にタイムスリップした少年が、そこの時代の学校で起きた問題を解決するというものだった。そしてその学校というのが、自分の好きなことに突き詰めて学習ができるように、自分でカリキュラムを組むという学校であった。
まさにこの記事を書くことを暗示していたかのように思えて、不思議な気持ちになった。

自分も一高校生として、今後の学校生活を有意義に過ごしていきたいと思う。

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