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エンプティチェア#3-2 【自己表現の苦手さ】 表現の呪縛からの解放と広がり

(#3-1からの続き)

Th: 今日はですね、そうそう。発信するっていうことが今のAさんにとってどういうことなのかっていうのを。過去のネガティブな感情を癒す上で昔どう思っていたかもだし、それ以上に今それをどういうふうに捉えてるのか、どうなりたいのか。前回「前提」って言葉がたくさん出てきて、面白い言葉だねって話したと思うんですけど。なんかね、そういう、自分の中にある「発信する自分」に対するイメージをちょっと今日詳しく聞きたいなというふうに思っていたんですけども。今これ聞いていて、何か言いたいこととか思ったこととか、ありますか?

Cl: そうそう、いろいろ前回から今回までの一週間で色々思うことはあって。なんだったかな、色々あったんですけど。まず、あのー、純粋にまずその、音楽をするということに関しては、もうずっと昔から、あのー、バンドサークルとかでやってる頃からですね、楽なことばっかりではないんですよね。やっぱり物理的なこともだし、自分がなかなか思うようにうまくできないとかで「あーーもう辞めたい」とか、実際ちょっとしばらくやらないとか、何回もやったことがあるんですけど。やっぱり何ヶ月かすると、「あーやりたい」って思うかどうかちょっとよくわからないんだけど、なんか結局やってるんですよね。そのまま止めて何年もたったとか、1回もないんですよ。なんかまた始めちゃってて。

 あともう1個すごい思ったのが。あの、もういろいろ昔あって、あの……。うん、音楽をやっていない時の自分って危ういというか。なんかそういう時って、例えば何かこう、ちょっと「やめろ」みたいな感じで理不尽に拘束というか、理不尽に「やるな」みたいな感じで縛られたりしてるような時って、あのー、普段の自分だったらしないような間違ったジャッジをしてしまうとか、冷静な判断ができないとか。何かね、やっぱり音楽をやってないと正常な自分でいられないんだなっていうふうに思ったのがもう10年ぐらい前ですね。うんうん、そうなんですよー。で、その時はそう思ったんですよね。そこからずっと熱心になんやかんや音楽をやっていて、シンガーソングライターとかやって。そうか、最近シンガーソングライターの活動を休止してから、今に至るまで、やってないと言えばやってないけど、でも、全くやってなくはないんですね。まあ結局そう、だからやっぱりやめてないんですよね。(中略)全然間空いてないですね。やっぱずっとやってんだな(笑)たとえ休止してたとしても2〜3カ月レベルですね、それって休止って言わないな。うん、そうだからやっぱり、音楽するということに関しては、やっぱりしてないと正常な自分でいられないっていうのは、今でも継続して、ストップしたことないからわからないというかんじで(笑)もしかしら今でも継続してるのかもしれないですね。(中略)最近の中で割と正常な判断能力を失っていたのってあの頃だと思うんですけど、その時どんなふうに音楽と付き合っていたかなあ。ちょっと思い出せないので、あのころのスケジュールをちょっと帰って確認してみます。うん。

Th: うーーーん。活動の形とかは多分いろいろな形で変わっている、今なんかこう外部に発表することがメインという感じではないと思うんですけど。ずっとこうやって続けていってるっていうのを、改めて確認するとやっぱりそうなるんですね。ずっとずっと続けていらっしゃると。「正常な判断能力」っていう言葉は結構重たいですね(笑)うんうんうん。そっかー、じゃあその正常な判断能力を失っていたかもしれない時期についてね、ちょっともう一回振り返ってみてください。ちょっとどんな感じだったかまた教えてくださいね。
 で、今のお話は音楽活動、音楽をやるという事についてだったと思うんですけど。あの、SNSとかを通じた活動とか、面接は表現ではないのかもしれないですけども、そういう言葉を使うことに関してはどんな感じで今思ってますか?

Cl: うんうんうん、そうそう。音楽の話ばかりに今なっちゃいましたけど。なんだろ、結局「表現」って言われると私の中では音楽なんですよね。そこを、いわゆる音楽家とかいうタチの人間では多分ないし、そう言われることにしっくりもこないんですけど、でも音楽が出てきちゃうのはなんでなんだろうっていうふうに、ちょっと思うんですよねえ。うん、ちょっと今聞かれてることと違う話なのかもしれないけど。えーっと、うーん。たまたま、小さい頃からそれをずっとやっていたから、それがなんか私の中でデフォルト。まぁ言い方を変えればそれ以外知らないっていうことになるのかもしれないし。なんかでも、本を読んだりとか詩を読んだりとか、朗読とかもすごい面白いと思うんですけど、やっぱり今までの人生の中の本当に大事な場面で私の心を大きくふるわせて、私の人生を変えるほどの影響を与えてきたのってどう考えても音楽なんですよね。だから、そこはもうあがいても無駄なのかもしれないですよね。音楽、なんだろうなあ、何か音楽にあるんだけど、ミュージシャンとか音楽家とかそういうスタンスの人間として生きていく事はやっぱりしっくりきてないんですよ。だけどやっぱり音楽。うん。そこはもうなんか、ずっと前から同じこと言って堂々巡りしているような気もするんですけど、やっぱり今改めて考えてみても、なんかそこ大事なところだと思うんですよね、ものすごい。
 言葉の表現というのも、結局のところ、その音楽とかをやってた頃は、それありきなんですよ。面接とかはまたちょっと話が違うけれども、SNSの発信とかウェブでの発信とかは、音楽ありきなんですよね、基本的には。そうじゃなければ、どうでもよくはないんだけど、誤解されたらイラっとしたりはするんだけど、うんうん。そうですね、そうなるから苦しい。いやでもそれだけじゃないな、やっぱり、うーん難しいなあ。なんなんだろうなあ。表現するということか、私にとって表現するということ……

 最近1個面白いなと思ったのが、島にいる間は島の生活、島のきれいな景色見てうわーっとなったりとか、面白い体験とかがたくさんあるので。何かそれで主張したい話があるんじゃないけど、強いて言うならちょっと野生児キャラみたいなのをつけたいと思っていたりしたかもしれないけど、それ以前にわあーーってことが色々あったので、それをSNSに書き込んだりしてたんですよね。だけど島から帰ってきて、まったく書くことがないんですよ、ほんと(笑)
 まあメディアの質にもよるんですけど。Twitterなんかは最近はもう鍵かけて、言いたいことをほんとにただただベラベラ吐き出してるだけの場で、後から自分で見て何か気付ければいいというかんじなんで。あれはあれで別によくて、あれはあれで言いたいことはいつでもあるっていうかんじで。あれはね、楽なんですよ、割と今。だけどFacebookのほうは、社交場というか、リアルで知り合った人と、最近私こうですとか近況報告とかコミュニケーションをする場だと思うので、なんかそういう場で「今私こうなんです」とか報告したいこととか、取り立てて言いたいことがないんですよ。伝えたいこととか全然なくて。近況報告とか、私今こういうことやってますとか、全然ないんですよね。それが面白いなと思って。私にとっての表現。うんうんうん………。そうね、だからそう考えると、心が動かされる経験がないとそれを表現したいと思わないのかな。別に今日何食べましたとか人にとってはどうでもいいし(笑)なんかこう、具合悪いんですとか言ったところでね、誰も得しないし。やっぱり、わあああーっていう経験がないと、何かを表現したいっていうふうに思わないのかな。だから何ってかんじだけど…うん、そうですね、今思ったのはそこかな。

Th: うんうんうんうん。なるほどなるほど。ちょっと今いろんなお話がありましたけど。表現…するということは、うわーーっていう素敵な感覚がないと、表現したいという気持ちにならないってことですよね。うんうんうん。
 今のは言葉とか、写真もちょっと言葉のなかに入れちゃいますけど、そういうテキストというか、なんて言ったらいいのかな。視覚データか。視覚データとして発信するにあたってはそういう感情が不可欠というか。それが今のお話からちょっと見えてきた気がしましたね。うんうん。音楽に関してはどうですか?おんなじようなかんじですか?

Cl: そうですね、どうなのかな……………。
 昔曲を作ってたころは、ほんとにその、今さっきの視覚データの場合とたぶんおんなじで。やっぱりうわーーーって思うこと感じることがあって、それを曲にしたいっていう。それを曲につめこんで、それを伝えるために演奏してたっていうかんじで。そうですね、だから昔音楽を作ってやっていた時のことは、今の視覚データで表現するっていうのと多分同じことが起きていたと思うんですよ。で、それを至上の喜びとしていた。そう、だからその頃は、人の曲やる意味ないって思ってたし。自分のそういう世界こそが素晴らしいんだ、私はこれを表現したいからやっているのであって、それ以外は全然やる意味がないって、それは私がやる意味ないって思ってたし。
 だけど今はちょっと違って。傲慢なところも昔はあったなあと思っていて。あの、そこはやっぱ世間知らずさとか、耳が育ってないとか、そういうのが大きかったと思うんですけど、知らなかっただけでほんと恥ずかしいんですけど。世の中にはたくさんのすばらしい音楽があふれていて、そういう曲自体もだし、楽器の演奏者とかボーカリストとか、そういうテクニックとか音色とか、あと人間性もですね、そういうのも含めて、その素晴らしさがだんだんわかってきて。今それを味わうことがとても楽しいんですよね。で、それを表現したいっていうふうに思っていたりします。だからその、自分の曲を作ったりもしたいなあと思うし、いずれ、こういう話をするとまた前提って話になっちゃうんだけども。まあでも今は、その、世の中の音楽というものの仕組みとか、それを理解したり、それをこう味わって、有名な曲のコード進行をピアノで弾くだけで、うわっっっっっっっ、カッッッッ、て(笑)こう、鳥肌のたつような、何この、何この進行みたいな、このコードのこの音だけでなんでこんな奥行きが出るのとか、なんでこの音が鳴るだけでこんなにイメージが膨らむのって、それが今すっごい楽しくて(笑)うんうんうんうん。そうなんですよ。だからそれをまずは吸収すること、機械的にやってもそれをアウトプットできないので、アウトプットする練習をしたいというふうに今は思っているかもしれないですね。

 だからなんだろ、表現ということに対して、今まではほんとにその、自分のなかのうわーっと、自分自身のうわーっという体験とかを、表現するっていうことに全て縛られていたのが、今ちょっと、表現するというフィールドのごく一部分からですけど、改革が起きてるのかなっていうふうに、今思いました。自分にとって表現することっていうのが、前はほんとに「自分を表現すること」だったのが、今はなんかその、自分自身のことだけではない、世界のこととか、そういうことを表現するということも視野に入ってきたというか。結局その、自分を表現しようとすると、自分という人間の、結局自分をすべてわかってもらいたい、正しくわかってもらいたい、だからあれもこれも伝えなきゃ、こう伝えなきゃ、全部伝えなきゃっていうのが、まあ音楽も含めて全ての表現でアップアップになってたんでしょうね、きっと。だけど、表現ってそれだけじゃないんだよって。自分自身、だけではないんだっていうのは、もしかしたら風穴かもしれないですね。

Th: はー、あーーー。うんうんうん。そうですね。そしたらちょっと前と違いますね、表現するということの意味がAさんの中で変わってきてるというか。今まではこう、視野がせまかったのかもしれないですけど、なんかこう今新しい領域まで、表現という幅が広がっているというか。それによって今後は、音楽にしてもそれ以外の視覚のことにしても、変わってきますよ。それが変わると。変わってくるんじゃないかと思いますね。それを、音楽の方面で起きたシフトチェンジを、それ以外のフィールドにも広げていけると、もしかしたらもう少し楽になれるのかもしれないですね。どうですかね。

Cl: あーーー。うんうんうん。きっとそんが気がしますね。音楽もね、今、ガンガン前に出てやれないジレンマもないわけじゃないけど、でも今声を作ってる段階なので、まだ今やってもたぶん、まだ変わりきれていない。時期尚早だと思うので。もう少し辛抱したほうがいいと思ってるんですよね。そういう意味ではなんか、音楽という世界に浸ることを純粋に今楽しんでるみたいなかんじで。楽は楽だし楽しいんですよ、いいものを「いい〜!」って思うのは楽しいので(笑)それを広げていくと楽になれるっていうのは、ほんとおっしゃるとおりな気がしてきました。どうやって広げていったらいいのかな。音楽の場合はそうやって。うーーん、そうですね。例えば目に見える自然の美しさを伝えるっていうのも、まあ、自分自身のことを伝えるっていうのとイコールではないけど。でもどちらかというと、その、自然の美しさをそのまま伝えようというよりか、それを感じている私の感覚を伝えようというほうに重点を置いていたのかもしれない。そうなるとやっぱり、自分ですよね、表現したいところは。そういうのを変えていくにはどうしたらいいのかな。それはちょっと自分で考えないといけないですね。うーーーーん、そうね。ただ何だろうな、手法に限りがあるんですよね、どうしても。私は写真家にはなれないし。なれないことはないけど、そこに今から労力を注いでなろうとは思わないんですよね。だから綺麗な景色を見ても、写真に写そうとはやっぱり思わないので。それをどう表現するかっていうと…やっぱり自分の表現に変換しちゃってたんですけど……。

 そっか、今音楽に関しては、表現する前段階としてそれをとことん味わってるわけなんですよ。あ、なんかちょっと見えてきた……。

 あの、この間整体に行ったときに整体師さんからアドバイスとしてもらったのが、感情とかを、ただ嬉しいとか悔しいとかでくくるんじゃなくて、それを丁寧に味わえってことなんですよね。嬉しいけどその背景に恥ずかしさみたいなのがあったりとか。くくっちゃうとそれだけになっちゃうんだけど、本当はもっといろんな複雑な感情や感じ方があるはずなんですよね。確実にそれは感じていて。その感覚を擬音語で表してみたり、音で表してみたりとか、そういうかんじで深く味わってみるっていうアドバイスをされて。実際そういうのを日常の中で何回かやってみると、とてもとても興味深くて。そういうのがその、ネガティヴな感情の癒しとかにもね。「それでいいんだ」じゃなくって「そういう風に味わっていけばいいんだな」っていうのを、ちょっと感じていたところなんですけど。音楽に関しては図らずしもそれができていて、今。目に見える美しい景色とか、そういうことに関してもそうなんでしょうね。それをどう表現しようの前に、その景色がどういうふうに美しいかとか、どういうふうにそれを自分が感じているかっていうのを、もっと細かく味わう必要があるんでしょうね、きっと。うんうんうん。そうしていくうちに、どうアウトプットしたらいいのかも見えてくるのかもしれないし。それはそうですね。うんうん。自分…今まで表現してきたこと、景色とかでしょ、あとは自分の考え方感じ方とか、そういうところの表現に関してはどうなんだろう。あー結局おんなじかあ。それも、どう表現するかの前に、もっと丁寧に丁寧に味わう。面接とかで自分のことをアピール、伝えるっていうときも、足りないのかあ、やっぱり自分自身というものの感じ方が。やっぱりそういうことなんでしょうね、きっと。

Th: うんうん。そうですね、やっぱりAさんの中で、音楽というフィールドってやっぱり先駆けになってるところがあるんですかね。音楽というフィールドで起こることが、その後こう、人生とか生活全般に広がっていくみたいなかんじなのかな、もしかしたら。そういう意味でも音楽というのは、やっぱり特別なのかもしれないですね。うん。
 わかりました、じゃあそろそろ、今日はこの辺にしましょうね。時間になりましたので。じゃあ、また来週やりましょう。今日もね、いろいろ気づきがあって、こうやってお話しできてよかったです。ありがとうございました。じゃあね、またスクリプトや動画見てきてくださいね。ありがとうございました。

Cl: はい、今日もありがとうございました。また来週もよろしくお願いします。

「名前を捨てた表現者」と「拠り所のないカウンセラー」の心理面接セッション記録。および生きるうえで大切なことは何かを探求せずにいられない、暑苦しさ注意のつぶやき集。