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コインランドリー43

「君はこれまでのリクルートマンタイプと違うけれど、これからは色んなタイプの社員が必要だから、一緒に頑張りましょう!」と言って人事部長は僕に握手を求めて来た。
「はい、よろしくお願いします。」
と僕も手を出して握手をした。
夏合宿を終えて帰宅した数日後の8月6日にリクルートから内定を貰った。

その場で他の選考途中の会社に辞退の電話をかけさせられた。
僕は「やっぱり僕はリクルートマンタイプではないんだなあ」と思いながらも内定を受け取った。

最初に内定を貰った会社に行こうと考えていたので、もういいやと就職活動を終えた。

新年を迎えて今日までを振り返ってみた。

年が明けるとダイレクトメールなど就職に関する資料がアパートに届き始めた。
日本のビッグビジネスという大手企業の会社情報を掲載した就職情報誌がアパートのドアの前に置かれていた。
いよいよ就職活動の時期になったことを否応なく意識するシーズンとなったのだ。
僕は明確にこんな業界やこんな仕事という目標はなかった。
最後の部活動をしっかりやることだけを考えていた。
3年の後期試験が終了し、バイトを経て、春合宿の前に坂上君と九州旅行に出た。
熊本、鹿児島、長崎、福岡を周り、その後は四国に渡り、春合宿に参加した。
春合宿終了後はそのまま多度津に残り、幹部講習会に参加した。
他大学の新幹部との交流を経て、東京に戻った。
卒業式に参加して、先輩を見送り、成績発表を見て、なんとか4年生となったのだった。

4月の下旬に早稲田大学の学生向けの就職意識調査というリクルートからモニター募集の葉書が届き、部の同期5人と参加した。
高田馬場の平安閣で2時間で3000円の報酬つきだった。
アンケート用紙には志望業界や志望企業、会社の選択基準などを記載するようになっていた。他の同期は金融機関、ディベロッパー、新聞社、総合商社と志望業界をある程度決めており、そこに向けて就職活動を始めており、OBやリクルーターと水面下で接触していた。
僕は関西に戻ろうかと考えていたので、関西系の企業を適当に記入していた。
アンケートの後にリクルートの方と面談をして終了した。
いよいよちゃんと考えないといけないなあという思いが強まった。
その後、リクルートからモニター調査という名目で、何故か僕のところのみに連絡が入り、アルバイト感覚で何度か銀座の本社を訪ねることになった。

私も周囲の学生同様にOB訪問を行なってみた。
三井物産、日本生命、東京海上保険などOB訪問などを行なったが、どこも私の成績では厳しいという反応だった。
とりあえず関西系の企業ということで、立石電機、ダイエー、島津製作所、ワコールなどに葉書を送り、説明会に参加した。
なんちゃって就職活動だったのだ。
スーツを購入することもせず、学生服で会社説明会やOB訪問を行った。
なんかみんなと同じになることにささやかな抵抗をしていたのかもしれない。

何回か呼び出されたリクルートの目的が既に選考だったということは3回目くらいの呼び出しで理解した。

前期試験が終了して、夏合宿に出かける前に呼び出された。
夏合宿の終了後に人事部長に合わせるという。
これが最終面接だということだった。
多分、ダメだろうと考えていた。

夏合宿を終えて、半袖のカッターシャツと学生ズボンで向かったリクルートの応接室で人事部長と対峙した僕は特に緊張することもなく、自然体で話していた。
そして面接終了時に握手を交わしていた。

僕のなんちゃて就職活動は終わりを告げたのだ。

お盆前に帰省した。
親にも内定の報告をし、Kさんにも会って報告した。
彼女は「おめでとう」と言ってくれた。
僕は「大学を卒業して、実際に働き始めてやっと君と同じ土俵になる。それまではこの状況は変わらない。それでも待ってくれるか?」と問いかけた。
彼女は「うん」と頷いてくれた。

東京に戻り、僕は彼女の思いに本当に応えられるのだろうか?という不安としっかり期待に応えなければという決意が入り混じった中で、残りの学生生活を送っていた。

まだ始まってない社会人生活を想像することは本音ではしたくなかった。

内定式が近づき、流石に僕もスーツを新調した。

無事に卒業できるかわからない綱渡りの学生生活はまだ少し残っている。

「今日はコインランドリーで溜まった洗濯物を洗おう。」心の中で呟きいた僕は、銭湯♨️に行く準備をして、洗濯物をバッグに詰め込んで、アパートを出た。


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