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コインランドリー30

田舎に帰省した僕は親父が手続きしてくれた自動車教習所に通い始めた。スケジュールによると順調に行けば、途中、四国の香川県の多度津町の本山に春合宿に行かなければならない3月の1週間を除くと3月半ばには卒業できる手筈になっていた。
僕は浪人中に原付免許を取って
、友達に借りたバイクで走ったが、どうもバイクや車は苦手のようだった。スピードが怖かったからだ。

そんな中で、教習所通いで唯一嬉しかったのは、高校の同級生が通っていたことだった。
同級生は同じクラスの生田さんという女性だった。
彼女とは高校1年から3年まで同じクラスで同じ町内出身だったが、彼女とは中学は違い、彼女の方が山奥の実家から同じバスで通学していたのだ。
彼女は文武両道で、スポーツは中学時代はソフトボール部だったが、通学に時間がかかるため、部活は負担が少ないESSに入っていた。
比較的1年の時から話す機会があり、お互い好意的な関係だった。
彼女は国立大学を目指したが、うまくいかず、京都女子大の短大に進学していた。

「生田さん、久しぶりやなあ!」
「竹脇君、ご無沙汰。今は東京なん?」
「そう」
「早稲田大学に入ったんやって?」
「うん、1年京都で浪人してたから」
「京都にいたんや。どこに住んでたん?」
「左京区北白川、自分は?」
「うちは東山区九条」
「そうだったんや。」
「竹脇君が浪人したことは私も聞いてだけど、京都やったんやね。知ってたら会えたのになあ!」
「浪人中はあかんやろ」
「そうやね。ところで、竹脇君はKさんと上手くいってる?」
「ああ、お陰様で!」
「そうなんや。凄いな、遠距離で❕」
「うん、辛いけどなあ!」
「そうやんなあ。うちやったら、すぐにあかんと思う。」

教習所の待ち時間を二人で会話しながら、自分の乗車時間を待てたことは退屈せずに過ごすにはとても良かった。
周りは殆ど高校3年生だったので、唯一大学生の二人は大学生活を話題にできたので助かった。

彼女は短大を今年卒業で、内定先は大手の損害保険会社だと聞いた。
大阪の支社に配属が決まっているとのことだった。
既に転居先も決まっており、今度、京都で一度飲みに行こうという話になった。
彼女は運動神経が良いので、全てストレートで進み、終了検定も一発合格だった。
僕はと言えば、終了検定で一回失敗して不合格。

僕はそのあと1週間少林寺拳法の春合宿で本山、いわゆる四国の香川県多度津町にある本部に行った。
毎年、夏と春のどちらかに本山に行くことが義務づけられており、早稲田大学は春に行っていた。
実家から姫路駅まで、親父に車で送って貰い、山陽本線で岡山駅まで行き、宇野線に乗り換え、宇野駅で降り、フェリーの宇高連絡船に乗り換えて、香川県高松市の船着場に上陸し、高松駅から予讃線に乗り換えて多度津駅まで辿り着いた。

午後2時が集合時間だった。
味のあるローカル線でのひとり旅のような形でここまで辿り着いた。

旅館「前川」に部員全員で泊まり、本部指導員の指導で本場の少林寺拳法を学ぶのである。また、初段の昇段試験も受験することになっていた。
費用は東京からだと総額で47000円だったが、僕は兵庫県の実家からだったので、結果的に33500円だった。

翌朝、みんなで集合して、長い坂を登りきると、そこには一瞬ここは中国かと思わせるような広大な敷地に巨大な本部道場があり、外からの眺めは圧巻だった。
合宿は他大学の学生たちと資格別に指導を受け、交流することで少林寺拳法の本質などを改めて学び、他大学の同期と知り合える充実した1週間だった。

僕は毎年春にここに来ることが楽しみになった。

僕は春合宿を終え、急いで実家に戻り、また、自動車教習所通いを始めた。
終了検定もなんとか2回目で合格。カリキュラムをこなし、卒業検定では僕の次の順番である生田さんが僕の試験車の後部座席に乗るということになった。
緊張した僕はスピードの出し過ぎで、最初の信号が青から黄に変わる瞬間に突っ込もうとして教官にブレーキを踏まれて、停止線オーバーで一発アウト。そのままコースを流して帰って来た。

彼女は何も問題なく、一発合格して卒業が決まった。

落ち込む僕に生田さんは笑いながら、
「今度、ほんまに京都で飲もな。こんどの卒業検定と明石行ったら終わるやろ。」
「そうやなあ。ほんまにかっこ悪いわ。まあ、頑張るけど。こないだ聞いた実家の電話番号電話するわな。」
「うちのお母さん、男の子から電話があるとびっくりする思うわ❕」
「そうなんや?」
「うちは3姉妹やけど、みんな男っ気ないから^_^」
「ほなら、ここの卒業と明石が目処ついたら、電話するわ。元気でね。京都でな!」
「ありがとう。竹脇君も頑張ってや❕」

そう言って二人は別れた。

なんとか2回目で卒業検定を合格。明石市にある自動車試験場まで行って、学科試験は1発合格した僕は、京都の兄貴の下宿に泊めて貰い、その足で東京に戻る計画を立てた。

兄貴の下宿は左京区吉田町にあり、京都大学のすぐそばだった。2年までいた3畳の下宿から3年になってここの6畳の下宿に引っ越していた。兄も一浪して立命館大学に通っていたが、今年4年で大阪の会社に内定を貰っており、この下宿も出ることになっていた。
初めて僕は兄の下宿に泊めて貰うことになり、大家さんに実家の自家製の菓子折を持って挨拶した。
気の良い奥さんである大家さんが、もてなしてくれ、ゆっくりしてってくれて良いからと言ってくれた。
僕は大家さんに本日僕宛に高校の同級生から電話があるので、取り次いでもらう事をお願いした。
気持ちよく了解してもらい、生田さんからの電話を待った。
生田さんから昼過ぎに電話があり、大家さんに取りついで貰った。
彼女と17時に河原町で待ち合わせの約束をして、電話を切った。

僕は兄貴にその事を伝えて、兄貴の下宿を出た。


続く


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