ナルコレプシー

ナルコレプシー (narcolepsy) あるいは日本語で居眠り病(いねむりびょう)とは、日中において場所や状況を選ばず起こる強い眠気の発作を主な症状とする睡眠障害である。自発的に覚醒を維持する能力、およびレム睡眠を調節する機能の両者が阻害される。と、Wikipediaには書いてある。

小学3年生の時、地元で通っていた塾のクラス分けテストで4位になった。
上位5名は別の校舎の"最難関クラス"に行く権利が与えられる。
その時はまだ志望校は決まっていなかったけれど、できるだけ賢い学校に行く、が目標だったので母と父にすすめられて私は「行く」と答えた。

最難関クラスに行けることを母親と父親は大喜びしていた。すごい!と私の事を褒めた。その姿を見て、今更受験したくないだとか、今の緩い感じのまま適当に受験したい、なんてことは言えるはずもなかった。

そして小学4年生に上がった時、私の地獄はスタートした。
私が4位をとったテストは、その塾が持つ全校舎の中で一斉に行われたもので総合すると12位だった。なので、教室では右端から数えて12番目、つまり2列目の一番左に位置に私の席はあった。

(そのクラスは大きなテストがあるごとに席替えがあって、成績がいい子が前の列から順に座っていく方式だった。)

最初の授業のとき、塾長はそれぞれの生徒に順番に志望校を聞いてきた。そのクラスに入りたい子は大体男の子なら「灘中学校」「東大寺学園中学校」女の子なら「四天王寺学園中学校」「神戸女学院中学校」(関東の人はピンと来ないかもしれない。開成や麻布、桜蔭を想像してもらえればいい。)を目指していて、聞かれたら皆がそのどれかを答えていた。

私は四天王寺学園なんて知らなかったけどとりあえず右隣の子が四天王寺学園と答えたので倣って「四天王寺学園」と答えておいた。

その塾のスケジュールは過密だった。
学校終わり夕方17時過ぎに授業がスタート。
4つの授業が2コマずつあるので終わるのは22時前。そこから質問タイム自習タイムと称して居残り。このあたりから晩ご飯は当然休憩時間に食べることになったし私は約3年間ほぼ毎日晩御飯としてコンビニのおにぎりを食べることになる。(母親も働いているので当然お弁当を作る時間はないので致し方のないこととは理解していた。ただ、受験が終わってコンビニのおにぎりがマジで何年か食べられなくなった。)


小学校で真面目に授業を聞いたことがなかった。
45分あるその時間、ノートもまともに取ったことがないし先生の話をちゃんと聞いたことも無い。
それは授業が簡単だから舐めてるとかそういうのではなく、できないのだ。机にじっと座ってるだけで苦痛で、何度もトイレに行きます、と教室を出た。ノートはいつも1ページ目だけ、綺麗に板書した。ただ、居眠りはしなかった。単純に眠いと感じなかった。ノートの端に落書きをしたり小説を書いたり、45分必死に暇つぶしに費やしていた。それでも学校のテストは大体が満点で、私は周りからも賢い、優等生、というように見られていた。

塾ではそれが許されない。ノートを取らないとかすみに落書きするだとか何度もトイレに抜けるだとかそんなことは一切許されなかった。確か授業中トイレに行くのは禁止されていたように思う。"じっとしている""人の話を真剣に聞き、ましてや聞き逃してはならない"というのがこんなにも苦行なのかとかその時初めて知った。

異変はその年に起こった。毎日毎日昼夜関係なく異様に眠い。学校の授業は全部眠った。給食を食べながら眠った。塾でも眠った。何度も怒られ教室を追い出された。(そんなつもりは一切ないからほんとに申し訳なくて苦しかった。)母親に連れられたドームコンサートで、アーティストが大爆音で演奏し、歌ってる中で爆睡した。お風呂でも毎日浸かりながら寝た。車に乗ると一瞬で眠り、目的地について起こされるまで一度も起きなかった。いい服を着せてもらって、オシャレなホテルのレストランに連れて行ってもらい、コース料理を食べてる途中にも眠った。前菜、スープ、次を待つ間にもう意識が朦朧とするのだ。母親の友達の家に行くときも必ず眠った。どこでもいつでも眠くて仕方がなかった。

睡眠時間が足りてるかと言われれば確かに当時の小学生にしては足りてなかったと思う。それでも異常なほど眠ってしまう。食べながら眠ってしまうので味がわからない。ディズニーシーではミラコスタでコース料理を堪能しながらショーを見ることが出来る。それどころじゃない。もう前菜を食べ終わった時点で眠くて仕方ないのだ。そして記憶が途切れる。

小学校の担任の先生は優しかった。なんせ私はいつもテストは満点だったし、全国の小学生が受けるテストでもやはりその小学校で1位だったし、結果が出てる以上は文句は言わないのだ。塾に通ってて疲れている、ということも知っていたので「あの子は受験生なので、授業中に寝てもいい」という特例がでた。意味がわからなさ過ぎる。益々クラスで浮いた存在になった。そのせいで虐められた。特別扱い、贔屓されている子供に、子供は残酷なほど手厳しいのである。親は"学校に行くことは無駄"と判断し小学6年の途中で登校を禁じた。

酷い症状は受験が終わるまで続いた。
寝たくないのに寝てしまう、というのがかなりのストレスになっていた。
小学6年生の頃はもう受験したくない、なんて考える暇はなく、絶対に受からなければならないと考えていたし、勉強したかったし、授業もきちんと聞きたかった。なのにどうして?頭に?が沢山浮かんだ。勉強が難しくてついて行くのが辛いのか、それともこの異常な眠気が辛いのか、もうよく分からなくなっていた。

ある日塾から帰ってきて家でその日の復習をしていた。2時くらいまでは勉強していたけれどいつもそれに付き合ってた父親、今思えば凄いな…と思う。居眠りする度に殴られた。ついに目元にシャーペンを投げられ目周りに大きな痣が出来た。

"寝たら殴られる"分かりきっているのに寝てしまうなんて、危機管理能力が欠如し過ぎている…と泣きそうになった。次の日母親にはもし他人になにか聞かれたら「階段から落ちた」と言いなさい、とテンプレみたいなことを言われた。

浮いた存在なので誰も何も聞いてこなかったが。

第一志望の受験当日、私は今までにないくらい緊張していた。周りは誰もが受かると信じていた。模試の判定も証明していたし、後半の成績の伸びは自分で言うのもなんだが目を見張るものだった。受験したくない、という気持ちを諦めてから私は強くなっていた。

そして当日、国語、算数、理科、社会と4科目のテストを受けた。これは未だに誰にも打ち明けていない、というよりかは打ち明けることが出来なかったが、2科目目でいつもの眠気が来て意識が朦朧とし始めた。普段当たり前に書ける漢字が分からない。普段解ける数式が解けない。普段覚えていた単語が……手応えがあったのは最初の社会だけで、あとの教科は全部うつらうつらしていて記憶が無い。

終わったあと「どうだった?」と父親に聞かれ「うーん、なんか、微妙」と私は誤魔化した。

一番行きたかった学校はそこで、そこを目指して3年間頑張ってきた訳だが、小学校6年生の夏、今よりレベルが低いけれど家からもそんなに遠くない新設校がある、若い先生も多くて新設校だから設備もきちんとしている。今の成績なら必ず特待生になれる。どうだ?と打診されていた。

当時、まだ成績が伸びる前で第一志望を受けて受かるか受からないか微妙なラインだったため、合格率をあげるための提案だったのだろう。

特待生、つまり授業料全額免除。しかも中高一貫校なのでそれが6年間。私はすぐさま首を縦に振った。母親を楽させることが出来る。

学校なんて、どこでも良かったのだ。
この地獄さえ終われば。

難しい勉強、周りの期待、異常な眠気、父親の毎日続く酷い暴力、人格否定、友達ができない、居場所がない、毎日楽しくない、死にたい、消えたい、でも中学受験が終われば。もしかしたら変わるかもしれない。その一心で小学6年生の冬は命をかけていた。

元々第一志望だったその学校に受かれば、父親も見直してくれるんじゃないかと密かに思っていた。当たり前だが落ちた。S特進クラスというのが受けたクラスだが、その下の特進クラスさえも落ちた。私が居眠りしながら受けたことを知らない父は「なんでなんだ、、」とずっと首を捻っていた。おかしい。あの成績で落ちるわけがない。と、めちゃめちゃに詰問された。それでも居眠りのことは言えなかった。もし言ったら比喩ではなく殺される、と思った。ものすごく緊張していた、ごめんなさい。とだけ答えた。父は「次はない」とだけ言った。

本命の学校は、特待生、つまり全受験生の中で1位にならなければならない。これでもしあの失敗をしてしまったら?私の地獄はもう一生終わらないの?そう思うと心臓がバクバクした。

そんな心配は杞憂に終わり、テストは笑っちゃうくらい簡単だった。そしてぶっちぎりの1位で、無事特待生になった。本命の学校の先生は私をものすごく褒めたし、これからも期待している、と肩を叩いた。塾の先生も喜んでくれた。母親と父親は……喜んでくれていたのか分からない。

その夜、3人でサイゼリアに行った。今でも忘れられない。「合格おめでとう!」2人はそう言ってくれた。そしてすぐさま言ったのだ。「次は大学受験だね。6年間気を抜かずに頑張るんだよ。ずっと1位を取り続けなければならないんだよ。これで終わりじゃないんだよ。」

私は「そうだね!頑張るね!」と答えた。
地獄は終わらない。もう、死んでもいい。と思った。

20歳の時パニック障害で心療内科に通っていたことはこの前の記事に書いたと思う。その時に当時のこともカウンセリングで話した。
"ナルコレプシー"ですね、と言われた。症状を説明され、私は全てに合点がいった。そして怠け者でゴミだと思ってた自分を少しだけ許してあげられた。もちろん、時間は巻き戻しなど出来ないので今更それがわかった所で人生は変わらないが。

ナルコレプシーは歳をとる事に良くなって行った。
前は24時間眠りたかった。それが、起きていられる時間が増えた。
一番苦手なのはやはりコース料理のときで、
今この歳になっても絶対に寝てしまうので(かなりのマナー違反)あれからなるべく避けるようにしている。

眠くなると苦しい。それがナルコレプシーのせいなのか単なる眠気なのか。きちんと睡眠時間をとっていても、寝過ごして何度も終電を逃すのだ。身体が眠りたがってる、ずっと眠りたがってる。人生を閉じたがってるように思えた。

いつもベッドで眠る時、ほんの少しだけ祈る。
どれだけ今幸せでも、明日楽しい予定があっても少しだけ祈る。その先の悲しい未来をほんの少し想像して

「朝が来ませんように。そしたらずっと寝てられるから。」

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最後まで読んでくれてありがとう♡ サポートもありがとう🌱 いつかライブハウスで会えますように🍀

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普段は姫事絶対値というアイドルで緑色担当をやっています。"君のライブアイドル"というコンセプトで都内を中心に活動をしています。ここではライブでは表現出来ない気持ちや想い、個人的な事をつらつらと綴れたらいいな、と思います(´•௰•`)よろしくお願いします🙇‍♀️
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