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蓮のような君

「君って、蓮の花みたいだよね」

彼が突然言った。蓮の花の見ごろの朝早くに、上野公園を二人で歩いていたときだ。

私の左手を握っていた彼は、私の手を持ち上げ、顔の近くに持っていき私の手の甲に唇を付けた。私の手の甲には、タバコを押し付けた火傷の痕がある。彼はその傷から唇を離すと、優しく右手の親指でさする。

初めて彼と食事をしたとき、私はその傷の話をした。

「父に、タバコを押し付けられたの」

父は、ギャンブルとアルコールが好きな人だった。働いておらず、母が働いて稼いだお金を使ってしまう。ときどき母に暴力も振るった。私と、5歳年の離れた弟は、そんな時に2人で別の部屋に逃げ、震えていた。

高校生になってから飲食店でアルバイトを始め、家計の足しにしていた。あるとき父は、私が母に渡したそのお金も、飲み代に使おうとしたのだ。

「そのときにね、父と喧嘩してやられたの」

それでも、母と弟を置いて家を出るわけにはいかなかった。

母が父と離婚しなかった理由は、わからない。それでも父を愛していたのかもしれない。

私の手の甲に口づけをした彼は、私とは生きる世界が全く違う人だ。職業も、学歴も、友人関係も、訪れる場所も、何もかも。だから私は、初めて口にするキャビアを味わいながら、彼との食事はこれが最初で最後だろうと考えていた。

「よく見せて」

彼は右手に持っていたナイフを置くと、向かいの席から私の手を取った。そして今日のように、右手の親指で、私の傷を優しく撫でたのだった。

以降会うことはないと思っていたけれど、私たちはそれから何度もいろいろなところで会い、食事をして、夜を一緒に過ごした。

今日もこうして肩を並べて、蓮の花を見ながら歩いている。

「蓮の花はね、泥水の上に美しい花を咲かせるんだよ。だから、君みたい」

なぜ彼は私をそんな風に言ってくれるのだろうか。私は彼に褒められるたびに、理由がわからず少し苦しくなる。

彼にお似合いの人はたくさんいるはずだ。教養があって彼と話が合い、食事やお酒の味もわかり、素敵な服やバッグを持っていて、並んで歩いてもお似合いの人。彼ならすぐにそういう人を見つけられるはずだし、そういう人から好かれることもたくさんあるだろう。

彼はきっと、私のような境遇が珍しいから、私に興味を抱いているだけなんじゃないか。そう思うと、早めに身を引いた方が傷が浅くて済むのにと、会うたびに思う。

だけど私は彼に会うのを止められなかった。それに、未来を恐れて今の気持ちを抑えるのは、なんというか、とても浅はかな気がした。

結局私は、人に何か言われるのを恐れているのだ。不釣り合いな人を好きになって、傷ついて、捨てられる。そんな自分を誰かが見たらどう思うだろう。そんな惨めな思いをしたくないだけなのだ。

今彼と過ごす時間と、惨めになるかもしれない自分を天秤にかけて、彼との今を捨てることは、ばかげている。彼よりも自分を守りたいだけだ。

そんな思いをきっと彼は知らないのだろう。彼の横顔を見つめると、彼もこちらを向いた。

「ずっと一緒にいたいな。これからもずっと」

彼はそういうと、もう一度私の左手の傷跡に口づけをした。

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