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今日の140文字

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平日の1日1回、140文字ぴったりでつぶやきます。 とれてたのことば #今日の140文字 ◆以前のものはこちら◆ https://togetter.com/li/103… もっと読む
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#cakesコンテスト

私は言葉や知識の引き出しが少なくて、身体に入れてまぜこぜにしてしまう。それらはいったん散り散りになって、気づかないうちに糸みたいなものでつながって、どこかを引っ張ると、するすると思いもかけないものが出てくる。引き出すまでどんな形かわからない。いつも初めて見る、かたちと色と手ざわり

知っていることとできることには大きくズレがある。みんながいいと言っているビジネス書を読んで目新しいことがないと感じたら、頭でっかちに知っているだけでできていないんじゃないかと疑ってみる。そうしたら、やるべきことが見えてきそう。「知っている」のレベルに「できる」をなるべく近づけたい

読み聞かせというのは、本に書かれている文字を親の声に変えて、子どもの頭の中にものがたりを作り出すという、美しいつながりのかたち。この習慣がいつまで続くのかわからないけれど、私の読んだ声を誰かが嬉しそうに聞いてくれるなんて、普通に考えたらすごく貴重なこと。身近にいる私だけの観客たち

何かを頑張ると成果を期待してしまう。期待通りの成果が得られなかったとき「もうこんな思いをしたくないから期待しないでおこう」とこれまでの私は思っていた。でも、頑張って結果が出なければ、なぜ結果が出なかったか考えて、次また頑張ればいい。傷つくかもしれないけど、期待ってそんなに悪くない

原稿を書くときは、当たり前だけど文脈を間違えないようにする。結論だけだったり、順番が違ったり、飛ばしていたりすると、言いたいことが違う色に見える。同じ青だとしても、赤から青に変わるのか、白から青に変わるのか。それを描くと受け取る印象は全然違う。そのグラデーションをちゃんと見せたい

「私はこう思ってるけど間違ってるかもしれないし(モゴモゴ)」ってあまり潔くない。だけどやはり、常に自分は間違ってるかもしれないし、何も知らないし、まだまだわからない、と思っていたい。その方が自分で気がついたり学んだりすることが多い気がする。見えてないことは、まだまだいくらでもある

自分の手がけた記事がすごく読まれると運がよかったと思い、そうでもないと自分が悪かったのかなと思う。それは謙虚だと思いたかったけどたぶんそうではなくて、狙っていないせいだ。傷つくのが嫌だからなのか、ランキング入りやビューの伸びを期待しない。それでは「自分の手柄感」がないのは当たり前

機会があって、過去に十年ほどハマっていたフラ(ダンス)のことを人に伝える。フラがどんな踊りか、どんな意味があるか、その背景や文化などがするすると出てきて、私はこんなにハマって勉強したものをまったく使わず生活するくらいに長く生きてしまったんだなあと思う。人にもいろんな歴史があるなあ

ひとつのことに絞った方がいいと言われるけど「小さな好きなこと」をたくさんやるのはやっぱりおすすめ。その活動を通して自分が本当に好きなことの共通点がわかるし、違った方向での学びもある。何より「好きなことをしている自分」が当たり前になるってことが大事なのだ。好きなことはしていいんだよ

私は人に対してあきらめが悪くて「私が何かされたから」と嫌いになることはあまりなくて、あくまでその人の人間性を好きか嫌いか判断したいと思っている。だから気まずくなっても折を見て近づこうとしてしまうのだけど、そのたびにこちらに矢が向いていたりする。それはもう近寄ってはいけないんだよね

「インターネット」とか「これからのビジネス」とかの話も大好きなんだけど、子育てしたり体を動かすこと、散歩したり自然を見つめることで、本当のことが見えてくると思う。前者が翼だとしたら、後者は足なのかもしれない。翼だけでは暴風雨の時に立ち行かないし、足だけではもしもの時に逃げられない

その時は「読みたい!」と思ってほしい物リストに入れていた本。いま見たらほとんどが大して読みたくもなかった。さらには、書店ですごく気になって覚えていた(でも買わなかった)本がリストに入っていなかった。私は何をやっているのか。「読まなきゃ」に縛られることに慣れ、判断基準が麻痺している