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今日の140文字

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平日の1日1回、140文字ぴったりでつぶやきます。 とれてたのことば #今日の140文字 ◆以前のものはこちら◆ https://togetter.com/li/103… もっと読む
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2020年11月の記事一覧

誰かにギブするには潜在的にでも求められていなくてはならなくて、たくさんの人にギブしたいならたくさんの人に求められる自分でなくてはならない。ただ、誰にも求められないものを作りたいという気持ちも美しく、それはギブしたい気持ちとは別でとらえた方がいい。誰のニーズなのか意識して活動したい

歩いている最中は道がわからないし、道草ばかりしている気がするし、目的もないように感じる。ふと後ろを振り返ると、目的地に向かって計算したかのようにきれいな道筋が見えることがある。実際にはどちらも本当のことだが、道にあった雑多な景色の記憶は薄れ、振り返って見た道筋だけが美化されていく

「これを誰かに話したい!」と思ったとき、誰に話すのがいいか考える。相手のコンプレックスを刺激したり、傷をえぐったり、嫌な気持ちを感じさせたりしないだろうか。昔はこんなこと考えなかったが「話したいときには、誰かに聞いてほしいと甘えよう」そう考えるようにしてから変わったのかもしれない

子どもがお友だちとトラブル。「こうしたらいいのに」と言いたい気持ちをぐっとこらえる。自分で何度も経験して学んだら、私よりずっと良い答えにたどり着けるだろう。実際、兄弟げんかを終息させるのは彼らの方がずっとうまい。親の意見を言うのは「ママならどうする?」と言われてからで十分だと思う

日々の積み重ねでスキルが上がっていくという。頭脳のことばかり言われがちだけと、もっと顕著なのは体だ。風邪などで休まないから仕事をコントロールしやすいし、体力があれば集中力が高まり効率が上がる。何にしても、体が健康で体力があればハッピーだ。お金に換算できない資産がたくさん積み重なる

人間はそもそも矛盾をはらんでいるものだけど、私はそれが特に強いのではないかと思っている。世界とつながりたくてわかりあいたいのに、世界に対して無頓着なのだ。これはどういう矛盾なのだろう。世界に無頓着で自分と距離があるから、わかりあいたいという叶わない思いを抱えざるを得ないのだろうか

今思うとひどいんだけど、少し前まで「事実を話して相手がどう思おうと相手の都合」と思っていた。だけどそれによって人を傷つけることがあるし、その返り血みたいなものをこちらが浴びることもある。それに気づいてしまったら気づく前には戻れない。誰かに何かを打ち明けるのが少しずつ怖くなっていく

私は子どもを尊重しているように見えるかもしれないが、そうでもなく、無理にやらせようとしたらどんどん親子関係が悪くなったから自分を変えるしかなかっただけ。親が期待することに大人しく従うような子だったら私もこうはなっていない。自分の意思のために力の限り抵抗する子どもだったというだけだ