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今日の140文字

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平日の1日1回、140文字ぴったりでつぶやきます。 とれてたのことば #今日の140文字 ◆以前のものはこちら◆ https://togetter.com/li/103… もっと読む
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2019年6月の記事一覧

インタビュー中に「これはいい!」という言葉に出会うと心のアンテナがピピっと反応してテンションが上がる。それは想定通りの回答が取れたときでは決してなくて、思いもしない方向から本質をえぐられたようなとき。たいていは具体的で、体験に根差していて、その意味を教訓的に説明できなかったりする

自分を嘆いてばかりもよくないけど、自分を擁護してばかりもいただけない。よくないところを認めつつ、その部分の改善にリソースを割くべきか考える。わかっていても、他のことを優先して放置しておかざるを得ない場合もある。正当化するのではなく、把握しているけど改善の優先度が低い、としておこう

自分で決めるのは苦しい。「やめておけばよかった」と思いそうだし、人のせいにできないし、他の選択肢が消えてしまう。ところが実際はほとんど「やめておけばよかった」と思わないし、人のせいにできないのはいいことだし、1つの選択肢に集中できるから力を出しやすい。やってみたらいいことしかない

いまの時点でいろんなことに時間や情熱を割けなくても、これまでに培ってきた資産が私を導いてくれる。アウトプットや人との繋がりとしていろんな種を蒔いてきたから、少し目を離しても実を付けてくれる。ただ、それに甘んじてずっと目を離していてはいけない。手入れをしつつ、さらに種を蒔いていこう

「こういう言い方をしましょう」と聞いても、細かなニュアンスまではわからない。同じ言葉でも印象が大きく違うことはある。アナログの情報量は膨大なので、言葉では到底ディテールまで説明しきれない。必要なのは、相手をリスペクトする気持ち。結局、相手に伝わる空気感やふるまいはそこから生まれる

例えば「規模の大きなことがしたい」と相手が言っても、その理由はさまざま。なぜそう思ったのかにその人の大切にしていることが現れている。「うまく言えないんですけど」という言葉はこれから美味しいものが出てくる合図のようなもので、うまく説明できることなんて、心の奥から出てきたものではない

すごく仲よかったのに数年会わないうちにお互いの意見やものの見方がずれていってしまう人もいれば、ずっと会っていなくて境遇も違うのにお互いの意見や行動が不思議と合っている人もいる。もしかしたらそういう人は生まれ持っているものが似ていて、人生を前に進めるほどに近づいていくのかもしれない

クリエイター気質の人は勝手に作ってるし描いてるし書いてる。映画を観るのに理由がいらないのと同様に、ものを生み出すのに理由はない。それが仕事になるとか、何かの役に立つとかじゃなくて、楽しいとか面白いという理由で作る。つまり、下手だとか役に立たないというのはやらない理由にならないのだ

大人になると、自分の中で「これくらいの比重だと私の方が悪い」「これなら相手が悪い」という基準ができあがってしまう。でも、子どもに対してその基準を発動するのは得策ではない。この世の中が「よい/悪い」だけで計れないっていうのはきっと当たり前のことで、子どもはそれを教えてくれているのだ

人とのコミュニケーションで、完璧に上手におしゃべりできる人なんていない。聞くひとによっては、上手く話す人を「ひとりで喋りすぎる人」、聞き上手な人を「自分のことを話さない人」と捉えたりする。だからおしゃべりを磨くより、相手に興味を持つことと、その気持ちを表すための技術を磨く方がいい

「誰かに頼ろうとして傷つくくらいなら誰にも頼らず生きていきたい」なんて思いそうになるのは一時的な発作にすぎない。今の傷が痛いからって、自分をかわいそうに思わないほうがいい。小さな傷はいずれ治るのだから、致命傷にだけ気を付ければいい。致命傷を負わないために、誰かに頼って生きていこう

「楽しいけど時間を取ってしまう」ことはたくさんある。文章を書く、本を読む、料理をする、調べものをする、など。「その時間が苦痛」なら排除してもいいけど「時間を確保するのが大変なだけ」なら、効率のためと楽しい時間を捨ててしまうのはもったいない。与えられた時間をどう過ごすかが人生だから

「たくさん会っているから友だち」じゃなくて、好きだから、尊敬しているから大切な人になっていく。好きで尊敬しているからその人を知りたくなり、たくさん会いたくなる。なかなか会えないけれど、そう思う人が何人もいる。心にそういう人を意識して持っているだけで、支えてもらっている気持ちになる

目の前の人を傷つけたくなくて、傷つけないように言葉を選ぶ。それは自分が嫌われたくないからだと思っていたけど、嫌われないとわかっていても苦しいのだとわかった。相手を傷つけることで自分も多少なり同じ痛みを感じるし、悲しい顔は見たくない。でも、いずれにしろ傷つくなら、いま私が手を下そう