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今日の140文字

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平日の1日1回、140文字ぴったりでつぶやきます。 とれてたのことば #今日の140文字 ◆以前のものはこちら◆ https://togetter.com/li/103… もっと読む
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2018年12月の記事一覧

私はどうしても「過去にこんな実績がある」と抱えているのが苦手で、相手に伝えるのもとても苦手。そしていつも、自分には何も肩書みたいなものがないと思う。だけど「そういう人は現在を生きている」と聞いて、勝手に救われたように感じている。自分の感情が指し示す方向は、間違っていなかったのだと

これまで繊細な心の動きを誰かにわかってほしいと思ってばかりいて、さらにそれを諦めていた。つまりこじらせているのだ。だけど周りをよく見ると私が鈍感な部分で繊細に感じている人がたくさんいた。そういう人をわかろうとしたらどうなるだろう。寄り添い、想像して、相手の心の形にぴたっと合わせる

インタビューはいろいろなことが学べるし、相手の雰囲気やオーラみたいなものを感じられる。ただし、聞くだけではあっという間に記憶が薄れてしまうから、自分の中で咀嚼して原稿に書くことで、ある程度血肉にしていく。いずれも完璧に自分のためになる時間で、これで食べていけているのは感謝しかない

知識ってコップに入っているものと海のものでは全然違うのだと知る。いや正確には知っていたけど今まで海に入りたいという気持ちになれなかった。遠くから見ているだけで近づこうとしなかった。今は海の水を見てみたいと思う。大海にすっかり浸りたいと思う。何歳になっても遅くはない。人生は長いのだ

Radiotalkで「今日の140文字」を振り返る

Radiotalkで「今日の140文字」を振り返る

毎朝、Radiotalkというインターネットラジオ番組を配信している。

noteをフォローしてくださっている方はご存知だと思うが、私は「今日の140文字」という短い文章を平日は毎日SNSに投稿している。

毎日それなりに頑張って考えているので、再利用したいという思いがずっとあった。短いラジオで、昔のものを解説しようと思い立ったのだ。

たった140文字にいろいろなものを詰め込んでいるから、文字だ

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正義感や使命に燃えて前に進むのは、簡単ではないだろうけど迷いがない。それは羨ましくはあるけれど、私は未だそこに情熱を注げない。私が熱中できるのはすごくニッチで宙ぶらりんで言葉にしづらい場所で、死ぬまでに見つからないかもしれないけど追い求めるしかない。「言葉にしづらい」から逃げない

質問をした時に、すぐに答えずに自分の中で答えを探している人を見るのが好きだ。その後に出てきた言葉は、本当のことにとても近いから。今まで話したことがなくて、たった今見つけてきた言葉で、私が取り出したようなものだから。決まった言葉でなく、自分の中から逐一取り出して話す姿は誠実だと思う

私はたぶん、流行りのものを摂取しないことで自分の時間を作っている。流行りのものに乗っていたらそれだけで人生が終わってしまう。その代わり、目立ちはしなくても私のアンテナが反応したものにできるだけ触れていたい。それが結果的に流行りのものという場合はあるけど、あくまで私のアンテナが基準

「いつもありがとう」と言える人がいるって、とても幸せなこと。何度も助けてもらい、何度も支えてもらっている。手を伸ばすとそれに気がついて、その手を取ってくれる。温めたり引っ張ったりしてくれる。だから何度でも「いつもありがとう」を言おう。おかげで私は、知らない道でも前に進み続けられる

何かを失って新しい人生を生きることは、苦しくもあるけどとても贅沢なことなのかもしれない。多くの人は、一度手にした荷物を捨てられず、大きな荷物を持ちながら動ける範囲で生き方を決める。何かを捨てるのはあまりにも心の負担が大きいからだ。もし荷物を降ろせたなら、どれくらい体が軽いのだろう

本当に自分で決めるって、用意されたスイッチを切り替えるのではなく、ない選択肢を自分で作ること。それは何もないところにバッサリと剣を下ろすよう。空間が断絶されたかのように見えて、油断するとすぐにつながってしまう。切り口が見えているうちに入り込まなくてはならない。決断を現実にしていく

自分の心に尋ねる方法は、いったん決めてしまうこと。AとBが両方お皿に載っているときはどちらも同じ気がするのだけど「Aにしよう」と決めたあとにイヤーな気持ちになることがある。そうしたらBにすればいい。「Bにしよう」と思ったとたん楽しく明るい気持ちになる。心に従えば後悔することはない

仮説を立てて検証するというよりも、自分で体験して納得したものを言葉にしていく私の習性は、スポーツによるものではないかと思う。練習でも仮説を立てて試すんだけどそれはわざわざ言葉にしない。意識せずともいつの間にか、体に聴くだけで「本当のこと」「間違いないこと」を教えてくれるようになる

「理由はわからないけどそっちに行きたくない」「王道ではないけどこれがしたい」と、自信がなくても続けていたこと。後からその理由を知り、間違いでなかったと気づく。頭で世界のすべてを知ることはできないけど、感覚はまるですべてを知っているかのように私に教えてくれる。なんとなくで選ぶ正しさ