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今日の140文字

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平日の1日1回、140文字ぴったりでつぶやきます。 とれてたのことば #今日の140文字 ◆以前のものはこちら◆ https://togetter.com/li/103… もっと読む
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2018年5月の記事一覧

「自分が好きなこと」についてすごく考えてきたと思う。なかなか見つからなくて今でも探し中なんだけど、突破口が見えたのは小さな好きをたくさんやり始めたとき。ひとつのことをやっているといずれ飽きてしまい、他の好きなものに出会ったときに捨てなきゃいけない。でも小さなことなら両方続けられる

私にとって「好きなこと」は行為である方がいい。しかも没入できる「行為」。例えば感動の一瞬のために苦しいプロセスを踏むのは本当に好きなことなのか。高揚感や達成感という名の、他の何かでも味わえるものではないか。「プロセス自体が好きでたまらない」それを見つければ好きの共通点が見えてくる

「私の気持ちをそこまでわかってくれるの?」という感覚は、まるで毛細血管のすみずみまで血液と栄養が行き渡るよう。おそらく太い血管に流れるだけでも生きていけるのだけど、物足りないし健康的でないし、なにかが詰まっていく。体だけじゃなくて心や気持ちだって、できるだけ流れをよくしていきたい

感情を味わうには頭や心にわりと広い場所が必要で。だから感情を味わっているときは関係のない情報を入れられない。本も読めないし、ラジオも聴けない。その代わり、その感情を強化してくれるものを何度も何度も摂取する。そうしてようやく感情が薄らいできたころ、やっと何か別のものを取り入れられる

私は言葉や知識の引き出しが少なくて、身体に入れてまぜこぜにしてしまう。それらはいったん散り散りになって、気づかないうちに糸みたいなものでつながって、どこかを引っ張ると、するすると思いもかけないものが出てくる。引き出すまでどんな形かわからない。いつも初めて見る、かたちと色と手ざわり

楽しいことや幸せなできごとが畳み掛けるようにやってくるんじゃなく、時間を置いてタイミングよく来てくれればいい。前の楽しさが薄らいだころ、嫌なことで落ち込んだころ、そんなときに波のように私を持ち上げに来てほしい。生きている間にそれがバランスよく訪れれば、ずっとハッピーでいられるのに

「なぜ表現するか」のひとつの理由として、そのときに生まれた心のかたちをしっかりと見つめてあげたいのだと思う。できごとを語りたいんじゃなくて、感情をとどめておきたい。だから私はいつも、リアルにそのとき思っていることばかり書くのだと思う。ちゃんと観察しながらじゃないとリアルに描けない

もともとはすっごい気軽に決めた予定でも、相手はもしかしたらそのあとで素敵なことに誘われて、私のために断ってくれたかもしれない。仕事が忙しくなって、私のために睡眠を削ったかもしれない。そういういろいろを常に想像するようにしていて、だから気軽な約束も、行けなくなると勝手にすごく苦しい

知っていることとできることには大きくズレがある。みんながいいと言っているビジネス書を読んで目新しいことがないと感じたら、頭でっかちに知っているだけでできていないんじゃないかと疑ってみる。そうしたら、やるべきことが見えてきそう。「知っている」のレベルに「できる」をなるべく近づけたい

読み聞かせというのは、本に書かれている文字を親の声に変えて、子どもの頭の中にものがたりを作り出すという、美しいつながりのかたち。この習慣がいつまで続くのかわからないけれど、私の読んだ声を誰かが嬉しそうに聞いてくれるなんて、普通に考えたらすごく貴重なこと。身近にいる私だけの観客たち

何かを頑張ると成果を期待してしまう。期待通りの成果が得られなかったとき「もうこんな思いをしたくないから期待しないでおこう」とこれまでの私は思っていた。でも、頑張って結果が出なければ、なぜ結果が出なかったか考えて、次また頑張ればいい。傷つくかもしれないけど、期待ってそんなに悪くない

原稿を書くときは、当たり前だけど文脈を間違えないようにする。結論だけだったり、順番が違ったり、飛ばしていたりすると、言いたいことが違う色に見える。同じ青だとしても、赤から青に変わるのか、白から青に変わるのか。それを描くと受け取る印象は全然違う。そのグラデーションをちゃんと見せたい

「私はこう思ってるけど間違ってるかもしれないし(モゴモゴ)」ってあまり潔くない。だけどやはり、常に自分は間違ってるかもしれないし、何も知らないし、まだまだわからない、と思っていたい。その方が自分で気がついたり学んだりすることが多い気がする。見えてないことは、まだまだいくらでもある

自分の手がけた記事がすごく読まれると運がよかったと思い、そうでもないと自分が悪かったのかなと思う。それは謙虚だと思いたかったけどたぶんそうではなくて、狙っていないせいだ。傷つくのが嫌だからなのか、ランキング入りやビューの伸びを期待しない。それでは「自分の手柄感」がないのは当たり前