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曇天と桜とキジバトと

近所に大きな桜の木がある。
それは神社の一角に目印の様に立っている。

その神社は駅までの道のりの途中にあるため必ず通ることになる。

一年中、ヘソを曲げて遠回りの他のルートを無理やり選ばない限り必ずその桜の木を眺めることになる。

私は花見が好きだ。

桜の木下で行われる賑やかな宴をするのも、見るのも。
そして桜並木の下をフラフラと眺め歩くことも。

ここ数年、私は決まってある桜並木を桜が咲くと散歩する事にしている。

事にしているというより、せずにはいられなくなる。浮き足立ってくるのだ。ある種の病とも言えるだろう。

なにせ桜の並木道である。薄ピンク色の桜がもりもりと咲いてそれが永遠かの如く続いている。
その下をぽてぽてと歩きながら幸せな気持ちになるのだ。

もりもりと咲く桜は雪のようで綺麗だし、でも寒くない。

今年はその下で行われるどこかの誰かもわからない宴会を観ることもないだろう。

そういえばある年、早朝に桜並木を観にわざわざ行ったことがあった。
さすがに宴会の姿はなく1年中朝のルーティンをこなすランナーと犬の散歩のおじさんおばさんしかいなかった。

私は少し寒い中ホットコーヒー片手にぶらぶら桜を見て歩いていると、フェンスの上にふかふかした何かを観た。鳩だった。キジバトである。

フェンスの上で1羽ジッとしている。目をパチパチさせて時折キョロキョロするが、ジッと身動きすることはなかった。

キジバトはつがいでいることが多いとどこかで聞いたことがあった。彼(仮にオスだと仮定して)の代わりに私がキョロキョロと彼女を探したりした。

仕方なく私がキジバトの鳴き真似をすると、彼は躊躇なく飛び去ってしまった。シャイなのだ。

私はキジバトが好きだ。
田舎の夏の怖い夕方の曇り空を思い出す。
不気味で怖い山の入り口でキジバトは鳴いてる。もしくは曇天の下でキジバトは鳴く。

そう言うもんだと思っていたので正直悪魔の使い的なイメージしか幼い頃はなかった。

祖母とよく散歩をしたのだが、キジバトの鳴き声が聞こえてくると、幼い私に「早くうちさ帰れ〜森に連れてくぞ〜って鳴いてっつぉ!」って脅かされ、夕方や朝方に鳴くキジバトが無条件に怖くなってお家に飛んで帰ったものだ。おばあちゃん!効果的面だったね!

キジバトは普通のハトとは違って地味だけど、なんか曇り空なイメージしかないけど懐かしい気持ちになるから好きだ。

明日はそんな祖母の誕生日。
おめでとう。あなたはなんだか今思うと不思議な人でした。

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