見出し画像

茨城の性のお祭り「へいさんぼう」について書きます。カーナビではたどり着けない聖地へ向かう。願い? ふれあい? 大笑い? 性を讃える森の中、そこはタイムスリップしたような異空間でした。

こんにちは。
小説『ただしくないひと、桜井さん』の作者、滝田愛美(たきた えみ)です。

今日は、昨年五月に訪れた茨城のお祭り「へいさんぼう」について書きます。

「へいさんぼう」の存在を知ったのは、茨城の郷土文化について調べていた時です。
茨城の年中行事や農耕文化について書かれた本を何冊か読んでいたところ、「へいさんぼう」とは、かすみがうら市にある鹿島神社で、毎年五月五日に行われる〝お田植え祭り〟と知りました。

田植えの時期を前に、秋の豊作を祈って行われるお祭りです。
かすみがうら市の公式ホームページに、「へいさんぼう」についての記載があります。
http://www.kasumigaura-kankou.jp/page/page000051.html

五穀豊穣と子孫繁栄への祈りを込め、田植えと性交を模した儀礼を行う神事のようです。古くから農耕の盛んな茨城らしいお祭りです。

故あって、あと何年茨城にいられるのかもわからない身です。
宗教社会学的に、興味深い。これは、見ておかなければ。

というわけで、昨年五月五日、車を走らせかすみがうら市へ行ってきました。

本稿では、当日の出来事、出逢った人々との交流を描写し、〝わたしの目から見た〟へいさんぼうを記録します。
(へいさんぼうの流れや概略については、上述したかすみがうら市の公式ホームページをはじめとする各サイトでご確認ください)

目指すは、「鹿島神社」・・・といっても、鹿島神社、鹿島大社などなど、茨城県にはたくさんあるのです。さすが鹿島神宮の御膝下です。
ネットでいろいろと検索したのですが、「かすみがうら市 牛渡」の鹿島神社、という情報しか得られません。何丁目、何番地、というところまで見えてきません。

その上、神事の開始時間もよくわかりません。ググって、ググって、どうやら午後二時ごろ始まるらしい、というあやふやな情報のみ入手しました。

時間も場所もわからない。でも、「とにかく行ってみないわけには・・・」「行ってみれば、なんとかなる!」という思いで、車に乗り込みます。
カーナビに「鹿島神社」と入れると、全国津々浦々の鹿島神社が上がってきます。茨城県に絞ってみるのですが、「かすみがうら市 牛渡」の鹿島神社はヒットしません。

とりあえず付近と思しき公共施設を目的地に据え、恐る恐る出発しました。

公共施設へたどりつき、広い駐車場に車を停めます。同行者が、「ここから歩いていけるのではないか」と推測するので、とりあえず下車してみます。
五月五日、夏の初めを感じさせる暑い陽射しが目にまぶしい、雲一つない快晴です。

同行者もわたしも、地図を読むのが得意ではありません。どちらに向かって歩けばいいのか、見当もつきません。
結局、公共施設へ入館し、受付のかたに聞いてみることにしました。

「鹿島神社に行きたいんですけど、どうやって行けばいいんでしょうか」
「えっ?」
・・・公共施設に勤めるかたですから、地元のかたと思い込んでいました。ですから、受付の女性の微妙な反応に、わたしの胸はざわつきます。

「牛渡の鹿島神社に行きたいんですけど、ここから歩いていけますか?」
「牛渡? 遠くてとても歩いていけませんよ。山のほうだもん」
地元のかた、ではあるようです。けれど、鹿島神社は地元のかたにとってもあまりぴんと来ない場所なのかもしれません。
「そうなんですね・・・今日、お祭りがあるみたいなんですけど」
「ひょっとして・・・『へいさんぼう』?」
聞かれて、ぱっと光明が射し、「そうです、そうです」とうなずきます。

「吉田(仮名)さんが、行くって言ってたわ」
「吉田さん・・・?」
今度は、吉田さんを知らないわたしに、怪訝な眼差しが向けられます。付近の有名人でしょうか。
吉田さんを知らないわたしへの落胆をすぐに拭って、女性は、
「まだいるはず・・・ちょっと待ってて」
と、事務室を飛び出し、館外へ駆けていきます。

後を追うと、日陰に置かれた丸テーブルで、ご婦人が三人、くつろいでいました。
「あぁ、いたいた。吉田さん、この人たち、へいさんぼうに行くんだって。行き方わかんないって言うから、連れてってあげてくれません?」
名を呼ばれた吉田さんは、ご婦人の中で最年長と見られるかたです。御齢八十代、といったところでしょうか。
「いや、わたしたちもよくわかんないのよね」
とこたえたのは、吉田さんではなく、六十代ぐらいの快活そうな女性です。

話によれば、彼女たちも鹿島神社への行き方がわからず、親戚の車の先導で向かうつもりのようです。女性が話している間、吉田さんは黙ってほんのりと笑みを浮かべたまま、わたしたちを眺めています。

しばらくすると、快活そうな女性が携帯電話を耳に当て、大きな声で話しはじめました。
「えっ、来れないの?」
という声に、わたしの胸は翳ります。せっかくかすみがうら市まで来ましたが、ここまで、でしょうか。
うん、うん、とうなずく姿をすがるように見つめていると、女性が電話を切りました。
「行ってみるから、ついてきてください」
先導してもらえなくなったものの、あらかじめ道順を聞きだすことができたようです。吉田さんも立ち上がり、三人は駐車場へ向かいます。
礼を言い、わたしたちも慌てて車に乗り込みます。

吉田さんを乗せた車は、銀行の支店や郵便局の並ぶ、町のメインロードをぐんぐん進みます。ハンドルを握る同行者の隣でわたしは、「よかった、よかった」と満足しながら、安心しきって町並みを眺めていました。
気持ちのいい五月晴れの下、低い家屋がところどころ、ぽつんぽつんと見えます。

吉田さんを乗せた車が、右に逸れました。細い道に入ります。公共施設の女性が言っていた通り、山へ入っていくようです。
視界は開けているのですが、左右に背の高い草の生えるその道は、カーナビの画面上には表示されません。画面上で我々の車は、何もない荒野を突き進んでいきます。一度だけ右手に、工場のような、大きなプレハブのようなものが見えたほか、建物はありません。

〝人里離れた○○〟という慣用表現を安易に使いがちですが、「人里を離れていく」と現在進行形で表現する状況は不穏です。それまで落ち着き払い、助手席にふんぞり返っていたわたしの心臓が強く激しく打ち始めます。

吉田さんを乗せた車は、道なき道を切り開くように、躊躇せず勢いよく、どんどん進みます。
「これは、地元の人に先導されなきゃ、わかんないよねぇ・・・」
わたしの顔は引きつりますが、同行者は先導車についていくのに必死です。わたしの呟きなど、耳に入らない様子です。

「飲み物買うところとか、あるかな・・・」
この先にコンビニが見えてくる可能性は、ゼロです。最後に自動販売機を見たのは、いつだったか。
暑い日で、一度下車しただけで汗が噴き出し、持ってきていたペットボトルを空けてしまいました。悔やまれます。

砂ぼこり巻き上がる道の途中で、吉田さんを乗せた車が停まりました。右手は森なのか、濃い緑が生い茂っています。
「ここかな?」
するとフロントガラスの向こうに、快活そうな女性が車から降りてくるのが見えます。右手の、緑の深い森を指差しています。
慌てて下車し、砂ぼこり越しに、「ありがとうございました!」と大きな声で礼を伝えます。
吉田さんも降りてきて、変わらぬ笑顔でこちらを眺め、軽く頭を下げてくれました。

路上駐車になるので同行者を残し、とりあえずわたし一人で聖地へ向かうことになりました。
鎮守の森へたどり着くには、右手に広がる畑のような枯草の平原を横切らなければなりません。通路らしきものはありませんが、先を行く吉田さんたちの踏みしめる地こそが道と信じ、後を追います。吉田さん、意外と足が速いのです。

木々が陽射しをさえぎる、森の中に踏み入ると、崖の下では関連行事でしょうか。袴姿の人々による、弓道が行われています。
奥に進んでいくと、露店がいくつか出ています。お祭り騒ぎの風情はなく、人もまばらです。
吉田さんは大木の根元の、段差のあるところに腰掛け、ひとり涼んでいるようです。

マイナスイオンを浴びながら、社を眺めたり鳥居を仰いだりしていると、
「へいさんぼう、知ってんの?」
と声を掛けてくる人がいました。カメラを構えた、六十前後の男性です。
「性のお祭りだよ」
男性は、「奇祭」を撮るのが好きだそうで、へいさんぼうについてひとしきり語ります。
二時だったか三時だったか記憶が曖昧なのですが、とにかく開始時刻までまだ一時間あるとも教えてくれました。

「子どもは? たくさん産まなきゃ、だめだよ」

おっと、来ました、という感じでした。
今から一年前・・・女性への発言に社会が、世界が、今よりもっと過敏だった頃です。日常生活で忌避されていたセリフがさらりと口にされ、時空間を飛び越えた感を覚えました。

五穀豊穣、子孫繁栄を祈る性のお祭りに、わざわざやって来ている身です。男性は奇襲したつもりはないでしょうが、わたしも油断していました。
男性のお孫さんの話にしばらく付き合い、わたしは車に戻りました。とりあえず現在地を〝お気に入り〟に登録し、来た道を戻ります。飲料水を確保すべく道を逸れ、あちらこちらと進んでいくと、案外すぐに自販機が見つかりました。

停車していた場所に戻ると、ほかの車が停まっていました。よく見ると道の先まで、路上駐車でいっぱいです。そういうもの、なのでしょう。我々も新たな場所を探して車を停め、同行者2名とわたしで、鎮守の森へ向かいます。

路上駐車が増えた分だけ、参道もにぎわってきました。
中高年の方が多いものの、中学生ぐらいのグループも見られます。男女分かれて、かたまっています。二、三十代の、カメラを抱えた人たちも少なくありません。

鳥居の横、納屋に人が集まっています。吉田さんを乗せて運転していた、快活そうな女性たちも中を覗いています。
人垣の中心にいるのは、着物に脚絆(きゃはん)、草鞋(わらじ)姿の男性です。彼の両手に抱えられているのは木製の、巨大な男性器です。

へいさんぼうでは、ひょっとこの面をかぶった男性と、おかめの面をかぶり大きなおなかで妊婦を模した男性とが、この木製男性器を交えて模擬性交する、とは知っていました。

これが噂の、と感慨深く眺めていると、快活そうな例の女性が男性から木製男性器を受け取っています。赤子を揺らすように抱きかかえながら、
「ご利益(りやく)、ご利益」
と言い、周りはどっと笑いました。

話を聞いていると、戦時中、へいさんぼうは風紀を乱すとして、警察から弾圧を受けたとのこと。
〝産めよ、殖やせよ〟の時代に、産むための営みを模した表現が禁じられる――矛盾のようで、誰のどんな狙いで、目的は何か、もう、わけがわかりません。頭がぐるぐるしてきます。

現代日本においても、「子どもに性を、おおらかに語ること」「生殖・妊娠を科学的、客観的に教え示すこと」「妊娠・出産を強要(セクハラ)しないこと」という三方向が絡み合い、性の意識や知識を形作るための望ましい姿がなかなか形づくられていません

人から人へと木製男性器が手渡されるのを眺めながら、そんな矛盾について考えているうちに、参道から社に向かって、馬が駆けて行きました。
神事の始まりです。

同行者の元へ戻ると、偶然、その横には吉田さんがいました。相変わらず目を細め、参道で繰り広げられる儀式を眺めています。

ひょっとこの面をかぶった男が、木製男性器を振り回して練り歩きます。観衆は手を叩き、大喜びで笑います。

不意に、わたしの前に木製男性器が突き出されました。
木製男性器に触れれば、子宝に恵まれるなどご利益がある、とは聞いていました。

「ヒョエーッ!」

わたしは、身をよじって木製男性器から逃れていました。
とっさの出来事に対する、とっさの態度に驚いたのはわたし自身です。わたし、喜んで撫でたり抱きかかえたりすると思っていたんです。
ところが、「これっぽっちでも触れるなよ!」と言わんばかりに、身をひるがえしていたのです。

隣りに立ち、その様子を眺めていた吉田さんがわたしの耳元で、初めて口を開きました。
「わたしはね、○○市から嫁いできて。姑に初めて連れて来られたときは、びっくりしてねぇ」
にっこり笑いながら、話してくれました。

吉田さんにもっと話を聞きたいな、と思ったところで、「あぁ、吉田さん」と若い男性が吉田さんに話しかけてきます。吉田さん、やっぱりこの辺りでは有名人のようです。
男性は、
「なんで触らなかったの?」
とご利益を逃したわたしを笑いました。

続けて、地元議員がやって来ました。祭りの視察でしょうか。
快活そうな女性に連れられ、吉田さんは行ってしまいました。吉田さんは地元議員と握手し、カメラに収まっています。
「ポスターで見るより、よっぽど男前!」
と、ごきげんです。

神事はクライマックスに差し掛かり、笠をかぶった少女二人の演じる〝早乙女役〟が、豊作を祈る動きを見せます。

大人たちがはしゃぎながら模擬性交を行う場面を見ることで、早乙女役を含む地元の子どもたちは知識を身に着けることができるでしょう。古くからの性教育とも言えそうです。

へいさんぼうには、子どもが歪んだ性意識を持つ前に、事実を秘匿することなく伝授する、という側面もあるのかもしれません。五穀豊穣への祈りとはほど遠く生きる、都会の子どもたちなどと比べて、意識の面でも、知識についても、高いレベルを持つ可能性があります。

一方で、生きる上で、〝性交し出産すること〟を前提とする方向付けがなされるとも考えられます。その方向付けについて自分で考え、判断する前に思考停止が起きる可能性があります。

矛盾のようなものがまた、頭の中をめぐりました。

神事はあっという間に終わっていました。見上げるとまだ木洩れ日がまぶしい。
2019年5月5日、翌日は立夏、という日でした。

他の俗なる時空間と区別される、聖なる時空間――
一年に一度、同じ時期に繰り返されることで、過去からつながる今を感じ、今が未来へつながるはずだと信じられるのかもしれません。
それがあるから不安だらけの毎日に、少しだけ安心を得られる。一年を送り、また次の年も迎えられる・・・

そこには希望があるはずです。
翌年も、その次も、とこしえに巡ってくるはずの聖別された時空間――
その訪れが予期されるからこそ、変哲もない〝ただの一日〟を紡いでいけるのかもしれません。

疫病の広がりで、今年、へいさんぼうが行われるかどうか、わかりません。
既に各地の祭りの中止が伝えられています。
聖なる時空間が奪われた後、祭りはどう存在するのか。そして、人々はどう生きていくのか。自分自身の感覚を大事にしながら、見つめていきたいと思います。

最後までお読みくださり、ありがとうございます。

新潮文庫版『ただしくないひと、桜井さん』が発売中です(税込605円)。
https://www.shinchosha.co.jp/book/102031/
発売日は5/1となっていますが、既にお買い求めいただけます。
多くのかたの御手に届きますように・・・

 滝田愛美

この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?気軽にクリエイターを支援できます。

ありがとうございます。励みになります!
6
小説 『ただしくないひと、桜井さん』 『この血の流れ着くところ』 の作者です。 1981年東京に生まれ、2009年から7年間京都で過ごし、現在茨城に住んでいます。 4月25日に、新潮文庫『ただしくないひと、桜井さん』が発売されます。よろしくお願いします。
コメントを投稿するには、 ログイン または 会員登録 をする必要があります。