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悪口を言うと、弱くなる

おはようございます。今日は朝からバタバタ。畑に行って直売所用の野菜を収穫して洗って納品してみたり(初!)、ご近所さんのお葬式のお手伝いをする話になったりしなくて良い話になったり(コロナはお葬式の地域の風習も変えますね…)。ようやく落ち着いてきたので、note書いて更に落ち着こうと思います。


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昨日、悪口に同調し、加わり、我が身を痛めつけました。

上司の悪口大会。上司がいない飲み会だったので、きっとそうなるだろうなと予測していました。予測していたから、飲み会中にある別の頼まれごとを引き受けることにして会を抜け出て、悪口にどっぷり浸からない作戦も考えてあったのに。

悪口は嫌い。非生産的。どんどん疑心暗鬼になる。周囲に対しても自分に対しても。

悪口を言い合ってる仲間の中にも実は悪口に値する人はいて、その人がいない場ではその人の悪口を言うという。誰も信頼していない。1人1人のあら探し。自分の考え方が正しいと熱弁して、皆の賛同が得られるように。自分と他人が違うのは当たり前なのに、違うからって認めず批判していたら不幸せでキリがない。そもそも自分はそんなことを言えるような素晴らしい人間なのか、と。

そりゃちょっと私とは合わないし理解できないし好きだともいえないけど、でも正直者で単純でかわいいところがある。お世話にもなっていて感謝をしているし、そんな人と出会うのも縁。言うほど嫌な気持ちを持っていないのに。

みんなで集まって密談するような悪口大会は、無駄にエスカレートする。負の方向ながらも場が盛り上がって団結力が生まれたりして、1人1人ががんばってその人の悪口となるエピソードを思い出し、賛同を得られるように根拠を持って話す。聞いて適切な相槌を打ってもっと話させるようにする。

悪口は、弱くなります。弱い気持ちがあるから悪口を生み、ヒートアップさせるけど、悪口を言うことで更に更に弱くなります。悪循環。

どこかで断ち切らないと。私、断ち切れなかった。


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悪口大会の場に行く前、心を整えられてなかった。ちょうどその前に、私はほんと未熟だな、甘ったれだなと、不安な気持ちに包まれて自分に自信がなくなっていた、そのままの気持ちで行ってしまった。私の不安な気持ちを打ち消すように、バリアを張って強く見せるために、上司を生贄に差し出して犠牲にして、周りに必要以上に同調した。同罪。むしろ、私が盛り上げて盛り上がったぶん、罪深い。

みんなをそこまでヒートアップさせない行動も選択できたはずなのに。



世界を優しくしたい。

もっと世界を生きやすくしたい。周囲のために、なにより私のために。私はそれに寄与する行動をしたい。優しい世界をつくることは、みんなが優しく生きやすくなることは、結局私のためなんだから。

これまで何かで寄与していたかもしれないのに、昨日の出来事で振り出しに戻ってしまった、そんな感覚があった。自分の弱さに負けた。

心を整える習慣を身に着ける。何度も同じことを繰り返したくない。自分をちゃんとコントロールしたい。

立ち上がって、また優しい世界づくりに努めていきたい。いつまで経っても同じスタート位置で進んでいないということがないよう、少しずつ前進したいと思います。



今日も、自分を信じて

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