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SNSは共用トイレじゃない

「〇〇がまた炎上してるんだって」と言われて、「へー」と返したわたし。

〇〇さんのことはよく知らないし、遠い世界の話だし、とそのときはあまり興味をもてなかった。

そして先日の木村花さんの訃報。木村さんのことも、わたしは一切知らなくて、ニュースになってから見てみたのだけど、真相はわからないといえど、やはり哀しい気持ちになった。

「ほんまにTwitterが原因なら、Twitter見なかったらいいのに」という意見もあるかもしれないが、自分が楽しみたくて始めたはずのSNSを何故、被害者側が制限しないといけないのだろうとは思う。


ところでわたしは、リアルの人間関係で嫌いな人がほぼいない。
「嫌い」という感情がたとえば「憎い」まですすんで、「あいつに痛みを味あわせてやりたい」、「あいつが傷つけば自分は楽しくなる」のような感情にまで発展することがない、ということだ。

基本的にすきだけど、こういう部分はちょっと苦手、とかはある。
でもそんなの、人間ならだれでもあるのだと思う。
家族だって、友人だって、恋人だって。

その「苦手な部分」に対して浮かんでしまう感情を、どう処理するか。

基本は、離れる。自分が見なければいい。
でも避けられない状況だったら、どこか、その人に聞こえない場所で、吐き出すのがいい。邪悪な感情はうんこと一緒なので、身体にためておくと毒が全身にまわってしまう。なので排泄と同様、身体の外には出すべきだというのがわたしの持論。

では、どこに吐き出すか。

リアルなら日記。あるいは信頼できる人に。Twitterなら裏アカウント。またはブログに(あくまでぼやかして)。いろんな可能性がある。
吐き出す場所を間違えなければ、じょうずに息継ぎしながら、人生という長い海を泳ぎ切れるのだと思っている。


ではリアルではなく、ネットではどうだろうか?
ネットで出会う人たちに、「嫌い」な人はいるだろうか。

やっぱり苦手な人はいる。これはもう、リアルと比べれば雲泥の差で(だってアクセスできる総量がそもそも違うのだから当然である)、この人のこういうとこ、やだなぁって人はいっぱいいる。

でもやっぱり「憎い」まで感じる人はそんなにいない。それはきっとわたしが、ネット上の誰かから、心をえぐられるような、ひどい経験をまだしたことがないからだけなのかもしれない。


引用リツイートで一方的に批判されたことはある。でもそれは皆目見当違いの内容で、その人はどのアカウントにも同じような内容で批判を繰り返していたようなのでほっておいた。
もちろん自分が改める余白のある指摘にはちゃんと真摯に対応しようと思うけれど、ネットだと急に距離感がおかしくなって、馴れ馴れしく、一方的にこちらの言動を改めるように求めてくる人が一定数いるのも感じてはいる。


ほっといてくれよ。の一言につきる。


SNSは、自分がすきなこと、たのしいこと、興味を惹かれることの送受信ツールである一方で、他者とコミュニケーションをとる場である。その際に、「わたしはこれはすきです」だけではなくて「わたしはこれがきらいです」と表明しておくことは、とても有意義であると思う。

これは正当な防衛ラインであり、ここを踏み越えて入ってくる人(嫌い、に該当する人やモノ)には明確な反撃をくらわせてもいいはずだ。
獣の世界だってなわばりがある。SNSであっても、だれでも自分だけのパーソナルな領域があり、そこに土足で踏み込んでくるやつは制裁を受けて当然である。だって玄関には「こんな人はお断り」と掲げているのだから。

制裁、と書くと少し穏やかではないけれど、刃物をもって家にあがりこんでくる人に対して、どれだけ穏やかな態度で「失礼ですがここはわたしの家なのでお帰りください」と諭しても、効果がないだろうから。


そして冒頭の〇〇さんの件にもどるけれど、少し思うところがあってわたしも〇〇さんのTwitterやブログを見てみた。ほんとにひどいことが書かれてあった。〇〇さんの生理周期にあわせて、落ち込みやすい時期を狙って中傷する人がいる、というのを読んで震えた。そこまでの熱量を、嫌いな人に対して使うんだ……とも思った。

〇〇さんにしても、木村さんにしても、そこまでバッシングを受ける要素が何なのか、わたしはしらない。でも、わたしがうんこをした場所がたとえばトイレっぽい場所だったとして、他の人が、わたしが排泄する現場を見たとしたら、「あ、あそこはトイレなんだ。自分も排泄していいんだ」ってきっと認識すると思う。

誰かのうんこを見て、自分もそこにうんこしてもいいと思う。
その構造がとっても危険なのだと思う。


自分の中に生まれた毒をどこに吐き出すか。
さきほども一度は考えた問題だ。

やはりうんこはプライベートなものだから、あんまり人様に見せるものではない。信頼できる友人とて、うんこの話ばっかりされたら、そんなことより美味しいケーキの話をしようよと悲しくなるだろう。

デトックスして自分の身体がきれいになったって、代わりに誰かの心身が汚れたら、結局それはよくないんだ。これはわたし自身も充分に反省するところがある。


リアルで毒をはくときは、それが最終的に美味しいケーキの話にまで昇華できるときにだけ。ただただ排泄したいだけなら、相手を巻き込まない。

ネットでは必要以上に傷つかないために、「これがすき」「これはきらい」などといった、自分の注意書きをつくっておく。すきなものが合う人にはどんどんつながってもらえたら嬉しいし、きらいだって言ってるのに近づいてくるやつには制裁をあたえられる世の中であってほしい。

みんな、自分のパーソナルな領域を大事に。
そして同じように、人を嫌な気持ちにさせないように。
だれかの排泄場所は、自分の排泄場所とは違うんだよという認識で。

そんな気持ちで、今日はしんみりと過ごしたいと思います。

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