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「もう一回読もう」

同じ文章を何度も読む人はどのくらいいるんだろう。

こうやってnoteを開くと文章を好きな人がたくさんいるけれど、少なくともわたしのまわりには、webの文章を何度も読む人はほとんどいない。何かを検索する時くらいだという。

それが良いとか悪いとかが言いたいんじゃない。でも二回目を読む時って、なんか贅沢な感じがするんだよなあ。

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仕事の日は毎朝、少しだけ早く家をでる。各駅停車の電車を乗りついで、徒歩も合わせれば、片道一時間以上の通勤時間。特急電車に乗れば、もう10~20分は短縮できるはずの道のりである。

でも岩手の片田舎で育ったわたしにとって、東京の通勤ラッシュは苦手だ。朝から知らない人と狭い電車の中でぴったりとくっついて、まるでおしくらまんじゅうみたいに押される。くるしい。揺れでまわりの人にぶつかってしまわぬよう気を使い、足にぎゅっと力を入れて立っているうちに、電車を降りる頃にはどっと疲れてしまう。

そんなわけで、朝は早めに家を出て、各駅停車に乗り、座りながら通勤することにした。

電車の中では、noteでエッセイを読んだり、本を読んだりしながらのんびり過ごす。読むのに疲れてしまったら、目を閉じて少し眠る。

いつの間にか、“文章を読む”ことは毎日の当たり前になっていた。

* * *

文章は書くことも好きだし、読むことも好きだ。たくさん情報が書いてあるものよりも、日常がこぼれていってしまう前にすくいあげたような文章が。

電車の中で日記やエッセイを読んでいて「ああ、いいなあ」と思ったら顔を上げて、すうーっと息を吸って、んふーと吐く。たぶん満足気な顔をしている。

「もう一回読もう」とスクロールして、上からまた読み始める。読み終わったら「スキ」や「いいね」をしておいて、ささやかな気持ちを伝えると同時に、あれ読みたいな~と思った時にすぐ読めるよう、栞代わりにしておく。

“もう一回読む”時間は、とっても贅沢だ。

こんなふうに考えるなんて素敵だなあとか、この場面笑ってしまう、とか、ものすごくわかるその気持ち!という感情をもう一度あじわったり、一回目とは違う感じ方をしたり。好きな音楽をリピート再生する時に似ている。

日記やエッセイは、自分の中の余計なものをそぎ落としてくれる感じがする。これからも新しいものや情報ばかり追いかけるんじゃなくて、何気ないけどいいなあと思ったものを、もう一回読みたい。

最後まで読んでくださり、とても嬉しいです!ありがとうございます。