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文化としての映画・ドラマ 「衣装編」

 第76回エミー賞で、真田広之が主演とプロデューサーをつとめた米ドラマ『SHOGUN将軍』がドラマ・シリーズ部門の作品賞、主演男優賞、主演女優賞など最多18部門受賞という素晴らしいニュースが飛び込んできました。「Disney+」で配信が開始されて以来、当初のミニシリーズから続編の2・3シリーズの製作が決定し、本丸のドラマ部門でのノミネートとなり今回の快挙となりました。
授賞式で真田さんは「オーセンティックにこだわった」とコメント。これまで時代劇を継承して支えてきた全ての人々に感謝の意を表し、「あなた方から受け継いだ情熱と夢は、海を渡り国境を越えました」と感動的なスピーチを行いました。”オーセンティック”とは、本物志向、正統的な、忠実なという意味ですが、真田さんの仰っている“authenticity”とはどのようなことを言っているのでしょうか・・・

『レッド・サン』1971年  テレンス・ヤング監督 仏・伊・西・米共作

先日読んだ「アメリカ映画の文化副読本」(渡辺将人著  日本経済新聞出版)は、はじめにの冒頭「ハリウッド映画には不思議な矛盾がある。これだけ世界的に消費されていながら、脚本や撮影・編集は徹頭徹尾アメリカ国内で見せて面白いものを意識していることだ」との一文で書き始められている。
“日本”と言えば「フジヤマ・ゲイシャ」「サムライ・ニンジャ」「スモウレスラー・メイド」であり、変なイントネーションの“日本語話者”が日本人を演じ、その映像イメージは中国とのハイブリッド。“アメリカ人がイメージしている日本”をそのように見せることに何も問題がないために、真田さんが言うオーセンティックはこれまで必要とされていなかったのだろう。何せ本物はお金がかかる!
今回の『SHOGUN将軍』は全10話で広告宣伝費込みで約150億円とも350億とも言われています。いずれにしても1話あたり15億円以上という途方もない金額です。1985年公開の黒澤明監督の大作「乱」はその当時、製作費が巨額と言われましたが約30億円でした。将軍では大規模な合戦シーンがないにもかかわらずこの費用です。これらはすべて真田さんが求める「本物」を実現するために投入されたのでしょう。ハリウッド映画の予算の概要は次のように言われています。
キャスト:10%~30%、スタッフ:10%~20%、セットやロケーション:15%~30%、ポストプロダクション:20%~30%、マーケティング:20%~50%、その他:5%~10%
キャストもさることながら、スタッフも超一流、セットにもこだわり、大道具・小道具も一から徹底的に調べ上げて新たに作り上げ、ポスプロにも時間とお金をかけています。

今回注目したのは「衣装」です。この度のエミー賞では衣装デザイン賞も獲得。衣装部総勢125名ほどのチームを率いたのは衣装デザイナーのカルロス・ロザリオ。準備期間は5カ月。リサーチ段階では美術館や博物館の所蔵品を調べたり関連書籍を何冊も購入。生地の紋様の意味も学んだそうです。「衣装の生地と色にはとことんこだわった。すべて一から作った」と語るカルロスは、和服の構造を正しく理解するために日本から多くの衣装を借りて研究を重ね、時代背景やそれぞれの登場人物の立場の違いなども考慮して、キャラクターの色味や柄を決めていったそうです。例えば、網代の農民に藍色を着せたのは、当時最も広く使われていた染料だからだという。武士や姫だけでなく、農民や雑兵の衣服にまで徹底的にこだわった結果、我々日本人も見たことのない1500年代末の日の本の姿が“本物”として見えてきたのだろうと思います。
日本の貸衣装を利用することも考えたが、イメージに合わなかったので全衣装をいちから作るべきと主張。独自の世界観を作るためカラーパレットを重視していたとのこと。非常に高価だけれど「世界のどこにもない独自性」ある日本の生地を使わなければ番組が成り立たないとスタジオを説得して追加予算を獲得。準備期間中は毎週1、2回プロデューサーたちと打ち合わせの場をもち、毎回プレゼンを行なってキャラクターごとのコンセプトや衣装のプランを説明していました。そして用意された2,300着の衣装。
黒澤明監督の映画『乱』(1985年)で、この映画のために用意された衣装の総数は 約1,400着 です。『乱』は戦国時代を舞台にした壮大な物語で、多くの群衆シーンや戦闘シーンがあるため武将や兵士たちの甲冑もすべて手作業で作られており、衣装デザインにはかなりの時間と労力がかけられました。それよりも1,000着も多い!

「乱」で楓の方を演じる原田美枝子

「乱」の衣装ではワダ・エミさんが黒澤監督に口説かれて担当し、第58回アカデミー賞で衣裳デザイン賞を受賞しました。今から38年前の快挙です。こういった事も今回のエミー賞受賞に繋がっていて、それを真田さんはしっかり認識されて授賞式のあのスピーチになったのでしょうね。

「本物とは見る目が本物かどうかであって、何が本物かという話ではない。 つまり、本物とは、ものではなく本質を見抜く目のことだと思います。だから、本物とは、その人の生きてきた背景によって変わるので、十人十色になるでしょう」(中野正剛 医学博士)
周囲の目や流行に惑わされることなく、ものごとの本質を見抜く目を常に磨き、確固たる信念で成長させることが何よりも大切であり、それができる人のことを本物と呼ぶのでしょう。中野先生の本物説によると、作り手もさることながら受け手も“本物”である必要があります。軽薄な内容や陳腐な表現の繰り返しで表現の技術を磨かず過去作品の焼き直しに頼って、それを新しがっているようなコンテンツが蔓延るのは、それを嬉々として受け取る多数が存在するからでしょう。そういう意味ではエンタメも政治も同じかもしれないですね。

SHOGUN S1 : 第6話 38m26s~  “菊とはなの会話”
「はな、提子(ひさげ)のあったところに何が見える?」
「何も見えませぬ、姐さま」
「おまえが見ているところには今提下は無い。無いからこそ確かにあった
 のだと思うのでしょう」
「はい、姐さま」


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