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ウズベキスタン旅行記⑥~ブハラに恋をする

ウズベキスタンのブハラは2500年以上もの歴史を持つ古都で、中国の『史記』にもその名前が登場するらしい。1220年チンギス・ハーン率いるモンゴル軍によって壊滅的に街を破壊されたものの14世紀に再建され、今もその当時とほぼ変わらない面影を強く残す中世都市だ。たぶんウズベキスタンと言ったらサマルカンドが一番有名だと思うけど、個人的な感想を言えばブハラほどワクワクした街はそうそう無い。ウズベクブルーと幾何学的な装飾がため息をつくくらい美しいイスラム建築、不思議な構造のバザールに所狭しと並ぶスザニや絨毯、眼に映るものすべてに心を奪われた。異世界で冒険しているみたいな気持ちになれる愛すべき街だ。

夜遅くに飛行機でブハラ空港に着いた私たちは、迎えの車に乗って宿へとたどり着いた。ブハラで泊まったのはRUMIというゲストハウスで、私たちは増築したばかりの新しい建物に通されたので、新築の部屋や浴室の清潔さに大喜びした。Wifiも弱いけどちゃんとある!しかし喜びもつかの間、寝室の大きな3つの窓にカーテンが無く、3方向を客室に囲まれた中庭から部屋の中が丸見えなことに気がついた。もはや笑うしかない。私たちは部屋に敷いてあった大きな絨毯を立てかけたり、バスタオルを吊るしたりして、なんとかプライベート空間を作って眠った。

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翌朝、Tちゃんが起きてくるまで私は宿の入り口エリアに広がっているテラスの1席に座り、PCを開いて仕事をした。残念ながら客室はwifiが弱すぎたのだ。それに、テラスは強い日差しを遮るように天井がわりの薄い布が張ってあって気持ちが良かった。席に座っていると宿の人が紅茶とナン、果物やサモサ、ゆで卵などの朝食を出してくれた。甘いミルク粥のようなものも出されたけど、それには手をつけなかった。牛乳も苦手だし、お米が甘いのだけはどうしても味の好みが合わなそうだったから。宿には多国籍の旅人が泊まっていて、中には数ヶ月以上は海外を放浪していそうな日本人も2、3人いた。宿の女将さんはホルシュクという頭に布を巻いた女性。とても感じが良い笑顔で親しみを感じた。

私は普段、土地勘や方向感覚が良いと自負していて知らない土地でも迷子になることはほぼ無い。しかし、この日は盛大に道を間違えた。宿を出ればwifiが無いので頼れるのはスマホにダウンロードしたブハラの地図とガイドブックのみ。RUMIは観光スポットの一つリャビハウズから徒歩7分ほどの近さだったのだが、リャビハウズに向かおうとして気づかないうちに正反対の道を進んでしまった。大通りを歩くと公園や学校があり、子供たちがおやつを買おうと群がる素朴なお店もあった。しばらくすると車通りの多い大きな道路にぶつかった。道路の向こう側にはショッピングモールらしきものもあるし、カフェやさまざまなお店が並んでいて、洋服や民族衣装に身を包んだウズベキスタンの人々が道を行き交っている。朝食をすっぽかしたTちゃんはお腹が空いていたので、近くにあったお店に入って何か食べることにした。

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そこはSevinchという名前のローカルな食堂スタイルのお店だった。私たちはよく分からないままに美味しそうな料理をトレイに乗せて会計をしてから席を探した。ちなみにむちゃくちゃ安かった。お昼どきだったため、狭い店内は地元の人で賑わっていて、なかなか席が見つけられないでいると、若い女性が「相席どうぞ」と手招きしてくれた。彼女の名前はザリーナと言って、少し英語ができたので食事をしながらおしゃべりをした。「日本から来たよ」「どうしてウズベキスタンに来たの?」「ご飯美味しいね」

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一般的なウズベキスタンのサラダ、アッチク・チュチュク。略してアチュチュク。トマトときゅうり、玉ねぎとディルのサラダでさっぱりしてとても美味しかった。ウズベキスタンはとにかくディルをよく使う。

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ブドウの葉にひき肉とご飯を包んだドルマとメンチカツっぽいお肉料理。

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大きなミートボールとジャガイモが入ったスープ。

どれもすごく美味しくて、しかも安く昼食を済ませられたし、地元の人しか来ないお店を体験できたので大満足でお店を出た。そして、自力でリャビハウズにたどり着くことを諦めてタクシーを捕まえた。

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ハウズとは「池」のこと。この池を囲んでテーブルと椅子が並び、食事やチャイを楽しめるようになっている。池を囲む大きな木が青々と木陰を作っていてとても気持ちのいい憩いの場所だった。ここから始まる旧市街エリアは徒歩で観光できる。まずはリャビハウズの真横にあるナディール・ディヴァン・メドレセだ。1622年に建てられたこのメドレセは正面の門の上に、2羽の鳳凰が脚でシカを掴み、人面太陽に向かって飛ぶ姿がタイルで描かれているのだけど、これは偶像崇拝を禁ずるイスラムに教えに反するものなのでとても珍しいそうな。青や緑のタイルで描かれているそれはとても綺麗だった。中に入ると中庭をぐるりと囲む建物にたくさんの小部屋があり、その一つ一つが土産物屋になっていた。かつては神学校で学ぶ生徒たちの部屋だったそうだ。私たちはそのうちの1つのお店でスザニのクッションカバーを買った。

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ブハラには16世紀に建てられたタキという屋内の市場が3つある。丸い屋根がポコポコと並ぶ面白い外観で、中はキャラバン隊のラクダが悠々と通れる天井の高さ。歴史的な建物に違いないのだけど、今はスザニや絨毯、さまざまな土産品を売るお土産屋さんでいっぱいだ。見ているだけでも楽しいのだが、ウズベキスタンの商人は本当に商売っ気が強いから気をつけないといけない。あれよあれよといううちに店の奥に引き込まれ、「これはどうだ、あれはどうだ、安くするよ」とばかりに床にたくさんの絨毯をプレゼンされることになるのだ。私たちは最初の2つのタキを抜けるまでに、もれなくあちこちの店の奥に引き込まれ、何度も心苦しい思いをしながら「買わない」と断って店から出ていく羽目になった。

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タキ・テルパクフルシャンの入り口。このタキを抜けると、ハキカット通りというまっすぐの通りに出る。ここら一帯の旧市街は車が通らないので歩きやすい。

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この通りを少し進むと左側にスザニギャラリー&ワークショップと日本語で看板が出ていた。ガイドブックにも載っていて、日本語ができるスタッフがいる。店先では看板娘のヴァジラさんがスザニ刺繍の実演をしていた。

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無料でスザニ刺繍体験が受けられるということで、翌日Tちゃんが体験することになった。ヴァジラさんは日本語がとても上手で、さまざまなスザニを見せながら、それぞれの模様の意味や地方の特徴などを説明してくれたのが面白かった。例えばザクロにはたくさん種があるので子孫繁栄の意味が込められているとか。私たちは青い大きなスザニを1枚買うことにした。ウズベキスタンも3日目になってくると値段交渉のコツを掴んでくる。計算機で日本円に換算し、まずは提示された値段の6割ぐらいを提案する。半額からスタートでもいい。「ダメダメ」と言われながら、少しずつお互いの言い値の差を縮めていくのだ。「90ドル!」「70ドル!」「85ドル!」「うーん、ラッキーセブンで77ドル!」ヴァジラさんは笑って77ドルで手を打ってくれた。ちなみにここはクレジットカードが使えるということで分かりやすくドルで値下げ交渉をしていたが、wifiの電波が悪く結局クレジットカードが使えなかったので、近くのATMでお金をおろしてこなければならなかった。そういう感じで滞在中は何度かタキ・テルパクフルシャンの入り口近くにあるホテルアジア・ブハラにあるATMにお世話になった。

この後少しコーヒー休憩したい、と言ってカフェを探した。ハキカット通りにはいくつかwifiのあるカフェがあったが、私たちが入ったのはホテル・オマール・カイヤム・ブハラの中にあるカフェだった。決め手はホテルなので「トイレも綺麗そう」だったから。日本のようにあちこちに公衆便所があるわけでもないから、なんだかんだトイレがあることとその清潔さって大事なのだ。スタッフの若い男性が通してくれたのはホテルの中庭にあるチャイハナで、私たちしかいなかったので、思い切りくつろげた。写真を撮ってもらおうとしたら勝手にセルフィーにして自分も入ってきた彼は名前をミシャと言った。

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ミシャは人懐こく話しかけてきて、夜シフトが終わったら友達とホテル前に集まるから来てよと誘って来た。そういえばこの日は金曜日だった。私はウズベキスタンで使われているimoというチャットアプリをDLしてあったので、連絡先を交換して撮った写真を送ったけど、本当に夜に合流しようという気はあまりなかった。笑

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ハキカット通りの突き当たりにあるタキ・ザルカロン。この辺りは大きな広場になっていて、右手にはイスラム装飾が美しい2つのメドレセ、ウルグベク・メドレセとアブドゥールアジス・メドレセが向かい合っていた。ウルグベク・メドレセは1418年に建てられた中央アジアに現存する最古のメドレセだそうだ。ウルグベクというのはティムール朝3代目君主で優れた天文学者でもあった人物で、ウズベキスタンの重要な歴史的人物の1人。彼の名言「知識欲こそムスリムになくてはならぬもの」という言葉が扉に刻まれている。

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ウルグベク・メドレセより235年後に建造されたアブドゥールアジス・メドレセは入り口のアーチの装飾が圧巻だった。そして建物の内側はとにかく土産物屋さん一色。これほどすごい歴史的建造物なのに壁を保護することなく率先して民芸品を並べまくる商売人根性というか。笑 日本だったら考えられないゆるさというか。笑 こうして人々の生活の延長線として残ってきた建物なんだなぁと思った。

ここからタキ・ザルカロンを左手に見ながらまっすぐ進んでいくと、ブハラのもう1つの名所、カラーン・モスクとその横にそびえ立つカラーン・ミナレットに向かい合ってミル・アラブ・メドレセが立つ広場に出る。青いタイルやイスラム装飾が美しくて、いつまでも眺めていられるほど素晴らしい建築物なのだけど、この美しさは残酷さと隣り合わせだ。

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高さが46.5mもあるカラーン・ミナレットはどこからでも見えることからかつては見張り台として使われていたというだけでなく、袋に入れた死刑囚を塔の上から突き落とす死刑塔でもあったというのだ。それは19世紀半ばにロシアに攻め込まれてロシアの属国になってからようやく禁じられたという。向かいに立つミル・アラブ・メドレセは1539年に建てられた神学校だが、その建築費となったのはペルシャとの戦いで得た戦利品、すなわち奴隷を売って得たお金だったそうだ。そういう歴史的背景を知ってしまうと「わぁ〜綺麗」だけでは済まされない、少し重たい気持ちになる。今も残る歴史的建物の裏には必ず犠牲になった人がいるのだろう。それはきっと世界どこでも同じなのだと思う。今も神学校として使用されているミル・アラブ・メドレセは見学することはできないが、入り口からは一生懸命コーランの勉強をしている学生たちの姿が見えた。彼らにとって宗教とはどんなものなのか聞いてみたかった。

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カラーン・モスクは写真撮影料込みで入場料は8000スム(約85円)。2日間有効なのでかなりお得だ。敷地はとても広く、中庭には祈りの時間用に絨毯が敷いてあった。ちょうどラマダンの時期だったので、もうすぐ人々がお祈りに集まってくるのだろう。ゆっくり時間をかけて見学した後に外に出ると、カラーン・ミナレットのライトアップが始まっていた。

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暗くなる前にもう少し歩いてアルク城の城壁を見たかった。アルク城は古代ブハラ発祥の地に立つと言われ、最初に建造されたのは2500年以上も前だという。度重なる破壊と再建を経て現在残るのは18世紀に再建されたものだそうだ。この城壁、丸いフォルムがたまらなく好きだ。なぜこんな形になのだろう?砂を避けやすい効果でもあるのだろうか?

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城内を見学するのは明日にして、戻って夕食にすることにした。カラーン・モスクを目の前に眺められるChasmai-Mirobという名前のレストランを見つけて入った。ここのテラスは本当に絶景なのでお勧めしたい。空が暗くなっていくにつれ、ますますカラーン・ミナレットが輝いて、夢のように綺麗だった。

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ここで注文したのはプロフとラグマンとチュチュヴァラ。ラグマンは野菜や肉の入ったうどん入りのスープ。一説にはラーメンの元祖かもしれないらしい。チュチュヴァラは小さな水餃子のような料理。ブハラのプロフはレーズンも入っているのが特徴だそうだ。全部めちゃくちゃおいしかった!ウズベキスタン料理、最高すぎる。

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テラスの隣席にやってきたのはなんとアヤズカラの食堂ユルタで相席になった教授夫婦だったので、お互いに笑って記念撮影をした。何のご縁か分からないけど、こういう旅の縁って面白い。

満腹になり、散歩がてらの帰り道。昼間にカフェ休憩したホテルの前を通ると、セルフィー青年ミシャに再会した。疲れているからパーティーには行けないよ、と改めて断ると、ホテルまで送ると言ってくれた。昼間はリャビハウズからスタートしたので、宿までの道がはっきり分かっていたわけではなかったから、彼が道案内をしてくれてとても助かった。賑わう観光エリアから一歩横道に入ると、そこは暗く細い道が入り組んでいて、自分たちだけではとても怖かっただろうと思う。

1日かかってブハラを歩いて回って、美しいイスラム建築と可愛い民芸品をたくさん見て、美味しい郷土料理をお腹いっぱい食べて。疲れた体をベッドに横たえながら胸がいっぱいだった。過去と今がそのまま繋がっているような、素朴さと栄華と、美しさと残酷さとが同居する砂色と青色の街ブハラに心を奪われてしまったなと思った。

〜続く。

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恵美

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フリーライター、翻訳家、ブロガー。ポーランドと日本のミックス。物を書くことと踊ること、音楽が好きです。短編、詩、エッセイみたいなものを載せていきます。
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