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カフェマジック

一杯のコーヒーを飲みながらふっと息をつく時間。カフェでそんなひとときを過ごすとき、普段どうにも弛めることができない心が自然とほころぶことがある。そしてそんなときにこそ、はっとするような閃きとか啓示のようなものが降りてきたりする。芳しいコーヒーの香りと穏やかな音楽に包まれる空間では、時折そんな魔法のような瞬間が訪れるのだ。わたしはそれをこっそり”カフェマジック”と呼んでいる。

数年前、まだ会社に勤めていた頃、仕事中によくカフェに逃げ込んだ。ほんの20分のこともあれば1時間入り浸ってしまうこともあったな。そのカフェはわたしにとってオアシスであり、たった一人になれる隠れ家でもあった。お気に入りにそのカフェは名前をForestといって、その名の通り木目調のインテリアのなか観葉植物がいくつか置いてあるこじんまりとしたお店だった。あちこちにあしらってあった流木の乾いたブラウンに映える植物の緑。ほどよい音量で店内を流れるバックグランドミュージック。あの空間にどれほど救われただろうか。あの頃わたしは、とにかく会社を辞めたくて、今いる場所に不満で、どう人生を生きればよいのか分からなくて、しょっちゅう落ち込んでいた。別に、ひどい会社に勤めていたわけではないし、目黒区にあったアパートも住み心地は良かった。ただ、“これじゃない”という感覚だけがわたしを追い詰めていた。人生をなんとなくやり過ごすのではなく、運命に立ち向かってみたかったのだと思う。カフェは、わたしが不機嫌な猫のように縮こまれる数少ない場所だった。

ある午後下がりに、とっくに冷めたハーブティーの横に手帳をひろげ、胸中の不安をペンで消すかのように想いをつらつら書き散らかしていると、お代わりをサービスしてくれたことがあった。きっとあまりに暗い顔をしていたので、店員さんも心配になったに違いない。まぁまぁ落ち着いて、と言われたような気がして、気持ちがほころんだ。またあるときは、やり場のない陰鬱とした気持ちに沈みながらコーヒーカップを見つめ、子どもの頃に失った見えない友達デックのことを考えていた。彼と遊んだ日々はとても幸せだったなぁ、恋しいなぁ、と懐かしんでいるうちに、やっぱり彼の世界に行ってしまえば良かったのかな、と自分がくだした選択を疑いはじめる。今デックはどうしているのだろう、もう2度と会えないのかなぁと思ったそのとき、ふと耳に飛び込んできた歌詞があった。カフェで流れていた女性シンガーの歌声が、“I'm here”と、わたしに歌いかけていたのだ。鳥肌が立った。まるでどこか遠くにいるデックが、ここにいるよ、あなたの側にいるよ、と語りかけているかのように錯覚したのだった。わたしは一人じゃないんだ。そこはかとなく自信が湧いてきて、心がほぐれたのを覚えている。

カフェにまつわるこういった思い出がいくつかあって、それは今でも心をふわっとあたたかくしてくれる。今日もまた、久しぶりに入ったカフェでカプチーノを飲みながら、突然かかった懐かしい歌に耳を傾けていたら、気づけば心が笑っていた。その曲はオーストラリアのシンガーソングライターMissy Higginsの2ndアルバム『On A Clear Night』に収録されている「Angela」だった。

”アンジェラ、アンジェラ  危険なあの子に彼は夢中”

別にわたしが恋愛に夢中になっているわけではないのだけれど、ふとアンジェラを人生に見立ててみたのだった。ハラハラ波乱万丈の自分の人生にわたしは夢中なんだな、と思ったら、なんだか可笑しくて笑えてきた。人生なんて自分の意識次第でどうにでもなる。だったら、深刻になりすぎるなんてもったいないよね。雲間に差し込む太陽の光のようにじんわり心が明るくなっていった。

カフェで思いがけなく出会う魔法のひととき。それはいつどんな形で訪れるか分からない不思議なめぐり合わせなのかもしれない。カフェマジックに出会うことができた日の思い出は、きっとずっと後になってもあなたの心に効いてくるだろう。そして今日わたしがこのショートエッセイを書いたように、何かを始めるきっかけになってくれるかも。ね。


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