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ウズベキスタン旅行③~砂漠の街ヒヴァ~

爆睡から目覚めると柄オンパレードの部屋に自分が横たわっているのに気づき、自分がウズベキスタンにいることを思い出した。昨晩は汚いバスルームに慄いてTちゃんと2人でシャワーを浴びに行ったが、冷水しか出ないし、水も心細い量しか出ず、満足に体を洗えなかったし、潔癖症のTちゃんは半泣きだったので、十分疲れが取れたとはいえなかったけれど。しかも例のごとくバスルームへ行くには住民の部屋を通過しなければならないので、水浴びを終えて部屋に戻るときに、おばちゃんたちが室内で髪を切っている場面に遭遇して、カオスすぎて笑いたくなった。ウズベキスタンはこれまで私が行ったことのある国とはまったく違うことが、初日だけですごくよく分かった。

ナンとジャム、ディル入りのスクランブルエッグ、紅茶の朝食を済ませ、私が小一時間ほど仕事をしている間、宿の内外を探索していたTちゃんはしばらくして両手に白い果物を乗せて戻ってきた。「外でおばちゃんが木から木ノ実を採っていて、くれた」というその白くて小さな果物はとてもみずみずしく、その辺に生えていた木から採れたとは思えないほど甘くて美味しかった!色は白いけれど、これは桑の実だ。外に出てみると、確かに大きな桑の木が何本も並んでいて、どれもたわわに実をつけていた。あまりの美味しさに実を摘み取る手が止まらない。最高のデザートだった。

さっそく街へ観光に出ることにした。さてヒヴァという街は、タシュケントから約750km西に離れたホレズム州にある人口およそ5万2000人のオアシス都市である。16世紀頃からシルクロードの中継地となり、ヒヴァ・ハーン国の王都として20世紀頃まで栄えた。その名残として世界遺産にも指定されているのが、高さ7~8mの城壁に囲まれた旧市街・イチャンカラだ。ここの20のモスクをはじめ、さまざまな歴史的建造物が見られる上、この街には今でも一般市民が普通に生活していると言う。

イチャンカラまでは宿から歩いて5分程度と近かったが、砂漠の砂を巻き上げる強風に吹かれて、何度も風に飛ばされる帽子を追いかける羽目になった。この日の天気は曇り空。暑すぎくなく過ごしやすい。

宿から一番近いイチャンカラの入り口は東門ハルヴァン・ダルヴォザだった。この東門の外にはかつて中央アジア最大の奴隷市場があり、ヒヴァの経済を支えていたそうだ。どの時代でも奴隷として扱われた人々のことを想うと胸が痛い。どれほど恐怖に繋がれていただろう。現代でも奴隷の存在はなくなっていないと言うのも悲しいけれど、少なくともこの時代よりは人類は進歩したのだと思いたい。

私たちは空港で両替をしそこなったため、東門でイチャンカラへの入場券を買うことができず、城内にある両替所まで行って両替してから東門に戻って入場券を購入した。ドルを現地の通貨スムに替えるとこんなに分厚い札束になる。入場券は一般的なチケットが10万スム、VIPチケットが15万スム。なんかすんごい高いように感じるけど、10万スムで1300円くらいだから、世界遺産都市に入ると思えば普通の料金だ。私たちはミナレット(モスクやメドレセに付随する塔)に登りたかったのでVIPチケットの方を選んだ。

イチャンカラに入るとすぐ土産物屋が道の両側にズラリと並び、さまざまな民芸品や服、マグネット、モコモコの帽子などが売られていた。建物はみな薄い土色をしていて”砂漠の街”という感じにテンションが上がる!初めて見るものばかりなので、いちいち足を止めてよく見てみたくなるけれど、実は16:30にはアヤズカラへ行くための迎えが宿に来ることになっていたので、あまりのんびりもしていられないのだ。ひとまずヒヴァで一番高いイスラーム・ホジャ・メドレセのミナレットに登ることにした。メドレセというのはイスラム教の神学校のことだ。このメドレセは現在は博物館になっていて、さまざまな時代の陶器や民族衣装、シルクロードがもたらした宝物などが展示してあった。すぐそばにそびえ立つ大ミナレットは高さ45m。118段の急な階段を登らなければならない。しかも塔の中はとても狭くて、明かりもなく、危なかしかった。これは日本だったら絶対に立ち入り禁止物件だろう。それでも頂上まで頑張って登り切ると、眺めは最高だった。砂色の街並みの中に点々と輝くモスクのブルーが美しくて、何度も同じ写真を撮ってしまった。

この後は西門の方に行こう、と言っていたのに、メドレセ前でスザニを広げていたお土産屋さんのお姉さんに捕まってしまった。スザニとはウズベキスタン発祥の刺繍布のことで、17世紀頃から遊牧民の間で受け継がれて来た文化だ。刺繍の柄がとても可愛くて、相場を知るためにも値段を聞いておこうと思ったのだ。何しろどこのお店でもどの商品にも値札なんぞ付いていない。すべては値段交渉あるのみ、という雰囲気なのだけど、相場が分からなければぼったくられているかも分からないので、最初は手探りで交渉するしかない。結局、お姉さんが可愛かったのと商売上手だったのに乗せられて、私はスザニのクッションカバー2枚と壁掛け布1枚、Tちゃんはシルクの長ズボンと母のワンピースを買ってしまった。このワンピース、サイズを言えば1時間で希望の布で縫い上げてくれると言うことで、前金としていくらか支払い、後で取りに来ることになった。お姉さんはしきりに英語で「グッドプライス(いい値段だよ)」と言っていたけど、相場が分からない私たちはいい買い物をしたのか、高い買い物をしたのか分からず、しょっぱなからこんなに買い物をして大丈夫だったのかと不安になってしまった。そして不安と同時に空腹がやって来た。昼食の時間だ!

私はお腹が空くと機嫌が悪くなるので、まだあれこれ見たいTちゃんをせっつきながらレストランを探し、ティーハウス・ミルザボシというガイドブックにも載っていた屋外のレストランに入ることにした。座席はチャイハナ。もちろんウズベキスタン料理のプロフを食べるのだ!プロフというのは日本でいうピラフのこと。中央アジア発祥の米料理で、ウズベキスタンでも地方ごとに少しずつスタイルが違うらしい。ウズベキスタン料理について色々予習していたので、食べたいものはだいたい決まっていた私たちは、プロフ1皿とマンティ1皿とビールを注文した。

めちゃくちゃ美味しかった!こちらは牛肉の乗ったプロフ。マンティはお肉や玉ねぎの入った茹で餃子で、白いヨーグルトのようなものと合わせて食べる。ポーランドのピェロギにもちょっと似ている。やっぱり現地の料理を食べることこそ旅の最大の楽しみの一つと言っても過言ではないよね。しかもマンティとプロフはそれぞれ25000スム(約315円)で激安だった。ただし、ビールは2000スム(約260円)だったから料理と比較すると高いと言えるのかも(それでも安い)。ウズベキスタンはゆるいとは言えイスラム教国だから、酒類はあっても観光客向け価格が多いようだった。

お腹いっぱいになったところで、西門へ向かって歩き出した。東門と西門の間は約400mくらいしかないので、イチャンカラは歩きだけで観光できるのが嬉しい。メインのカール・マルクス通りを進むとブルーが美しい大きなミナレットが見えた。昨夜ライトアップされていたカルタミノルだ。昼間の姿もすごく綺麗だ。

こちらは中には入れないので、そのまま通りを進み、一度西門から外へ出た。イチャンカラの城壁を外から見たかった!この城壁の曲線美もナウシカ感があって最高すぎる。砂漠から吹いてくる砂を避けるためにこんな形になったのだろうか?この城壁には実は無数の人骨が埋まっているらしいけれど、それは死者を壁に埋葬する風習によるものだそうだ。

イチャンカラ内へ戻り、西門から入って左側にあるクフナ・アルクへ入場した。17世紀に建てられたクフナ・アルクとは「古い宮殿」を意味していて、中には執務のための公邸やモスク、ハーレム、武器庫などがあったらしい。ここの見張り台からの眺めもイチャンカラが一望できて素晴らしかった。

と、ここで雨が降って来た。ガイドブックには「太陽の国を意味するホレズムは年間300日雲ひとつ見えず、年間降雨量はたったの16mm」と書いてあったのだが、どういうわけかこれがドシャ降りとなってしまった。宿へ戻らなければいけない時間も迫っていた。

傘もないので仕方なしにクフナ・アルクの向かいにあったムハンマド・ラヒム・ハン・メドレセに駆け込んだ。入場券を見せたけれど、中は真っ暗。「明かりはないの?」と聞いたら、スマホの明かりで照らせ、と身振りで伝えられた。まじか。言われた通りにiPhoneのライトをつけて古そうな展示品や写真などを見たけど、なんか可笑しくて全然集中できなかった。というかますます時間がなくなっていく中で、宿に戻る前にせめてジュマ・モスクだけは見たいし、手作りのワンピースを取りに行かなければならないしで、結局再び雨の中を走ることに。

ジュマ・モスクは中央アジアでもっとも古く、10世紀ごろに建築されたというモスクで、中には213本もの木の柱が等間隔で並んでいる。とても不思議な空間で、気持ちが焦る中で立ち寄ったにも関わらず、なんだか心が落ち着いた。こういう感覚は、数百年にわたって祈りの場として大切にされてきた場所に共通のものだと思う。柱には美しい彫刻が施されていた。

一息ついたところで再び雨の中を走り、イスラーム・ホジャ・メドレセ前のお土産さんへ向かったが、ここでトラブルが発生した。なんとお姉さんは停電でミシンが動かず、ワンピースはまだできていない、と言うのだ。あと5分で宿に戻らなければならないという時に!この雨で停電なのか。分からないけれど、私たちがお店を去ってから2時間以上経っているのに、なんでできていないの!と責めたくなったけど、責めたとて何か変わるわけでもないし、焦る気持ちだけが募っていく。「あと10分待って」と言われて、まぁ10分くらいならきっと迎えも待っていてくれるだろう、と待つことにした。お店の中で待っていると、「これもどう?グッドプライスよ」と言ってきて、もう勘弁してほしかった。

次に「あと10分」と言われた時には焦りが高まり、たまらなくなってお店の向かいにあった写真博物館へ駆け込んだ。どうしようもなかった。迎えの車はきっと待っていてくれると信じるほかなかったし、本当にあと10分で前金を払ったワンピースが完成すると信じるしかない。落ち込むTちゃん。私は気持ちを鎮めようと写真館に展示されている写真を一枚一枚丁寧に眺めた。この人たちはどんな人生を送っていたんだろう。

結局、合計30分待って、完成したワンピースが車で届けられた。私たちはそれを急いで受け取り、お金を支払うとまた雨の中を走った。宿に辿り着くと、迎えのおじさんが笑顔で迎えてくれたのには心底ホッとした。良かった〜、と安心したのもつかの間、本日2度目のトラブルが発生した。スーツケースを手に出て行こうとした私たちに向かって、宿のおばちゃんが何やら「お金を払って」らしき言葉を口にしている。私たちはAirBnB経由で支払い済みなのに。おばちゃんはロシア語とウズベク語しかできなかった。AirBnBと言っても理解してもらえず、お金を払ったと言っても納得してもらえず、帳簿を示しながら何か主張しているおばちゃんとの押し問答に途方にくれそうになったところで、Tちゃんが「ホゥダシュクに電話して!」と言ってくれた。そうだ!ここに来て唯一英語ができて「助けが必要ならいつでも言ってね」と言ってくれたホゥダシュクがいた!彼が電話に出てくれた時はもう本当に嬉しかった。おばちゃんに電話を代わると、ホゥダシュクはいとも簡単に問題を解決してくれた。

助かったよ〜ホゥダシュクありがとう!

そして悪いけど、ここのAirBnBは悪い評価しかつけられないな!

私たちは安堵と収まらぬ緊張感とともにアヤズカラ行きの車に乗った。さらに20分近く待たされた運転手のおじちゃんはもう笑っていなかったけど。この先2時間ほどの移動になるので、少し休めそうだ。車は止まない雨の中を走り、ヒヴァの街を後にした。

〜続く。

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ウズベキスタン旅行③~砂漠の街ヒヴァ~

恵美

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フリーライター、翻訳家、ブロガー。ポーランドと日本のミックス。物を書くことと踊ること、音楽が好きです。短編、詩、エッセイみたいなものを載せていきます。
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