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現場と呼ばれる仕事はすべて舞台づくりに似ている気がするし、これだから舞台づくりは楽しい、という話

まつもと市民芸術館で「パレード・パレード」という芝居を観ました。思えば、2020年の2月に以前働いていた職場でコロナ前最後の舞台をやって以来だから、もう一年半ぶりの観劇。

暗喩だらけのセリフに、何とか意味を与えようと頑張っている脳みその残り半分で、「ああ。照明に照らされた俳優の汗は美しいなあ」とか「生演奏で感じる音圧はやっぱりいいなあ」とか「この値段でこのぐらいお客さんがいるなら、予算はこれぐらいかなあ」とかぼんやり考えていました。

とどのつまり「舞台はやっぱりいいなあ」と思ったので、これを機に何がいいのかを考えてみようと思います。

1.プロフェッショナルとクリエイティブの条件

私が舞台の裏方としての短いキャリアの中で教わってきたことの一つに、舞台の成功のために、それぞれが与えられた役割をきっちり果たすという掟があります。役者がいて、舞台監督がいて、照明と音響がいて、大道具や小道具、衣装のスタッフがいて、全ての人がプロとして求められることを最大限発揮するべく努力することで、舞台が良くなると。

昔受けたある研修で、ジャズ界で有名な音響家の方がこんなマイルールを語っていたことがありました。

❝ プロとしての音響家の仕事には二つの次元がある。

一つは音響家として必ずやらなければならないこと。例えばスピーカーをハウリングさせないこと。音のバランスを取ること。さらに欲を言えば、ジャズならジャンルごとに、どの楽器がどういう風に鳴るべきか把握しておくこと。

二つ目はアートの領域。例えば演奏家のオーダーをくみ取り、よりよく音を鳴らすこと。演奏家やお客さんのテンションに合わせて音を調整すること。❞

全ての仕事には、それが仕事(profession;職業・専門性)として成立する必要最低条件があり、その仕事で対価を頂く以上、誰もがその必要最低条件を満たさないといけない(もちろん、どういう基準を設けるかには色々な議論があると思います)。その人らしい個性があるとすれば、そうした必要最低条件をクリアした上でやっとにじみ出てくる、ということなんだと思います。

2.現場と呼ばれる仕事は舞台づくり

不思議なことに、舞台の仕事でなくてもこの法則はある程度当てはまるように思います。

というのも、私が今「現場」を共にしているほっちのロッヂの仲間たちは、医療福祉業界で「あたりまえ」とされている常識や、求められる役割に新しい方向性や意味づけを見出そうと奮闘していますが、実際のところ「医者として」「看護師として」「介護福祉士として」「保育士として」最低限求められるスキルや判断、行動水準をきっちりと追求しながら、その上で自分らしい個性を探っている感じがするからです。

見て、この頼もしい感じ。

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だからこそ、私たちはお互いの役割やスキルに口や手を出し過ぎないように心がけているし、お互いの目指す方向を信頼して活動に取り組んでいるように思います。このリスペクトの循環が崩れると、舞台が一瞬で凡ミスの嵐になるように、歯車がうまくかみ合わなくなるのです。

3.舞台づくりにはリスペクトが大事

舞台上では、照明さんが明かりを当ててくれるはず、役者は動いてくれるはず、音響さんが音を出して、舞台袖では小道具さんが次の場面のセットをしていてくれるはず、という、お互いの役割とスキルに対する信頼の積み重ねで物事が進行していきます。このようにお互いの領域を干渉せずに物事を進めていくのは、お互いの専門性に対するリスペクトの表現にほかなりません。

このようなリスペクト溢れる舞台づくりのあり方と真逆の例としては、『センスメイキング』という著書の中で挙げられる、ダメなコンサルタントのあり方。

物事に向かうときに必要なのは、表面的なファシリテーションではなく、深く具体的な経験に基づく情報なのだと論じる筆者のディスり具合が爽快なので、いったん読んでください。

(クリエイティブ・シンキングを標榜する人たちは)創造性を発揮したいなら、会社の官僚体質や専門知識、合理性を追求した分析の呪縛から解き放たれよと言っている。そして、真の自由は、何に対しても寛大で遊び心や好奇心にあふれ、のびのびとした子供の世界に存在するというわけである。

・・・こういう人々は、現実を観察するような骨の折れる作業からは逃げる一方、薄っぺらな専門用語を並べ、虚しいステイタスごっこに終始している

クリスチャン・マスビアウ著『センスメイキング 本当に重要なものを見極める力』(斎藤栄一郎訳、プレジデント社;2018年 第六章より)

まちづくりや各業界で、その地域や領域では「あたりまえ」とされることをくつがえしていこうとする時、そのまちや業界で長くどっぷりやってきた人たちの思いや考えを深く知らず、知りもの顔で否定したり、指導しようとしたりする姿勢にはくれぐれも気をつけたいものです。

そのような姿勢にはリスペクトのかけらもない。私自身にも過去にたくさん思い当たる節がありますから、自戒を込めて言っています。

4.変革のプロセスは、意外と地味かも

舞台運営では、何もハプニングが起きないことが一番の成功だったりします。ミスがあったとしても、見ている観客に気づかれずに終えることは、すべてのスタッフが高い集中力でミスを補い合い、あうんの呼吸でやりきったことの証明です。

ですから、現実に挑み、世界に変化を起こそうと試みる舞台が、あまりにも地味に、あまりにも静かに終わる時、実は私たちは大きな変化と達成感を体験しているのかもしれません。

そういうことで、つつがなく終わった今日の舞台「パレード・パレード」も大きな余白を私の中に残し、こうして久しぶりに考えを巡らす機会を与えてくれました。

大変な中、上演にこぎつけた関係者の皆様、お疲れ様でした。 役者がどんなに地団駄を踏んでも壊れない机の作り方が気になりました。

千秋楽は8月29日(日)。コロナ対策も徹底されていました。

「パレード、パレード」開幕!! とある教室に集まった人々。 それぞれが抱えている想いや不安、葛藤、などなど、生前に抱いていた心の内を語り始める・・・。 今までのアルププロジェクトとは全くテイストの違う、ここ松本だからこそ生まれた本作をお見逃しなく!! もちろん、感染症対策を行ったうえで、皆様のご来場を心よりお待ちしております。 「パレード、パレード」 8/25(水)~29(日) まつもと市民芸術館小ホール

Posted by まつもと市民芸術館 on Wednesday, August 25, 2021

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