見出し画像

誰も排除しない社会にするためにはどうしたらいいのか。脳の多様性(ニューロダイバシティ)について再考したくなった。

影響力のある人達の度重なる炎上でいろいろ考えたのでメモ。脳の多様性を理解すること。そして、本当の賢さとはなにか?子どもに何を教えるべきか?考えてみました。備忘録です。

恋人や家族よりもペットのカメを大切にする主人公

画像1

先日、Netflixで、高機能自閉症(以前はアスペルガー症候群と呼ばれていて、現在ではASD)をもった主人公をが青春しながら成長していく「Atypical(邦題:ユニークライフ)」というドラマを観た。

その主人公はペットのカメ以外にはほとんど心をひらくことがなく、他人には全く関心をもたない。なによりもかわいい動物たちを愛していて、親しい数人の人にしか心を開くことはない。陰口を叩かられても邪魔にならなければまったく気にしない。

明るくて世話焼きな親友と、体目当てで付き合い始めた彼女との付き合いでいろいろ衝突しながら、学んでいくストーリーである。

こういういわゆる極端にない人を、天才数学者みたいな描き方ではなく、普通の日常を描いていることに感銘をうけた。

もし彼がインフルエンサーになっていたら・・・? 
歯に衣着せぬ過激かつ明快な発言で注目をあびていたかもしれない。悪口を言われてもどうでもいいと思う性格なので、批判されても意見を曲げない屈強さがあるので炎上にも強いかもしれない。

EQよりIQが重視?本当の賢さとはなにか。

画像4

「それあなたの意見ですよね?」批判に屈せず明快なことをズバズバ言えて論理的なインフルエンサーは、とてもかっこよく見える。特に小中学校の義務教育のなかでは、勉強も中くらいだった平凡な私にとっては、ロジカルな考え方ができて、多くの知識をもって話せる人たちにあこがれてしまう時期があった。しかし、必ずしも彼らが本当に賢いといえるのか、また、リーダーにふさわしいか人であるかどうかはまた別の問題だ。

本来社会では、IQだけではなく、心の知能指数EQ(エモーショナル・インテリジェンス)を育むこともとても大切だと感じる。

感情知性の定義は、
「感情的に知的な人は、”感情の認識能力”、”感情の利用能力”、”感情の理解能力”、”感情の調整能力”の4つの分野に長けている」というもの(アメリカの心理学者:ジョン・メイヤー博士とピーター・サロベイ博士)

EQは、日本の教育の「偏差値主義」な土壌ではなかなか評価されづらい。本来はもっと多角的に賢さを判断すべきことを子どもたちに教えていかなくてはならない。そして選挙で、リーダーを決めるときに要注意しておくべき点でもある。

社会に求められる『ニューロダイバシティ』という考え方

画像3

共感能力にかけていたり、訓練や人生経験が不足していることが原因で炎上をさせてしまうインフルエンサーが多くいる。社会的正義に反するものには抗議をするべきだとは思う。しかし、その酷いと思う気持ちに共感し、連帯するでけでは、カバーできないものときにはある。

オードーリー・タン氏の著書で、「ニューロダイバシティ」と言葉を知った。「ニューロ・ダイバーシティ」とは、すべての脳にはそれぞれに違いがあり、その違いは優劣ではなく個性だとする考え方である。脳の多様性や神経多様性とも訳され、自閉症やADHDといった神経疾患も普通のヒトゲノムの差異の結果として現れるもので、それぞれ固有の強みを持っている、と提唱する。

意識しないと見えにくいが、共感能力が比較的低い人、罪悪感を感じる前頭前野が機能してない人など、様々なひとが一定数同僚やクラスメイトに必ずいるだろう。いやもっと言えば、その共感能力やあらゆる事象への感受性はひとりひとりがまったく異なるレベルでもっているし、すべての脳には違いがある。我々は、性自認やジェンダー、人種、文化等同じように、我々も脳に多様性があることを知らなくてはいけない時代になってきていると感じる。

ちなみに私の場合:ADHD、それによって併発された不安障害等を患っている(主治医による診断)

・なにかしてると次のことを思いついてしまって、新しいことを始めてしまう
・集中すると周りが聞こえない。中断されるとパニックになってしまう。
・しっかり準備しないと不安になる。
・過集中をしたあとは眠気が強くなり、ミスが多くなる
・聴覚過敏で風船のキュッキュとこすれる音が耐えられない。
・先延ばしグセがある。

などの多くの症状がある。この症状によって、生きずらさを感じてきたし、それを対処するために様々なライフハックや訓練を重ねてきた。同時に強みとして活かせる場所は人生の中でも多くあった。なかなか理解されないことも多いし、自分自身について理解を深めるまでだいぶ時間もかかった。

今の社会では、どうしても、定型的な学校教育についていけなない子どもたちは、療育施設に行って発達障害と診断さる。また、その度合も様々なので、気づかれにくいという理由から支援を受けることなく苦労している子どもたちもいる。大人でも、新社会人が評価されるようなコミュ力や注意力が欠落しているせいで評価され苦労している人も多くいる。

排除ではなく理解してその先を想像し続ける。

画像4

人には秀でてるところ、欠落しているところはだれにでもありそれぞれが支え合っていかなくてはならない。そのために私は以下のことを社会で考えるべきだと思う。

・ひとりひとりが、あらゆる脳の多様性を理解する。過集中をしてしまうADHD,人の気持ちを想像したり表情を読むことが苦手なASD、心拍数が常に平常で罪悪感を感じにくいサイコパスなど、あらゆる脳の特性について知ること、理解を深める。

・そういう人たちをうまく活用するにはどういったコミュニケーションが必要か、幼少の頃にどんな教育ができるか考え続ける。(もしかしたら、世の中に存在する多くの脳の特性を知ることで、いじめが減るかもしれない。)

・そして、企業はどういうレギュレーションをもって彼らの危機管理行っていくか考えるべきである。プラットフォームにおける倫理観を明快に。ユーザーが動画を報告しやすいルールを作ったり、内容によってはすぐに削除されるなど対処していく。過激な動画が評価されやすいアルゴリズムを作らない等。

これだけ書いてみたけど、まだ正直なところ正解がわからない。機会があったら、他の教育機関の人にも意見も聞きたいです。ぜひご連絡ください。
Twitter: @emikusano



noteでいただいたサポートは勉強代にさせていただきます! ぜひご支援お願い致します!