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相対性理論誕生の秘密

アルベルト・アインシュタインは、1905年6月30日に特殊相対性理論を発表した。これは、光の速度を絶対とし、それによってニュートン力学とマックスウェル理論を一貫して説明したものだと言える。その理論が圧倒的支持を受けるようになった背景には一体何があったのだろうか。

相対性理論の非科学性

ここで、そもそも絶対である光の速度とはなんなのか、ということになる。光の中にも様々な波長があり、赤外線からスペクトラムを挟んで紫外線まで、厳密に分けることもできない波長の違う「光」が存在する。それを一般化して「光の速度」などと表すことは、果たして可能なのか。そして、その曖昧な絶対基準を元にして構築された理論はどこまで現実世界を正確に説明しうるのか。

マクロの物理現象については、相対性理論があろうがなかろうが、様々な蓄積によって事実らしきものがほぼ明らかになり、ニュートン力学や電磁気学は、個別にそれなりに説明がつくようになっていた。そこに、電気の実用化に伴い、それらを統合的に説明する必要が生まれていた。

電気の発明、応用についてはこれまた色々詳細に検討する必要があると思うのだが、そこはまた別途考えるとして、重要なのは、アインシュタインが基準となる理論を打ち立て、それに従って認識形成がそれを軸に行われるようになった、ということではないかと考える。つまり、多くの人が相対性理論が正しいと考えれば考えるほど、自己言及的にその理論が正しくなるように認識が形成され、それが現実、というよりも個別の観察結果の解釈に大きく影響した、ということだ。他の解釈の仕方があったとしても、相対性理論的解釈によるのがなんとなくそれっぽい、ということになれば、それで説明するし、さらには、素粒子論などでは素粒子の存在の「予測」などということがされるが、それはまさに理論が先にあって、たまたまそれにあった観察結果が出たら、やっぱり理論は正しかった、という自己補強的な論理構築であり、それは本当に現実を正確に解釈した理論の結果なのか、ということはわからない。実際、それらの理論では説明のつかない暗黒エネルギーや暗黒物質が物理的エネルギーの多くを占めているわけで、それはすなわち、少なくとも量子レベルでは相対性理論はほとんど何も説明していないことを示している。相対性理論とは、既存のマクロ物理現象をたまたま現れた電気の理論を当てはめて説明したら、なんとなくそれっぽくなったから、あたかも万能理論のように取り扱われているだけで、そのかなりの部分は幻想から成り立っているのだと言える。(この辺り、物理理論について正確に理解しているわけではないので、非常に大雑把な感覚で書いています。自分で読んでもよくわかってないなぁ、と思いますし、そもそも書いてあることが全て相対性理論と関わっているのかもよくわかりません。そして、素人のそのざっくり理解が物理世界の認識構築に非常に強く影響している、つまりこんなことが相対性理論に書いてありそうだ、という感覚で、相対性理論の力が必要以上に強くなっているのかな、とも感じますが、全部理解して書くのは大変なので、素人の考えていることはこんなものだ、との理解でご容赦ください。)

相対性理論誕生の時代背景

ではなぜ相対性理論がそこまでそれっぽくなったのか、という時代背景について考えてみたい。特殊相対性理論の発表は、日露戦争における日本海海戦のすぐ後となる。日本海海戦は、圧倒的不利と見られていた日本海軍が、バルト海からはるばる回航してきた強豪国ロシアのバルチック艦隊を完膚なきまでに叩きのめし、それによって日露戦争の帰趨が決まった、というものであるが、これは様々な点で誤謬に溢れている。

ロシアの実情

まず、ロシアは基本的に陸軍国であり、長年鎖国していたとは言え基本的に海に囲まれている日本に比べれば、海について言えば全く素人だと言って良い。船を出すための港が欲しいから南下を繰り返してきた、というレベルであり、海軍などと言っても、まだまだ水遊びに毛が生えたようなものだったと考えられる。東洋においては、日清戦争のどさくさの三国干渉によってようやく旅順港を手に入れたばかりであり、バルチック艦隊の目的地とされたウラジオストクに至っては、前年の1904年にようやくシベリア鉄道が開通したばかりで、近代的な港のようなものが本当にあったのかも定かではない。つまり、仮にバルチック艦隊が最新鋭の艦隊であったとしても、ウラジオストクがその拠点となるような港湾施設を備えていたかは非常に疑わしいのだ。そのようなところに、戦争が始まってから付け焼き刃のように艦隊を送って戦況が変わるなどというのは、状況判断からして間違っている。そして、旅順が陥落した時点で、その勝負はやる前から決まっていたのだと言える。

ポーツマス条約の評価

それを、その日本海海戦を機に、アメリカのセオドア・ルーズベルトが仲介に乗り出し、あたかも日本が大国ロシアに対して奇跡の大勝利を演じたかのように国際世論を作り上げ、日本を国際社会にデビューさせた。結局この戦争で日本がロシアから直接手に入れたと言えるのは、樺太くらいなもので、その樺太ですら元々日露雑居地、しかもロシア人ではなく、おそらく原住民との雑居地であったところを千島樺太交換条約でロシアに譲ったのを取り戻した、というのも変な話で、そもそもその対岸の沿海州アムール川以南はロシアが清から強奪したようなものであり、その意味で樺太が日露の雑居地であったということがそもそも疑わしいのにそれを無理矢理譲らされた状態を元に戻しただけで、そして旅順、あるいは満州権益についてはそもそもがロシアが持っていること自体がおかしなものであり、仲裁をするのならば、満州、アムール川以南沿海州も含めて清に返還する、という話でなければ全くおかしかったのだ。むしろ、アメリカが介入してロシアに有利なように条約を結ばされた、というのが実態であり、要するに、それほどまでに東洋と西洋の間には認識の大きな違いがあったのだ。

バルチック艦隊の虚構

おそらく、旅順陥落の時点で、イギリス経由で講和を結ぶ、というのが最善の選択肢であっただろうと思われるが、それが、バルチック艦隊が絡んだことで、部分的にしろイギリスは交戦国のようになり、仲介はしにくくなった。そこでそのバルチック艦隊は、マダガスカルで落ち合ってから日本に向かったということなのだが、偶然にも、ちょうどその時期マダガスカルでは現地住民のフランス統治に対する蜂起が起こっていた。そんなマダガスカルに、艦隊は2ヶ月以上も停泊して、そして旅順が落ちたことがわかってそれでも東洋に向かっているのだ。なお、日本海海戦の直後には黒海艦隊のポチョムキン号にて武装蜂起が発生している。このあたり、さらに調べる必要があるが、とにかくバルチック艦隊はそんな怪しい行動をしており、そしてその艦隊の規模などが実際にどの程度だったのか、そしてそもそも本当に東洋まできたのかすらも怪しいと思うのだが、それを日本連合艦隊が壊滅させたという話を作り、その奇跡的勝利に免じてアメリカが仲介してやる、という話で、ロシアに圧倒的有利な講和条約を結び、それを東洋と西洋の認識が交わる起点とし、その起点に載せて相対性理論が広まることになったのではないか、と考えるのだ。日本に残されたのは、外債で賄った戦争による借金の山だった。それを賠償で簡単に返されたら計算が崩れる人々がいたのだろう。原点がそんなことだったから、踏んだり蹴ったりだが、その結果生まれた原子爆弾が日本に落とされるというのも、ある意味では必然であったと言えるのかもしれない。そして、相対性理論の広がりというのは、そのまま清という国の記憶を世界中が食い潰すことによって行われているのだと言える。

共産主義との関わり

もっとも、それだけでは西洋側の事情は全く説明できない。実は西洋側の方がはるかに大きく関わっている。この頃ロシアには、ロシア共産党ができて、共産主義運動が高まりを見せていた。それは、ウラジーミル・ウリヤノフすなわちレーニンが、マルクスの共産党宣言をロシア語訳したことから始まったと言って良い。そのウリヤノフは、1895年に扇動罪で捕まり、97年から3年間の流刑となり、刑期がおわった1900年にスイスに亡命したという。この頃、アインシュタインもスイスで勉強しており、その同級生であるミレヴァ・マリッチとの間に女の子を作ったと言われる。のちにアインシュタインは彼女と結婚するが、リーゼルというその子の行方はわからないという。これは全くの想像に過ぎないが、実はリーゼルの父親はウリヤノフ、すなわちレーニンなのではないだろうか。マリッチは、その名の示す通りスラブ系のセルビア人で、同じスラブ系のウリヤノフと関わることで、ウリヤノフの共産党宣言ロシア語版に影響を受けた人々の動きを感じることができるようになったのではないか。そして、アインシュタインは、マリッチの感じたその風景を、自分のユダヤ系としての立場を光として絶対視しながら観察することで、相対性理論的な考えが生まれてきたのではないか、と思うのだ。

ロシア帝国は、日本との戦争を続ければ、もっと早くに崩壊し、共産主義が出るまでもなく他のなんらかの政権が生まれていた可能性は十分にある。それを、セオドア・ルーズベルトがロシア有利の形で講和をさせたことで、ロシア帝国はさらに10年余り生き延び、それが共産党による革命を可能にした。ユダヤ人であるマルクスの書いた風景に沿って世界がロシアを皮切りに共産革命に包まれるにしたがって、相対性理論的な考えも広まっていったのではないか。

相対性理論のくびきから逃れるために

相対性理論は、物理学に限らず、現代社会のOSのように、社会科学にも大きな影響を及ぼしていると感じられるのは、このような誕生の秘密によるのではないだろうか。実際には、その理論はかなり雑であり、少なくとも社会がそれに縛られるというのは、それを受け入れる人間、社会の側に大きな負担をかけるのだ、ということを理解し、それにどのように対応するのか、ということをよく考えるべきなのではないだろうか。

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