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少し叩かれているジェンダー&フェミニズムの記事について

ジェンダー&フェミニズムに関するヒラギノさんのインタビューがちょっと叩かれていたので、なぜ叩かれたのか考察してみます。わたしはヒラギノさんだけではなくウェブメディアの編集部も責任があるかもと思って読みました。

これは、人格の否定ではなく、あくまで内容と編集に関する考察です。おそらくヒラギノさんは人気のあるライターで、編集部の方も熱い志を持ってこのインタビューを組まれたと思います。一読者としてどのような感想を持ったのか読んでくださるとありがたいです。

1.読者のターゲットが分かりにくかった
イントロの部分で「迷えるリーダーたちはいかにして現在地を見定めて、最初の一歩を踏み出していくべきなのか。」とあるので、おそらくそんなにジェンダーやフェミニズムに詳しくなくても、これを読んだらちょっと分かるかも...と期待してしまいます。でも、「ジェンダー論は学問で、英語のように勉強するもの」とヒラギノさんは主張をされているので、「で、フェミニズムって結局なんなんだっけ...?」と読者は感じざるを得ません。読書リストはサジェストされているものの、あれ、全部読まないと分からないの...?と読者を置いてけぼりにしてしまっているなぁと感じました。

2. 実際インタビュイーは本当に彼でよかったのか
ヒラギノさんのことを「ジェンダーをはじめとしたソーシャルイシューについて執筆するライター」と紹介されていますが、ん??という感じはありました。そもそも、彼はオシャレに興味がありそうな人で、日頃から社会問題やフェミニズムについて発信してる印象は受けたことはありませんでした。さいきんちょくちょく活動されてるみたいですが...。もう少しどんな活動をされているのか知りたかったです...。

ヒラギノさんは無意識にマイノリティを傷つけてしまった話をしたりせず(もっと日常にどんな些細な差別があふれているか事例をあげてほしかった)、「自分が立場が上なのは分かっているから自覚的にならなくちゃ」とは言っています。そう思うだけなら、誰でもすでに感じていることなので、わざわざ彼にインタビューしてそれを聞き出したのは、時間の無駄では...?と感じました。

もし、フォロワーが多いヒラギノさんの拡散力をあてにして、しかもジェンダーを少し勉強してそう...と編集部が感じて人選したのであれば、ジェンダー/フェミニズムの全体像を見渡せる研究者と対談してもらったり、差別を受けた人の座談会の司会者にヒラギノさんをあてて、彼に参加後に感想をもらったりするのもいいなと思いました。

最近の謎は、なぜフェミニズムについてインタビューをするときに、有名なシスヘテロ男性に依頼してしまうのかという点です。これは、集英社の雑誌『すばる』がフェミニズムの特集を組んだときに男性だけに執筆依頼をしたときにも問題になりました。フェミニズムの問題を語る際に、抑圧された人の声を拾う視点を持ち、人選を慎重になった方がいいです。

例えば、「黒人差別について考える」という特集を組んだ時に、毎回白人を相手にインタビューするのは悪いことではないですが、当事者にインタビューをしないのはどうしてだろう...となると思います。

女性やセクシャルマイノリティ、他に立場の弱い人を対等に扱うようにするのがフェミニズムの根本思想にあると知っていれば、もう少し人選に慎重になるのかなと思います。わざわざシスヘテロ男性をインタビュイーにするというのは、それなりの理由が必要だけど、今回はどんな理由で彼になったのか。フォロワーが多くて、ちょっとジェンダーについて知っているからという理由だとしたら、少し悲しいです。

3. インタビューの前置きが理解し難い
インタビューの前置きでヒラギノさんは次のようなことを言ってらっしゃいます。

「自分をジェンダー論の”専門家”と称するつもりはありません。こうしてインタビューを受ける側に立つことも試験的に始めた段階で、今後やめる可能性も十分にあります。あくまで学者の水準には至っていない、在野のアクティビストとしての発言であるということをご理解いただきたいです。」

こんなことを本人に言わせてしまっている編集部は、おそらく「ジェンダーやフェミニズム」についてそもそも彼に教えてもらおう。というスタンスで行ったのではないか、という不安を覚えました。もし、インタビューのコンセプトが、「日常にある無意識の差別を話してもらう」など、彼の経験を引き出せそうな内容であれば、ヒラギノさんに「僕は専門家じゃない宣言」をいきなりさせなくても済むはずです。でも、彼の経験を引き出すのではなく、「少し小難しいジェンダーについて語ってもらおう」という編集部の姿勢がみてとれるので、ヒラギノさんは「学問です!」みたいな回答になったのではないかと推察します。

Aについてどう思いますか?それは「◯◯です」という個人的な定義の説明でもあればよかったのですが、「学問です!」と答えるのは、少し回答が雑なのと、フェミニズムを初めて理解しようとする一般読者にとって「わー、、学問なんか...」と気持ちが遠のいていくきっかけを抱かせたのではないかと懸念しています。これは、小学生に教えることを想像しながら考えると容易で、小学生に向かって、フェミニズムは勉強です!本を読んでください!と言っているのと同じで何も言ってないと私は思います。

4. 「一番に信頼すべきは学者さん」を目立たせるのはおかしい

一般の個人であれば単に一人ひとりの知識不足なので、ネット上で何か至らない発信をしたとしても、批難を呼ぶだけで済む話だと思います。ただ、このジャンルを仕事にしている人やインフルエンサー的な影響力を持った人の場合はそうはいかない。社会的責任が伴うはずです。
僕は自分の記事でも常々書いていますが、一番に信頼すべきは学者さんなはず。なので僕は、読者が学者さんの書いた本を手に取るきっかけを作るために活動している意識でいます。
学者さんの中にも「ちょっとどうなんだろう」という論調でアカデミシャンから敬遠されている方もいるよね、という話です。でも、そういう方を見分ける目を養うためにも、やっぱりまずは学者さんの書いた本を読んで基礎を身につけることは避けられないと思います。

インタビューの中に「一番に信頼すべきは学者さん」という発言があります。学者でも、政府の見解を擁護するだけの御用学者もいれば、異端扱いされて正しいのに誤っているとレッテルを貼られる人もいれば、理論は打ち出せるけれども人格は破綻している人もいます。ヒラギノさんは後の方で「学者さんの中にも「ちょっとどうなんだろう」という論調でアカデミシャンから敬遠されている方もいるよね」ともおっしゃっていますが、「一番に信頼すべきは学者さん」という発言は、誤解を招くので、編集でどうにかしてほしかった...と思います。ヒラギノさんが一番言いたかったことより、「一番に信頼すべきは学者さん」が目立ってしまっているので、そこをわざわざ太字にしなくていいし、むしろ、学者も疑うべきと最初から言えばよかったのにと思います。

5. ターゲット層は一般の読者層だったはずだけど、用語の注釈もない
ヴィクティムブレーミング、トーンポリシング、リベラルフェミニズム、ラディカルフェミニズム、マルクス主義フェミニズムなど用語が盛りだくさん。しかし、説明はありません。

代表的なところでリベラルフェミニズム、ラディカルフェミニズム、マルクス主義フェミニズムなどがあります。自覚として、僕自身は割とわかりやすいリベラルフェミニズムの人間だと思っています。男女の不均衡を、制度や社会の仕組みのアップデートで解決していこうというスタンス。それぞれの詳しい定義はぜひこれを読んでいる皆さん自身に調べてほしいです。

読者置いてけぼり感が半端ない...。注釈もない...。ラディカルフェミニズムとマルクス主義フェミニズムがこうだから、僕はリベラルフェミニズムというスタンスをとりますと言わないと分かりにくいです。難しい用語を使っている俺、かっこいいのような感じになっていないか、心配します。

「TERF」について、特にその名称の是非の議論について調べてみてください。

ここでも、置いてけぼり感...。

「ツイフェミ」みたいな言葉を使ってアンチフェミニストなツイートをしているアカウントたちが思い描く「フェミニスト」はこういう、きちんと学習を積んでいないまま感覚で発信している人たちを基に作り上げた、ほとんど実在しない架空の「フェミニスト」なんだろうなというのはよく言われていることですし、僕も概ね同意です。

「ツイフェミ」という言葉ひとつとっても、「ツイッターでフェミニズムの草の根運動をしている人」という定義もあれば「フェミニズムの振りをしたミサンドリスト(男性嫌悪者)だ」とする文脈で使われることもあります。こういう曖昧な定義な言葉を、知っているという前提で、さらさらとインタビューの中で言われても、ツイフェミという言葉に馴染みがない人は、またまた置いてけぼりになってしまいます。

6. 勉強中ですというのは大事だけど、何の解決にもならない

1つ僕が仕事を通じて実現したいこととして、フェミニストであれなんであれ「全員が勉強中だ」という前提をなるべく多くの人にインストールしたいというのがあります。
逆に言えば、これまであまりにもフェミニストばかりが一貫性や清廉潔白さ、論理の破綻のなさを強いられてきている。
「勉強中である」という状況を相互に許し合う。それによってはじめて完璧でない自分を許せる。そうでもないと勉強を続けていけません。

勉強中といえば、間違っても許してくれる。それは間違いではないです。でも、結局どうすればいいのか読者には伝わりにくいです。
例えば、ケースを変えて考えましょう。自動車は一般道だと60km/時が法定速度です。なのに、「道路交通法を勉強中です」と言いながら100km/時のスピードを出すのは、明らかに人を殺します。これと一緒で、いくら勉強中ですと言っても、本質的な理解をして日常的な態度まで注意しなければ、人を苦しめます。


7. インタビューの内容とツイッターの発言に乖離がある

僕も毎日間違え続けているし、人を侮辱した瞬間を思い出して、文字通り震えながら日々文章を書いています。「俺に何が言えるんだ?」というのは常にある。なにせ僕は男性ですからね。しかもシスヘテロ男性です。女性という属性を持っている人は100%被害者側の存在で、不均衡に一切加担するはずがない、なんてことは断じてありえませんが、シスヘテロ男性は圧倒的にジェンダーにまつわるものごとに関心を持たずに生涯を終えられるケースが多いといえます。

と、少し「女性の気持ちが分かる」という発言をされています。

また、以下のような発言も。

ジェンダーにまつわるものごとに触れはじめたばかりの男性が、急に坂の上から「ここに坂あるぞ! 気をつけろ!」って言い出すんです。女性たちからしてみたら「今さら何?」でしかない。言ってる自分は何なんだよ、自分はどれだけ清廉潔白に生きてきたんだ? という話になる。
そうじゃなく、まず自分自身の特権性に目を向けて、今後訪れる反省の繰り返しの日々に向けて覚悟を決める、というのがあるべき姿勢として今考えていることです。男性という属性を持っている時点でこれまで見えていなかったことが無数にあるんだと思っておかないと、みんな知っていることを声高に叫び悦に入る空虚なヒーローができあがる。これは「白人」や「富裕層」、「年長者」でも同じこと。

しかし、やはりジェンダーやフェミニズムを学問や知識としては理解していても、以下のような発言が漏れ出ると、やっぱり、フェミニズムの思想を理解していなさそう...と思います。

「欠陥」という言葉をどんな文脈で使われているのか不明ですが、フェミニズムは、思想であり運動ですが、もちろん欠陥だってあります。フェミニズムが包括する範囲も揺れ動いていますし、誰かがおかしい!と欠陥を指摘して、第1波〜第4波までどんどんシフトしていっています。フェミニズムは社会学や経済学といった学問ではなく、思想だと捉えてもらった方がいいのでは...?と思います。フェミニズムは弱い立場の人を守るというシンプルな思想ですが、時代によって「弱い立場」が女性の中でも層が変化したり、女性以外のセクシュアリティや今では移民や他の弱者も入ってきています。だから、学問体系としてのフェミニズムではなく、思想としてのフェミニズムとしてみてほしい。あと、社会学や経済学にも欠陥はあります。学問の存在について議論するのではなく、その学問の中で研究や思想が流行ったり廃れたりとどう変化しているのか考えて欲しい...涙。

それから、学問というのは、1人の研究成果で体系が変わってしまう(コペルニクス的な)瞬間というのがあったり、#Kutooのように1人の草の根運動が社会に影響を与えることだってあります。なのに、以下のような発言をされるのは、学問観の認知が歪んでいるなぁと思いました。もちろん、フォロワーが多い分、クソリプが多いのも分かります。しかし、それらを全て、「俺に言われても...」とするのか、省みるのか、どっちがいいんだろうと思いました。


8. 雑な海外では◯◯論

それに、海外の俳優やミュージシャンの中にはフェミニストを公言している人が多いので、彼女ら彼らを通して入っていくのもわかりやすいと思います。例えばエマ・ワトソン、レディ・ガガ、ビヨンセ、アリアナ・グランデ、リアーナなんかは海外エンタメに特別関心のない日本の方にも知られてきていると思うんですが、若手の女性ミュージシャンについてはわざわざ特筆することもないくらい、フェミニズムにまつわる言及が一般的なものになってきている。

エマ・ワトソン、レディ・ガガ、ビヨンセ、アリアナ・グランデ、リアーナなどを挙げるのはいいと思います。でも、一般読者からしてみれば、「どんな発言をしているからフェミズムを率先しているアーティストと言えるのか」まで理解しないと彼らのすごさは伝わらないのでは...。と思いました。

たぶん、これは私がそんなに問題として挙げるほどでもないとは思うのですが、やはりインタビュー全体を通して、読者に対する置いてけぼり感があるので書きました。

9. めちゃいいことを言っているけれど、深まらない議論

ジャンルを代表する立場ではないのであくまで個人的なものですが、ずっと目標として掲げているのは、初等教育のカリキュラムにジェンダーや人種などの権利教育が組み込まれることです。精神論的な道徳教育に取って代わるイメージです。
やはり本来学問だし、子供のうちから国語や算数と同じように常識の1つとして根付かせるべきものだと思っているので。

とてもいいことを言ってらっしゃいますが、これって実はもうずっと言われ続けていることで、じゃあ小学生に教えるとしたら、どんな内容の本がいいのか?まで編集部につっこんで欲しかったです。だって、そこでは「学問」というキラーワードは使えないはずだから、本質的な答えが引き出せたはずです...。

10. 最後に
少し言いがかりみたいになってしまいましたが、フェミニズムが「研究者が究める学問」の文脈でしか語られないものではないよ...あと、読者にもう少し歩み寄って...と感じたので書きました。最後まで読んでくださった方、ありがとうございました。


11.おまけ
そういえば、フェミニストって語りたくない人がいて、あれなんなん...みたいな指摘をヒラギノさんがしていますが、私もフェミニストと名乗りたくない1人です。だって男性嫌悪するフェミニズムのイメージもあるし、女性以外のマイノリティを包括してなさそうな印象を抱く言葉なので、もう用語を変えた方がいいと思うから...。スマホをずっと移動式電話と呼び続けているのと同じだと思うのです...。ただ、それだけと言えばそれだけですが。言葉の持つイメージは大事です。

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