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迷惑をかけてはいけないという思い

迷惑をかけたら怒られる、批判されること、人が離れていくと思った。
でもそれはわたしのことを怒らないで、批判しないで、
離れないでというコントロールでもあった。
では謝ったのはなぜか。
それは相手の気持ちを無下にしたと思ったから。
でも何か違和感を感じてた。

その時はその時だ、全てにおいて。
その時のわたしの本気にウソはなかった。

その全ての重く受け止め、いちいち責任を負おうとすることは
もしかしたら相手を蔑んでいることかもしれない。
そしてそれは自分の傲慢さかもしれない。
これで人は怒るにちがいないとか、失望するにちがいないとか
それって相手の行動を決め付けているし、どこかその程度だと思っているのかもしれない。なんというか失礼な気がする。
そして怒っても怒らなくてもそれは相手の自由だし、
相手の感情は、わたしには関係のないこと。
相手の問題である。
もちろん悪いと思ったことは心から素直に謝りたい。
でもいちいち重く捉えすぎるところもわたしにはあるなぁと思った。
性質でもあるけれど、もっとなにか余白を持っていたいと思う。

一貫性がないように見えて、真は一貫性があったりする。
一貫性がないという一貫性もあるかもしれない。

そしてそれに縛られる必要はないのだ。
いつだって自分を縛るのは自分だけなのだ。

これは少し前に綴った文章だけど、アップできなかった。
忙しいとする気にならないのかもしれない。
でも寝かせてみて良かったとも思っている。
時間をおくことで、より冷静に見つめることができた。

人は思ってるほど人に興味ないよ。
だからもっと自由に生きたっていいんだよ。

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