変わっていくことを厭わず、一生愛しく感じていたい
私はもともと目が悪くて、若い頃はずっとコンタクトレンズを使っていた。視力が悪化したのは中学生の頃だ。たいして勉強をしていた訳でもないけど、学年が上がるに従って近視の度数が上がり、更に乱視も入り、黒板の字がどんどん見にくくなっていった。中学高校はメガネを掛けていたけど、大学生になった時、バイト代で初めてコンタクトレンズを買った。それ以降、ずっとコンタクトレンスが私の視力をカバーしてくれた。
しかし30代の終わり頃、毎日レンズを外して洗浄消毒することや、洗浄液を常に買い続けなくてはいけないこと、また、定期的に眼科の診察を受けなくてはいけないこと等、数々のルーティーンが面倒臭くなり、コンタクトレンズから眼鏡へシフトチェンジした。
それ以降、私はメガネ女子として生きている。
成人してからは、視力はこれ以上良くも悪くもならず、とても安定していたので、長いこと同じ度数のレンズで大丈夫だった。気が向くと眼鏡屋へ行き、お気に入りのフレームを見つけて、新しいメガネを作る。服を取り替えるように、メガネも気軽に取り替えて楽しんでいた。
ところが・・・である。
アラフィフと言われる年齢にさしかかったら、だんだん目が疲れるようになった。頭が痛くなるし、肩も凝る。目が乾いて辛い。スマホやパソコンの作業がしんどくて堪らなくなった。
「これは・・・。まさか悪い病気?」
・・・と心配になり、久しぶりに眼科で診てもらう。
すると、先生から言われたことは、「老眼ですね~」の一言。年相応の現象なので、メガネで補助していきましょう・・・とのことだった。
もうそういう年なのか・・・と一抹の淋しさを感じたけど、仕方が無いことだと諦めた。
そこから眼鏡屋で、新たに遠近両用メガネを作ってもらい、今に至っている。
◇◇
最近の遠近両用レンズは、昔みたいに「近視レンズと老眼レンズの境目がくっきりして、いかにも遠近両用です!」ということは全然無くて、とてもスマートなレンズになっている。パッと見た感じは、とても遠近両用には見えない。普通のメガネと変わらない。
基本的に、遠近両用レンズとは、レンズの真ん中から上が「遠くを見る」用になっていて、レンズの下方は「近くを見る」用になっている。
レンズを作るときは、実際にメガネを掛けて、「遠方を見る」時と「近くを見る」ときの瞳の向きと位置をチェックし、自分の瞳の焦点とピッタリ合うようにレンズを作ってもらう。
だから、遠近両用レンズで遠くを見るときは、顔を真正面に向けて、目線を「遠くを見る」用の焦点に合わせて見なくてはいけない。また、手元の近い文字を見るときは、顔はそのまま正面を向けたまま、視線だけ下に落とし、レンズの下方にある「近くを見る」用の焦点に目線を合わせてモノを見なくてはいけない。・・というシステムなのだ。
この「顔の位置はそのままで、レンズの焦点に合うように目線を動かす」というのが大変で、慣れるまでが結構面倒臭かったりする。
というのも、レンズの焦点と目線が合っていないと、対象物がボヤけて見えるのだ。そのため、焦点を合わせてくっきり見るために、顔やメガネを微妙に動かしてみたり、目線を替えてみたり、手に持っている書類の位置をずらしてみたり・・・等々。見るための微調整がちょこちょこと必要だ。
ただ単純に近視だけだった時と違い、老眼が入ると何かと不便。見えないストレスも出てくるし、メガネの焦点が合わなくて見えにくいと、目が疲れて頭が痛くなる。
でも、メガネを使って視力を矯正することで、ある程度はしっかり見えるのだから、「ありがたい」と感謝しなくてはいけないなぁ・・・と思っている。
◇
こんな感じで、私の老眼ライフは始まった。
最初は、新しく作り直したメガネのお陰で、驚くほどよく見えて嬉しかったのだけど、やつぱり老眼ならではの不便さも体験するようになった。
遠近両用メガネに慣れて少し経った辺りから、今度は、文字以外の他のモノが見えにくくなっていることに気がついた。
それは、埃(ほこり)。
そう、家の中の埃が見えにくくなってきたのだ。
まだそれほど老眼が進んでいなかった頃は、瞬時に気がつけたのに、最近は見えなくてスルーすることが増えている。
老眼になると、手元の文字や近いものが見えにくくなるだけでなく、部屋の隅っこや台の上に被っている埃まで見えにくくなるんだなぁ~と初めて知った。
そういえば、私がまだ若かった頃、実家に行くと、玄関の下駄箱の上や居間の畳の縁にうっすらと埃が溜っていて、「どうして掃除しないの?」と疑問に感じたことがよくあった。母に言っても「ほんと?」とビックリするだけで、家の中の埃はずっとそのままだった。
でも、今なら分かる。母は埃が見えていなかったのだ。
ご近所でお年寄りだけで暮らしている家が、だんだん薄汚れて埃にまみれていくのをよく見かけるけど、今はその理由がよくわかる。これは、身体が思うように動かなくて掃除が億劫になるのとプラスして、目の老化から汚れや埃が見にくくなっているのだ。
その他、目の老化とえば、(最近よく感じることだけど・・・) 明るい所から暗い所に入った時、暗闇に目が慣れるのに、ものすごく時間がかかるようになった。しばらくの間、真っ暗で前が何も見えなくなるのだ。「暗い所ではモノが見にくくなる」というのも、昔よく祖父母から聞かされたことけど、あれって本当だったんだ・・・と、ただ今体験中(汗)。瞳孔が開いたり閉じたり・する動きが、やはり老化で鈍くなってきたのだろう。
年を取ると、様々な問題が出てきて本当に大変・・・。
でも、その反面、「ピントが合わなくてぼやけて見にくい」という現象は、見たくないモノに遭遇した時にすごく便利だ。たとえば、後で人から「どうして気づいてくれなかったの」と責められても、「あっ、ゴメン!よく見えなかったから、全然気がつかなかったわ~」と言い訳ができるので超便利。面倒臭いことに巻き込まれそうな時は特に、この手を使って笑って誤魔化している。また、見たくないものに関しては、最初から「見えていなかった」ことにしている。罪を作らず、禍根を残さず、明るくスルーできるのは「目の老化」のお陰(笑)。
◇◇
でも、やっぱり目の健康は気になるところで、50代に入って以降、目を酷使しないように気をつけている。また、実家の母や義母が白内障の手術をしているので、老眼だけでなく目の病気にも注意している。
あと、更年期障害によるドライアイも心配なところ。これも眼精疲労で眼科にかかったとき、「更年期の女性に多いんですよ。ドライアイですね~。」と診断を受けて初めて知った。今は目薬とホットアイピローを使って目の養生をしているけど、無理をすると「結膜下出血」を起こしやすくなるので、乾燥させないように目を休めることも心がけている。
年をとると身体のメンテにお金と手間がかかる
・・・とよく言われるけど、それは事実だとつくづく思う。
メンテのお金に関しても本当にその通りで、老眼になってから、メガネ代がものすごくかかるようになった。もともとあった「近視」と「乱視」にプラスして更に「老眼」まで加わったため、メガネのレンズ代だけでも結構な出費になる。遠近両用レンズは、自分の視力に合わせてキチンと作ると結構高額になっちゃうのだ。(高額な良いレンズは歪みがなくクリアに見えるので、高い分だけ効果は抜群にあるんだけどね・・・。)
しかも、中学生の近視と同じで、老眼もどんどん進むらしい。落ち着くまでとことん落ちていくそうな。だから視力の変化と共に、レンズの度数も変えて作り直していくことが必要とのこと。
まぁ、メガネを掛けていると、目尻のシワやシミを良い感じに隠せるから、そこは良いのだけど。
◇
これから一生かけて、「老眼」とは長い付き合いになりそう。でも、これも大事な身体の一部分。だから、嫌ったり悪く思ったりせず、愛情をもって向き合っていきたいなぁ・・・と思っている。