見出し画像

猛暑のなか、京都へ⑤

写真展を見たあと、最寄りのバス停まで歩き、市バスに乗る。
今度は友人のオススメの場所、琵琶湖疏水記念館へ。今から100年前の明治時代に、第3代京都府知事の北垣国道が琵琶湖の水を京都に引くという大型事業を計画して竣工。多くの困難を乗り越えて琵琶湖疏水を無事に成功させ、これが京都の近代化と発展に大きく貢献したのだとか。そして驚くことに、この疎水工場で作られた当時の施設や水路は、今も現役で活躍している。
そんな琵琶湖疎水事業の計画と建設に関する貴重な資料を展示したのが、この疎水記念館だそうな。

記念館は無料なので、自由に入ることができた。(ただし館内は撮影禁止なので写真は無し)冷房が効いていて、猛暑のなかを歩いた体には嬉しい涼しさ。ゆっくり見学して疎水について勉強した。

疎水記念館の近くにあるこの建物↓。こちらは疎水事業の一つとして明治時代に建設された蹴上発電所。今も現役だそう。(歩道から撮ったので、ちょっと分かりにくくてごめんなさい)

赤レンガのモダンな建物だけど、建物に使われているこの煉瓦(レンガ)も、当時はまだ国産のレンガが無かったため、わざわざ煉瓦工場を設立して、そこで疎水施設用の煉瓦を新しく作ったそうである。

そして、上記の蹴上発電所の道路を挟んで向かいにあるこの線路↓。今は廃線の線路みたいになってて、散歩道になっているけど、これは疎水の水路を使って舟運する際、水路が途切れる場所では舟を乗せるトロッコ電車を設置したそうで、そのための線路なんだとか(蹴上インクライン)。いまはもう使われることがなくなり、線路だけが残っている。

これが船を乗せたトロッコ電車。蹴上発電所の電力を使って動かしていたそう。

こんな感じで、いまは地元の人の歩道になっていた。私たちもここを歩いてみた。線路の幅は電車の線路の倍くらい。結構幅がある。暑いなかをテクテク歩く。なんだかスタンド・バイ・ミーの気分。

こちらは、疎水プロジェクトを立案し成功させた若き技師・田邉朔郎の銅像。なかなかのイケメン。

蹴上インクラインから徒歩で南禅寺へ向かう。南禅寺はすぐ近く。こうして歩いていると何だかブラタモリみたいだねぇ…と友人と笑う。
南禅寺に到着。あの有名な水路閣へ。

これが南禅寺境内の水路閣。観光ガイドによく載っている赤レンガの建造物である。
ここも実は前から行ってみたかった場所。

今もこの水路閣には琵琶湖の水が通っている。今から100年前の人々が人力で建造したものが、今もこうして現役で使用され、人々の暮らしを支えている…ということに驚かされる。

本当に素晴らしいなぁと思う。ここに使われている煉瓦の一つ一つが明治の人の手で丁寧に作られたものだと思うと、何とも愛しい気持ちになる。
明治維新のころ、京都から天皇さまも皇族方も公家も豪商も全てが出て行き、東京へと移ってしまったため、京都は経済的に大打撃を受けたそうである。お金の流れが経ち切られ、都の中心部がもぬけの殻と化した京都はかなり落ち込み、人々の暮らしは混乱し憔悴した。そのため、まちの衰退から立ち直り復活するために、この疎水事業は天命の如く強い熱意をもって手掛けられたそうである。
しかし重機のない時代、危険を伴う作業のため多くの殉職者を出している。それでも京都の復興を目指す人々によって、強い熱意とエネルギーで推し進められたのだった。
尊い志によって無事に完成し、京都のまちにまた新たな繁栄をもたらした疎水事業。きっと多くの人が完成を喜び、未来に希望を見いだしたことだろう。
これは、友人に案内してもらわなければ全く知らずにいた歴史だった。

南禅寺の三門。暑い一日だった。
最後に三門に登って一休み。

山から吹く風が涼しくて、とても心地よかった。

よろしければサポートお願いします!いただいたサポートは旅の資金にさせていただきます✨