「命を預かる」という重責

私が住んでいる地方も、今夜から明日にかけて、かなりの大雨になるそうだ。

こんなニュースを見つけてしまい、今、かなり動揺している。

というのも、もう随分前(2004年)の10月、台風23号がこの地域を直撃し、近くの河川が氾濫したことがあったからだ。

この時の私は、足が悪い家族(義父・義母・息子)を3人引き連れて、避難所に命からがら逃げた。

ちなみに、この台風に遭うまで、私は自然災害を経験したことがなかった。これが生まれて初めての体験だった。

今、思い出しても身体が震えるのだから、相当なトラウマになっているんだと思う。

お陰様で、この台風時、自宅は浸水することなくギリギリセーフで無事だった。ご近所では、何軒かが床下浸水の被害を受けていたので、私たちは本当に運が良かった。

ただ、家族の命を守るための選択を、嫁である私が一身に背負っていたため、かなり強烈な責任感を感じた。

瞬間の判断で「助かるか、助からないか。」が決まる。

判断ミスは許されない。

そんな責任重大な決断を、自分一人の判断で下したのは初めてのことで、相当緊張した。今もあの時の体験は、私の中に深く残っている。

◇◇◇

あの日、夫は朝から仕事で災害対策本部に詰めていて、家には私と息子、義父母の四人がいた。

どんどん雨脚が強まり、裏の河川がかなり増水していた。

防災無線から避難指示が出されていても、私はまだ他人事のようにしていた。ところが、家の前の側溝から水がゴボゴボと溢れだし、夫からも「まだ家に居たのか!あと30㎝で堤防が決壊する。早く逃げろ。」と連絡があり、この時、初めて事の重大性に気づいた。

あの日、家族の安全は私の判断と行動に委ねられていた。

冷汗が流れる。息をのむ。

私は急いで義父母に指示を出して、荷物をまとめた。

当時の家族の状況は、

・義父は、自力歩行はできるけど、腰痛と左麻痺で杖が必要。
・義母は、膝関節変形症で膝が歪曲していて、しかも強い痛みがあり、長い時間の歩行は困難。
・息子は、股関節手術の予後で歩行練習をしているものの、外出時は車椅子を使用。

これに、唯一の健常者である私が加わり、4人での避難劇となった。

◇◇◇

最初は「徒歩で行こうか」と思った。しかし、義父が「まだ車で行けそうだから、車にしよう」と言い、急遽、私の車で避難所に向かうことになった。今考えても、義父のこの一言は「神の声」だったと思う。歩いて避難所に向かっていたら、みんな行き倒れになっていた。

(この時は道路はまだ完全に冠水していなかった。バシャバシャと水しぶきを上げて走ることができる状態。でも、後で近所の人に聞くと、私たちが家を出た後、ドウドウと水が押し寄せて一気に水がついたそうである。まさに瞬時の判断が幸いした。迷うときは、あまり深く考えず、瞬時のひらめきや直感を信じて動くことがベストだと思った。)

こうして、避難のために車を家の前に出してバタバタしていたら、ちょうどお向かいの家の人が出てきたので「私たちは小学校に行きます」と声を掛けておいた。

実は、当時の我が家の避難場所は、小学校ではなく公民館だった。でも、この頃の公民館は昔の建物で、手すりが無い上にトイレは和式。こんな場所に、足の悪い者を3人も連れて避難して過ごすのは無理だ・・・と思い、私の発案で急遽、小学校に逃げることにした。

小学校なら、息子のために校舎がバリアフリー化されており、安心して過ごせると思ったからだ。

そこで、この近所の人には「小学校に行きます」としっかり伝えた。

(後々、「ここに逃げます」と言う【声かけ】はとても大事だと後で知った。避難完了や安否の確認に、この「一声」はかなり有効。誰かにちょこっと伝えておくことで、そこから巡り巡って消防団や町内会の組長さんにも情報が回り「この家の人は避難している」と周知してもらえる。じゃないと、行方不明で心配をかけてしまうので、ちゃんと伝えておくことが大事。)

ザーザー降りの中、私の小さな軽自動車に荷物を詰め込み、義父から順番に車に乗せて、私たちは急いで小学校へと向かった。

小学校では、玄関口に車を停めて、家族を全員下ろしてから、グランドに駐車した。グランドには、もう既に避難してきた人たちの車が数台止まっていた。土砂降りの中、傘をさして校舎の入り口に走って行った。

◇◇◇

この後の避難所での様子については、こちらをどうぞ。

避難所で一夜を明かす・・・という体験を、私はこの時、生まれて初めて経験したのだけど、それはかなり強烈なもので、後々まで私の精神に多大な影響を与えた。

しかも、自分の身一つを守るだけの話じゃなく、家族の命を守る立場での「避難」だ。自分も含めてたった4人の命ではあるけど、私の判断と行動にその身と命を預けてくれる人たちのために、私は最善を尽くさなくてはいけない・・・。そんな気持ちだった。

だから、水が引いて家に戻ったとき、何事もなく無事だった我が家に入って荷物を置いた瞬間、へなへなと腰が抜けてしまった。

大役を果たしたこと、重責に耐えて無事に任務を終えたこと、帰る家が無事でホッとしたこと、いろんなことが頭の中と心の中を駆け巡り、私の全身から力が抜けてしまった。

「人間って、こんな風に腰が抜けるんだなぁ・・・」と、クタクタに座り込みなから、呑気にそう思った。

そして、泣いた。

涙が溢れて止まらなかった。

夫は、この時、自治体の災害対策本部に「責任ある立場」で詰めていたのだけど、やはり夫も、「あの台風の夜、全員避難を決めて町民に避難指示を出した時、強烈な緊張感を覚えた。緊張で身体が震えて止まらなかった。こんな体験は生まれて初めてだった。」と後々語っている。

自分の命だけでなく、自分以外の命を守るための選択、判断、決断・・・等。この時感じる「責任の重さ」は、実際に体験した者じゃないと分からないだろうと思う。

あぁ、これが修羅場というヤツなんだなぁ・・・と思った。

◇◇◇

その後も、自然災害は日本各地で起きている。

そして今現在も、大雨の被害は進行中だ。

「もう、あんな怖い思いは御免だわ」と感じつつも、でも、いつ何が起きても良いように、腹づもりだけはしっかりしておきたい。

怖くても、これが現実ならば立ち向かうしかない。

覚悟を決めて最善を尽くす。

さぁ、また、もうひと踏ん張り頑張ろう・・・と、私は自分を奮い起こした。

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