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疎外のきっかけを作った先生〜今思えばあれはモラハラじゃん(笑)

小学校四年生で、転校した私。
新しい学校、新しいクラス。
転校生として初めて教室に足を踏み入れるとき、ドキドキと不安で胸が張り裂けそうでした。

新しい担任の先生はとても若く、どうやら女の子たちに下の名前で呼ばれたりして人気があるようだということは、初めてそこに来た私にもわかりました。
その先生に、教室に入り黒板の前に立つように命じられ、今からみんなに紹介されるのだと、ドキドキと不安がピークに到達していた私。

担任の先生が、「転校生を紹介する〜」と言って私の名前を黒板に書きました。
〝谷本恵美〟と。

「先生、エミのエの字が違います。私のエは旧字体です。〝心〟の上に〝ム〟みたいなのが付きます」と私。
「はぁ? 旧字体? ム? 書いてみろ」
そう促されたので、私は恵美と書かれた横に書きました。
惠美〟と。

その時、先生がポツリと言ったのです。
「こいつ生意気やなあ」

女の子たちがヒソヒソ話しているのが聞こえてきます。

小学校4年生の夏休み明けに転校した私。
本来、5年生になるときにクラス替え、担任替えがあるものなのですが、その学年は卒業までクラス替えも担任がえもないままでした。そのことを聞かされたとき、女の子たちは喜んでいましたが、私は絶望したものです。

三年間、当初はそれなりに努力しましたが、あの年齢にしたら絶大な影響力のある若い人気ある担任の先生が貼り付けた「生意気」というイメージは、教室の中ではなかなか拭えるものではありませんでした。いえ、多少なりとも、たしかに生意気な私でしたから、それを、イメージ増幅させてしまったのでしょう。そう、先生の一言が。そして、その後の先生の態度が。
まだまだ、学校の担任という存在が、子どもや保護者にとって、「二十四の瞳」(壺井栄著)幻想があって、神格化に近い状態だった時代です。

お気に入りの女の子とそうでない子への態度の明らかな違い。
教室は自分の世界であるかのようなはしゃぎよう(実際にはしゃいでいたわけではありませんが、そうした印象という意味です)。
そんな先生を見ながら、「なんて未熟な人なんだろう」と心の中で思っていたのを感じ取られていたのか、今思えば、女の子たちからクラス内で疎外されるきっかけを事あるごとに先生が提供してくれていた気がします。

「誕生日会をしたんかあ。なんやあ、谷本も誘ったんかあ(笑)」
「お、先生も入れてくれ。なんや、谷本もおるんか(笑)」

笑いで悪意をごまかす意地悪な言葉たち。
よほど、初日に漢字の異なりを指摘したことが先生のプライドを傷つけてしまったのでしょうね。ことあるごとに、今で言うモラハラを受けておりました(笑)

私は、転校してから卒業までの三年間、仲良しの友達もちゃんといましたので、学校を出れば、そうした友達とよく遊びました。しかし、学校では、担任に口を挟まれるのが嫌で、休み時間、好きな本を読みふけることが多くなっていきました。

何十年かした後で、Twitterをきっかけに、小学校のクラスメートの男子と再会しました。
「〝日本沈没〟を読んでいたのがすごく記憶に残ってるよ。小学生なのに難しい本を読んでるんだなあって…」と。そういう彼も、小学生のとき、日本沈没を知っていたわけですが(笑)

男の子には特段人気があったわけではない担任の先生の言葉は、スルーされていたのでしょうね。私は本好きな子として位置付けられていたようでした。

転校初日から卒業まで、『小さなシステムの中において、大人の言葉が子どもに与える影響』を身をもって知った私は、今ではその担任の先生に、ある意味感謝したりもしております。人生において大切なことを教えてもらったと。
ええ、ほんとです。
今でも天然パーマをキザにセットした担任の顔、はっきりくっきり覚えているくらいですから(笑)

たぶん、先生は、私が卒業した後も、だれかターゲットを見つけて、人生の厳しさをその子らに教え続けたんだろうな、なんて思ったりしています。





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