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神様はいますか?

 このテーマで書けという、神様からの(多分・・)メッセジ・サインが届いた。
 久しくブログを書いてない、そろそろ書きたいなとグズグズしていたとき、速達ハガキを受け取った。「神様はいますか?」の内容のハガキだったのだ。
 
 話は遡る。
オンラインで月一「ガッツリアドラー心理学の講座」を開催している。
 アドラーは人生には様々な課題がやってくる。「仕事」「交友」「愛」の課題だと、そして現代アドラー心理学では、さらに「自分自身」「スピリチュアル」の二つの課題が含まれて5つの課題があると説いている。

 先日の「ガッツリアドラー心理学講座」では人生の課題がテーマであった。
夜のひと時お風呂に入り、軽く夕食も済ませ仲間とアドラー人生論を語り合うのは私にとって最高の時間だ。
 ハガキを送ってくれた人は参加者の一人で、最後のテーマで扱ったスピリチュアルの話の続きだったのだ。
 5つの課題をたっぷり「ソクラテス話法」で話合い、スピリチュアルのテーマにはいる頃には時間も押し迫っていたが、
「神様はいますか」の問で、話あいは白熱し、盛り上がっていった。
Aさん「神様はいると思う、私は多くのことを引き寄せている、今のプロ
 ジェクトも、自分がやりたいことをつぶやいたら、興味関心のある人が
 集まってやることになった」
Bさん「私は仕事が辛くなったとき不思議に、前お世話した人が現れて、
 あの時は嬉しかった有難うと言われる偶然を何度か経験している」
Ⅽさん、「私は祈りの名人と思う??」
などと話は尽きない。時間は過ぎ夜が更ける~。

 ハガキを書くのが趣味ですと言っていたBさんからの速達ハガキだった。綺麗な丁寧な文字でしたためられ、ほんわかする内容だった。ハガキを読むのは贅沢な味わいがある。書きたいから書いているだけ返事はいらないという思いやりも素敵だ。
 
 偶然はないすべて必然という言葉を愛用している私は勿論「神様はいます」と返事するかわりに、このブログを書いた。
何を書こうかと思った瞬間玄関で速達ですと「神様はいますか?」のハガキが届いたのだ。書かずにはおれない。

 自然に指がキーボードの上をカタカタ動き出した。
「神様はいます」と。半分本気で思っている。

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