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病気で変わった友人関係

私が友人と関わる時、自分に約束していることがあります。

それは
【本当に好きな人とだけ関わる】
→その人の幸せを心から喜べる人

【GIVEは自分が出来る範囲】
→お金・時間・体調で無理しない

【あくまで自分がすることは自己満】
→見返りを絶対求めない

ということです。
というのも、私が病気をしたことで価値観が変化したのは友人に関するものが一番大きいからです。


それまでの私は、世に言う≪優しい人≫でした。
上京してくる友人のために1ヵ月近く家に泊まらせたり
彼氏に振られた友人がいれば、夜中でもその友達の元へ行ったり
お祝いなどで高額のプレゼントをしたり

とにかく人に何かを与えることが大好きでした。
もちろんこれらは全部自分がしたくてしてきたことだから後悔はしてません。


けれど、病気になったときのその友人たちの反応は意外なものでした。

当時、私は病気になったことを特に隠しておらず、入院したこともインスタなどにネタとしてアップしていました。
その中でそれまで自分が沢山尽くしてきた人ほど、私の病気に関して無関心な人や一言のメッセージで終わる人が多かったのです。

その後より体調が悪化してからは、SNSに投稿などできる状況ではなくなり自分から誘いや連絡をすることも難しい期間がありました。
その間もその人達から連絡が来ることは殆どなく、現在も関わっていない人が殆どです。

逆に、長らく連絡をとっていなかった古い友人からすぐに電話がありました。
そして泣きながら『なにしとるん?なんで言わんやったん』と言われたときに目が覚めた自分がいました。


もしかしたら、病気の時は何もできないからこそ『待つ』という選択をしてくれたのかもしれません。
その友人たちが何を思ってその行動をしたのか、真実は私にはわかりません。
だけど、本音を言うとその時になんでもいいから近くにいて欲しかったし、その人たちから欲しかったと思ってしまいました。

自分が望む心配をしてくれなかった…
あの時あんなにフォローしたのに…

元気な時は気づきませんでしたし、こんな感情になったことはありませんでした。


仕事での人間関係は、互いに役割があり、お金という利益が発生しています。
親、パートナーなども人によって異なりますが特別な繋がりみたいなものがあります。

でも、友人は唯一そういうものがありません。
損得なく関われるこその友人でもあるのだけれど、時としてそれが自分を苦しめることがあります。

今でも人に与えることは大好きです。
それは私の特性であるし、長所であると思っています。

けれど、病気を経て振り返った時に、その人たちを【悪者】にしてしまった自分の捉え方がすごく嫌でした。

そして、私の与える人・与え方は変化しました。
それが最初に書いた決め事です。


これはあくまでも私流です。
私の価値観の上に沿っているので、世の中の正解ではありません。

でも、この決め事をしてから友人関係はすごく変化しました。
本当にわずかですが、大切な友人に会う日がいつも楽しみです。
プレゼントなども自分ができる範囲でするからこそ会うことも負担にならず、一人一人と丁寧に向き合うことができます。

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