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僕に言えることは、なに一つないのだけれど

10年前の3月11日、東日本大震災が発生した。復興や災害への備えについて僕が言えることはない。できることと言えば、些少ではあるものの関連団体に寄付をするぐらいのものだ。

ただ唯一、言えるとしたらTwitterの設定を改めて確認しておくと損はないということぐらいである。今日は、僕がそう思うに至った理由を語りたい。

気づくまで6年かかった僕の過ち

震災発生時、東京も大きな揺れに見舞われ、交通機関がストップした。帰宅難民があふれ、家族と連絡を取ろうとする人々で電話回線はパンク。多くの人が、何とか家族や友人と連絡しようと試みる中で活躍したのがTwitterのDMだった。

そのため、DMを利用して、近しい人の安否を確認したという人も多いことだろう。余震が続く中、僕も父親とこんな話をしたことを、うっすらと覚えている。

父親「万が一に備えて、俺もTwitterのアカウントを作っておこう」。

僕「そうだね。まぁ何かあったらDMで連絡取れるやろ」。

そういって僕は父親のアカウントを作成した。

それから6年にわたり、この会話は忘却の彼方にあったのだった。

◆◆◆

6年後、2017年のある日、父親から「マサユキ、メール送ってくれた、あの記事面白かったぞ」と声をかけられた。

それは、親戚の集まりに向かう車の中で、父親が発した何気ない一言がきっかけだった。

僕「???はぁ?メールとか送ってないし」

父親「いや、でもメールできてたぞ」

母親「なんか勘違いしてるんじゃないの」

確かに両親は僕の仕事の内容を知っている。ことさら家族間で話題にすることもないが、僕の作った記事も読んでいることだろう。だが、わざわざメールで「書きました」と送りつけるほどではない。不穏なものを感じたものの、この場では母親の唱える「父親の勘違い説」が採用された。

しかし、何かと引っかかるものを感じた僕は、ある時Twitterの設定欄を詳しくチェックした。すると…

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この「メール通知」の設定が…

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こうなってて…

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父親のアカウントが、こうだと…

俺がなんかTweetする度に父親にメールが送られてたってこと????

この後、無茶苦茶ブロックした。

◆◆◆

3.11 が近づいてくると、震災の被害や復興への思いを馳せると同時に、僕は、この過去の過ちを思い出さずにいられないのだ。



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