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ひとを尊重すること

わたしがデンマークに来てもっとも課題になったことのひとつが、「ひとの尊重」です。これは今も課題といっていいかもしれません。

これに関しては数えきれないほどたくさんのエピソードがあるのですが、とりあえず娘に関することでその例について述べたいと思います。

女の子だったら典型的な過程といえるのでしょうが、娘は11歳くらいのときに難しい時期がきました。

おしゃれに目覚めて、毎朝化粧をするのに1時間とかかるので朝ごはん抜きで登校することもしばしばだったり、試合でほかの女の子と一緒に車で連れていくととたんに他の子の悪口を言うようになったり、そのくせ、それまで毎日のように誰かと遊んでいたのに、その約束がぱったりとなくなったり。一年間くらい、誰とも遊ばず、下校してからは家にとじこもる、ということが続きました。なので、担任の先生に連絡をし、個人面談を申し込み、お話を伺ったところ、特に問題と感じるところはないと。

一方で、わたしとしては小学生で化粧するということを受け入れがたく、職場のデンマーク人女性に相談もしました。すると、「なんだったら、一緒にデパートにいって、美容部員に化粧してもらったらどう?」と言われて度肝を抜かれたりもしました。

しばらく悩み続けていたのですが、突然クラスメールで、ある女の子が今のクラスの状態に耐えられなくなったから転校をすることを決めたというメッセージがきました。正確には、担任の先生に向けたものでしたが、女の子の保護者に転送されたのでした。

急遽女の子限定の緊急保護者会が開かれました。そして恥ずかしいことに、そこで初めて女の子たちはグループに分裂し、深刻な仲たがいをしていることを知りました。主には、おしゃれに興味のあるグループと、勉強のほうに興味がある真面目なグループに分かれ、何人かはそのどちらも属していない、という状態でした。そして、娘はおしゃれグループで先陣をきっていて、不穏な雰囲気の原因をつくっていると察しました。

最初は、それぞれのお子さんの事情について話すのにヒートアップしていましたが、最後のほうで、いつもは保護者会で発言することのないわたしが、「たぶんうちの娘がこの問題の原因をつくっていると思い、とても申し訳なく思っています。でも、この保護者会が開かれてとてもよかったです。今まで何かがおかしいと思いながらこれといって問題がわからなくて今まできてしまったのを、ここで初めて知ることができたので。」というと、しーーんと静まり返りました。すると、それまで何が原因なのかを追及しあっていたのがぱったりなくなり、誰かのせいということではなく、それぞれが成長して違いがでてきたのをどのように受け入れていくかが大事になるのだと思う、という論調で終わりました。

このときに、娘が問題をもっているのは、わたしにも原因があることに気が付きました。ひとつは、娘が化粧に興味をもっていることに対して、ダメと断罪し、理解しようとしなかったこと、そしてもうひとつは、わたし自身が個人的に難しい状況にあり娘にきちんと寄り添えていなかったこと。そういう意味では、デンマーク人の同僚のアドバイスは適格といえたかもしれません。

自分の子供だからと自分の一部のようにコントロールするのではなく、ひとりの独立として人間として尊重すること、そして、それが親子で成り立たなければ、自分が成長し、他人との違いを認識するにあたって、その尊重も難しくなります。もちろん、親子関係がどんなに充実したものであっても、思春期でひととのぶつかりあいは避けようがありません。しかし、問題がでてきたときに、それを無理やりに排除するのではなく、じっくり向き合うことが大事なのだと学ぶことができました。

そのあと、二人でローマに旅行し、娘は地下鉄でスリにあってしまうなどハプニングがありましたが、なぜスリをしてまで生きようとするひとがいるのか、世の中にはいろんなひとがいるという話になり、おかげで久しぶりに充実した語り合いができたのでした。

それからは目立った衝突もないようにみえましたが、実際にはあったのかもしれません。でも、社会の中で好きなひと嫌いなひとがいるのはしかたがないことです。そういうものとして、事実としてうけとめることになった最初の出来事になりました。

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