2022年10月9日

オッサンは、世界に存在を気付いてほしいかのように大きなくしゃみを勢いよく放つ。隣の若い女の子が嫌そうな視線を送る。現実世界の話だ。オッサンはただ生きているだけだ。生きているだけで年々くしゃみは大きくなるし、見た目は悪くなっていくし、周りからの視線は冷たくなっていくし、居場所を失っていく。
オッサンのくしゃみと女の子の冷ややかな目を見て僕は、人生はテトリスみたいだと思った。不可逆的な時間の流れに乗って避けられない老いが降ってくる。隙間が出来ないように上手く埋めないとどんどんと積み上がっていく。今や男性にも美肌や若作りが求められる時代だ。それは言い訳のしようがないほどに周りからの視線の厳しさが影響している。更年期になれば嫁に嫌われ、年頃になれば娘に嫌われ、そもそも結婚が出来ないようになってきて、電車に乗ればJKやJDに冷たい目で見られる。オッサンがオッサンのままで生きていくにはあまりにも風当たりが強すぎる。だから人生の旬が過ぎたいい歳したオッサンはなるべく下降線を緩やかにするために意識的に見てくれに気を遣わなければいけない。このアンチエイジングがテトリスで言う隙間を埋める作業だ。隙間を日頃丁寧に埋めていけば横一列揃った段階でブロックは消える。老いを食い止めていられる。だが、それは一生は続かない。降ってくるブロックのスピード、つまり老いのスピードはどんどん上がっていく。やがて隙間を埋めるのが追いつかなくなる。空隙を残しながらブロックはどんどん積み上がっていく。老いに勝てなくなっていく。周りからの視線が冷たくなっていく。自分の居場所が狭くなっていく。そうしてオッサンはゲームオーバーになる。テトリスは最後にはみんなゲームオーバーになる。それまでの時間を、どれだけ抗えたかを周りと競うものである。老いについても同じことが言えると僕は思う。
さて、散々オッサンが可哀想だという話をしてきたが、実はこの話は他人事ではないというのが何より恐ろしい。僕ももう8年もしたら若者とオッサンの境界線辺りに立たされる羽目になる。テトリスはそろそろと始まっているのだ。実際高校生の頃の写真を見返すと、ハリや明るさが失われてきているのを実感する。内面的にも活力が失われてきているのを実感する。ずっと成長期、上り坂だと思って生きてきたが、気付けばもうとっくに下り坂の領域に足を踏み入れていたのだ。頭が固く考えが古い僕は、周りの人の中でオッサン第1号になる可能性が高いような気がする。もしかしたらもう既になってしまっているのかもしれない。え?もしかしてマズい?いやいや。はは。まさか。


BUMP OF CHICKEN「SOUVENIR」(アーニャ曰く「すうべにゃ!」)がとても心地良い。帰り道に聴きながら帰ると、少しだけ速く歩ける気がする。家に帰っても誰もいないのだけれど。
普段熱心に聞くほどバンプのファンではないが、SOUVENIRはここ最近のバンプとは少し毛色が違う曲のように感じる。音の数が少ない。この点が賛否分かれるところで、あまり好きじゃないと言う人は物足りなさを感じているようだ。だが僕は音が少ないことによる軽やかさが心地良さを生んでいるような気がする。昔のバンプっぽいけど昔とも違う、新しいけどどこか懐かしいバンプの曲という位置付けで楽しんで聞いている。
軽やかだからか、藤原基央さんの声がなお一層柔らかく聞こえる。

あくびの色した毎日を
SOUVENIR/BUMP OF CHICKEN

の「ま」の発音に藤原基央の藤原基央たる素晴らしさが濃密に込められている。至高の「ま」だと思う。

そういうわけで、予報より1時間も早く降ってきた雨もすうべにゃ!の力により広い心で受け入れることが出来た。ありがとうアーニャ。レポートを書く前にSPY×FAMILYの最新話を観ようと思う。

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